隣人2


▼隣人02



「あ」
「お」

夕食の買い出しに行こうと部屋を出ると、ちょうどお隣さんが帰ってくる所だった。
いや隣人って言っても例の失礼で迷惑で殴りたい奴じゃなくて。

「宇田川さん、今帰りですか?」

スーツ姿で家の前にいるんだから当たり前なんだけどまぁ、そこは会話のきっかけって事で。

「そう。田中くんはお出かけ?」
「夕食の買い出しに」
「そうかぁ、偉いねぇ自炊してるんだ」
「そりゃ、一人暮らしですもん。宇田川さんもでしょう?」
「んー、オレはまぁ、ねぇ。コンビニ弁当とか」
「はぁ」
「インスタントとか」
「はぁ」
「ツマミとか」
「はぁ」
「ビールとか?」
「はぁ?」

それは何というか、どうだろう。
……どうだろう。

「いっつもそんななんですか?」
「妻子に逃げられてっからはねぇ」

宇田川さんは去年離婚して、それからこのアパートに越してきたらしい。
まだ36歳なのにどこかくたびれた感じのする人だ。なんか、眉毛を八の字にして笑う所とか。その時の目尻のシワとか。しゃべり方とか。
でもオレは宇田川さんのその感じが結構好きだ。

「オレより酷いですよその食生活」
「はは、いやぁー前は妻に頼りっきりだったからねぇ、お恥ずかしい」
「今日もですか?」
「うん、今日はカップラーメンかなぁ。美味しいよねあれ」
「まぁ、美味しいですけど、あ、そうだ宇田川さん。素麺好きですか?」
「素麺?うん、好きだけど」
「実は昨日隣に越してきた人に貰ったんですけど、オレ素麺食べられなくて。宇田川さん貰ってくれませんか?」

いやでも悪いよ、いやいやダメにする方が勿体無いですからという言い合いをした後、部屋から素麺の箱を持って宇田川さんの部屋にお届けする。

「何かごめんね、ありがとう」
「いえいえ、こちらこそ助かりました。まぁ素麺だからちょっとこれだけじゃ微妙だけど、その辺のインスタントよりは多分いいんじゃないかと」

思いますから、とか何とか言おうとした矢先、アパートの階段を昇ってきた素麺の送り主と目が合った。
その素麺はただいま宇田川さんの手の中で、奴の視線はその素麺を捉えていて、あ、しまった気まずい。

「田中くん?」

オレの様子に気づいて、宇田川さんもオレの視線の先に目をやった。

「あぁ、きみ昨日来た子だよね?お帰りなさい」

そして何の躊躇いもなく奴に話し掛ける宇田川さん。

「ただいま戻りましたぁ山下でぇす」

そしてニコニコしながら返事を返す山下とやら。人懐っこすぎて胡散くせぇ。

「山下くんっていうんだ。オレは宇田川っていいます。よろしくー」

そしてニコニコしながら返事を返す宇田川さん。やっぱ何かちょっと八の字になっちゃうその感じがとても可愛らしい。

「今田中くんから素麺貰っちゃったんだ。オレ最近インスタントばっかだったからさ、無理言ってごめんね田中くん」
「えっ、いやあの、そんな」

うぉおちょっと!ちょっと何ですか宇田川さんてばそのフォロー…!むしろオレが押し付けたと言ってもいいと言うのにそのフォロー…!

「あぁ、そうなんだー。ダメだよ宇田川さんインスタントばっかじゃー」

ウチに飯タカりに来たお前が言うな一生インスタント食ってろ…!

「うん、でもごめんねこれ山下くんが持ってきたのなんでしょ?オレが頂いちゃやっぱり不味いかな」
「そんなこと無いですよーどんどん食べちゃってくださぁい。ほら、田中くんには何か他のもんあげときますから、その素麺はむしろオレからのご挨拶って事で」

これからよろしくお願いしますねぇ宇田川さん、と握手をする山下。




「よーし、じゃあ田中くんにあげるのはー」
「あーいやあの、お気遣いなく…」

宇田川さんという癒しがドアの向こうへさよならして、今は山下と二人だけ。
さっさと買い出しに行きたいけど、貰ったもんを人にあげてる所を見られたという、何か浮気現場を見られたかのような気まずさと申し訳なさでオレはその場に佇んだままだ。

「あの、すみません、せっかく頂いたのに」
「んー?別にいいよーそんくらい」
「いやでもなんか、…すみません」

よし、とりあえず頭下げて謝って申し訳なさも軽減したし、じゃあ失礼しますと立ち去ろうとしたところで山下から声が掛かった。

「でも代わりのご挨拶の贈り物はちゃんと受け取ってよね」

ニコニコ笑うその顔に、ご近所への挨拶にそこまでしなくても、という呆れと、宇田川さんに素麺をあげてしまった事への罪悪感がちょっとぶり返した。

「いや、いやそんな、いいですよ悪いですし。これから一人暮らしするんですからこんな所で散財しちゃダメっすよ」

ね。と言い聞かせるようにすれば、お金は使わないから大丈夫!と返ってくる。

「オレからの愛、プライスレス!」

ぺしっ

「あ、すんませんつい」

この手が勝手にやったんだ。


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