挨拶が遅れてごめんね。オレ、はたけカカシっていいます。
軽く自己紹介をした『はたけカカシさん』は驚く私を見て楽しそうだった。

ーーえ、待って。どういうこと?

物事を順序よく考えてみれば、思い当たる節はいくつかあった。どことなく聞いた事のある声はいつか聴いた鼻歌にそっくりだったし、今まで考えた事は無かったが、私の部屋の近くで倒れていたのも彼が自室まで帰ろうとしていた最中の出来事だったのでは?それで私が見つけて、助けて、部屋に入れて、

考えれば考える程、疑問と答えが合致してゆく。

「びっくりしました。あ、あの、私の名前はえんどうチフユと言います。こちらこそ、挨拶が遅れてすみませんでした」

気持ちを落ち着かせて、私も彼に合わせて自己紹介をした。はたけさんはよろしくね。と相変わらず緩やかに笑う。

「あの、夜中に騒がしくしてしまって、すみません。起きてしまいましたよね」

部屋を仕切る薄い壁は音が筒抜けだ。ただでさえ、あの重たい土鍋を落として割れた音なんて、かなりの騒音だっただろう。きっと聞こえたのは隣の部屋だけではなかっただろうな。そう思うと配慮に欠けていた自分が心底嫌になった。

「大丈夫だよ。これから寝ようとしてたから。それよりも、さっきも聞いたけど大丈夫なの?…その、ここ、」

彼は私と視線を合わせずに自身の首元に指をさす。なんだろう?疑問に思いながら自分の首元を触れれば、はたけさんの言いたい事がようやく理解できた。一瞬で身体に火をつけられたようにぼっと熱くなる。

ーーキスマークだ。

おまけに適当にシャツを羽織ってたものだから、胸元のボタンが留められていなくて肌蹴ている。私はとっさに胸元を隠して身を屈めた。
慌てて下半身を確認すれば、幸いにもスカートを履いていて良かったと安堵する。
初対面に近い人にこんな姿を見られるなんて羞恥心を通り越してる。これでは、ただの露出狂ではないか。

「…えっと、これはその…」
「赤の他人だし、干渉するつもりはないけれど、もう少し気を付けるべきじゃない?」

こんな姿で玄関先に出るなんて危機管理能力なさすぎるよ。はたけさんは厳しい口調で私を咎めた。私はごもっともだと思い、何も言えないで視線を足元に移す。そもそも警戒心が強い忍の人から見たら、こんなに無防備な人間なんて考えられないのだろう。まあ、一般人でも私ほど危機管理ない人は少ないと思うけど。はたけさんは言いづらいけど、と更に言葉を続けた。

「あの男とは関わらない方がいいと思う」

『あの男』とは同僚の事だ。そういえば、さっき二人で何か話していたことを思い出す。同僚ははたけさんに何か言われたのか、怒りながら帰って行った。
ああ、明日、同僚から何を言われるのか考えただけで気分が重くなる。

「多分、無理矢理だよね?これ」

足元からはたけさんに視線を移すとはたけさんは私の首元を指差した。無理矢理に跡つけられてるんでしょ?そう言いたげに私を見つめる。
私は何も答えられない。無理矢理だけど仕方なく受け入れている自分もいたからだ。

「そういう関係はやめた方がいいんじゃない」

頭上から無責任な言葉が聞こえてきて、私は一瞬、頭が真っ白になった。やめた方がいい?やめられるものならやめたい。そんな事、一番望んでいる事で一番出来ない事だというのに。そもそも初対面に近い人間なのに何故そこまで言われなければいけない。考えれば考えるほど段々と腸がぐつぐつと煮えくり返るような感情が湧き上がってきた。
気付けば私は口を動かしていた。

「人の事、言えませんよね」
「はたけさんだって、女性を泣かすような事してますよね」

女性を泣かすような事というのは、この前はたけさんの部屋から聞こえてきた女性の声の事だ。あなた、浮気してるんでしょ。
睨み付けて言ってやった。
はたけさんは予想外の事を言われて驚いたのか、額当てから覗かせた右目を丸くさせていた。

「…やっぱり聞こえてたんだね」
「あれだけ大きな声で怒鳴ってたら聞きたくなくても聞こえますよ」

やっぱり、の意味は私が言ったことを肯定していると認めていいのだろう。つまり、あの女性の他にも付き合っている人がいるという事。私の父と同類だ。どうして男ってこうなんだろう。愛だの恋だの本当、人迷惑。どれだけ被害者を増やせば気が済むのだろう。

「チフユさん?」

自分の名を呼ばれてはっとする。名字ではなく名前を呼ばれた事に違和感を覚えるが、それよりもこれ以上話したくはなかったので、はたけさんの体を玄関の外まで押し除けた。

「ちょ、ちょっと」

私が追いやった事ではたけさんは焦っているようだったが、関係ない。もう誰にもこの部屋にはいて欲しくないし関わりたくないと強く思った。玄関のドアノブに手をかけて閉めようとすると、ドアの隙間ではたけさんと目が合う。
彼は何か言いかけようとしていたが、私は言わせまいと先にすかさず言葉を発した。

「ごめんなさい。私、浮気している人のこと大嫌いだし、人として見ていないので」

多分、今の自分はすごい形相で彼を睨み付けているだろうな、とはたけさんの驚いた顔を見て自覚する。こんな態度してはいけないと思いつつも口が勝手に動いてしまう。
さよなら、言いながらドアを閉めた。

しばらく彼はドアの向こうで立ち止まっていたようだったが、隣の部屋に戻ってゆく足音を確認して今日何度目か分からない安堵の息を吐く。

ーーさすがに言い過ぎたかな。

冷静に考えれば、はたけさんと父は関係ないよね。悪い事したかな。
後悔しても時すでに遅し。いまさら謝りに行く気にもなれず、隣同士の部屋で気まずい気持ちのまま生活しなければならないと思うと気が重くなった。


優しさなど気付かずに





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