ゴースト君のお名前
オレ様はさすらいのゴースト様だ。
生まれて何年経ったか知らんがそろそろ死にそうだ。
いや元からゴーストだけどな。
何となく感じるわけよ。
そろそろ天に召されそうだなぁってな。
ゴーストになってこっち、好き勝手さすらってきたオレだけどよ、最後くらいは何かこう、安心出来るようなあったけー所で天に召されたいわけよ。
あん?
未練はないのかって?
さあなぁ。
なんせゴーストになった時点で生きてた頃の記憶なんてなスッカラカンよ。
未練があったのかも分かんねーや。
とにかくだ、オレ様は最後の居場所ってのを求めて、ふらふらーっと気の向くまま、あったけー方向に向かってったってぇわけだ。
☆
「アルバート様、私ももう年老いております。そろそろ新しい使用人をお雇いになられては」
慣れた手つきで紅茶を差し出す執事のジイは、ここの唯一の使用人だ。
その顔には深い皺が刻まれている。
「必要ないさ。君がいなくなれば私一人でやっていくよ」
「また伯爵ともあろう方がその様な…。使用人もですが、貴方ももういい歳なのです。奥方の一人もお召し下さいませ。引く手あまたにございましょう?」
「ふふ、小言が言える内はまだまだ元気だろう。やはり使用人はいらないな」
香り立つそれを口に含む。
やはりジイの紅茶はいい。
「ではせめて、新しい番犬をお飼いになっては」
「新しい?ふふふ、前の犬は番犬なんて大層なものでも無かったろう」
「…確かにあの犬はただの駄犬でしたが」
「私がきちんと躾なかったのも悪かったのだろうけどね」
私という存在が生まれて、ようやく一人で立ち上がれるようになった位の歳だったか。
私が名前を付けた初めての使い魔。
母がくれたその子犬を、ずいぶんと甘やかしてしまった自覚はある。
それにしてもだ。
「主人の私にもぎゃんぎゃん吠えてじゃれついて、食事を全てかっさらって、雌犬とみるや飛びかかって」
「カーテンも絨毯もアルバート様のお召し物も、何度ダメにされたことか」
「あげく侵入者と間違えて自分の尻尾を追い掛けて森深くで迷うようなバカ犬だ。あれを番犬と言ったら、世の番犬に失礼だろう」
「仰るとおりでございます」
グイと紅茶を飲み干すと、ジイがお代わりを注いでくれる。
本当にどこまでもバカな犬だった。
「では、改めて番犬を飼うおつもりは」
「私がいれば番犬など必要ないさ」
伯爵の名は伊達ではない。
私はこの世界において五本の指に入る実力者である。
暴力なんて野蛮なものではないけれどね。
もちろん武術も嗜んではいるけれど。
だからそもそも、私に番犬なんて要らなかったのですよお母様。
それも主人の許可なく飛び出て行くようなバカな犬。
しかも自分の尻尾を追って。
………本当にバカすぎる。
なんど想いを馳せても頭の痛くなるそれに眉間を解していたその時、我が敷地内に侵入者が現れた。
「おや、野良ゴーストですかな。今にも消えそうな気配ですが」
ジイも気が付いたらしい。
窓際へ近づくと、庭先を覗き込む。
「………あれは」
侵入者の姿が見えたのだろう。
僅かに息を飲み、こちらを伺うジイ。
ああ、何年ぶりだろうなこの気配。
あの時これがないと気が付いて、森を一掃したときにはもう遅かった。
「………とんだバカ犬だったけれど」
忠誠心だけはあったようだね。
☆
何だか知らんがオレ様は飼いゴーストの勧誘を受けている。
「オウオウふざけんなオレ様は気高き一匹ゴースト様だぞゴラァ!」
「それはあれかい?一匹狼みたいな事?ふふ、君が一匹で生きていける訳がないだろう」
「はぁぁぁん?!何様だテメェェェ!」
「伯爵様だね」
優雅に足を組む目の前の美丈夫…いやオッサンはどうやら伯爵サマらしい。
マジか。
伯爵ったら相当じゃねーか。
いや何がかは知らんが、相当じゃねーか。
隣に控えてるヒツジも年季入ってるしな。
「ゴーストは形のない思念体だからね、そろそろ消えてなくなるのは君も感じているだろう?」
「ペペペッ!それがどうしたい!オレ様はこの安息の地で最後の時を過ごすんだい!とっとと出てけバーカバーカ!」
「そうか、安息の地…安息の地ね…。ふふふ、とはいえここは私の屋敷だ。出て行く事は出来ない訳だが」
何だか嬉しそうだな美丈夫…大丈夫か?
ちょっと怖ぇぞ大丈夫か?
「君をこの屋敷に迎える事なら出来る。野良ゴーストでなく飼いゴーストになれば、私の力で君の意識をこの世に根付かせる事が出来る」
いや足組み替えてどや顔されてもポカンな訳だが。
もっと分かりやすく言えや伯爵アタマ悪いんじゃねーの。
「そうすれば、私が死ぬまで君も死ぬことはない」
「マジでェェェェェェ!!!」
飼いゴーストスゲェェェェ!!!
伯爵パネェェェェ!!!
飼われるしかねェェェェ!!!
「ふふ、私に飼われる気になったようだね」
「な、は、はぁぁぁぁ?!ふざふざけんなオレ様はテメーがどうしてもっつーから仕方なくだな!」
飼われるんじゃなくて飼われてやるんだバーカバーカ!
ってぇ抵抗していたらだな。
「そうだね。どうしてもだ」
「………お、おう?」
足組んで頬杖ついてるくせに思いのほか真摯な表情で言ってくるもんだから毒気抜かれちまったぜ。
「それじゃあ君に名前を授けよう」
「あん?名前なら別にゴースト様でいいぜ」
「契約の証に、君にもっと、世界で一番相応しい名を…」
伯爵は触れられないはずのオレの輪郭に手を添えた。
あったかい。
「君の、私たちの過去を手繰り寄せる真名を…」
久しぶりの、何年ぶりかの、この安らぎは。
「君の、名前はーーー」
☆
「ゴースト君、人間の世界はいまハロウィンという時期らしくてね。色々なお菓子があるらしいからティータイム用に買ってきてくれないか」
「はぁぁぁん?!なんでオレ様がテメーのオヤツでパシられなきゃなんねーんだよバーカバーカ!」
「飼いゴーストだからだね」
「ウギギ…!伯爵なんぞ地獄に堕ちろバーカバーカ!」
「その時はゴースト君も道連れだね。飼われてるから」
「エエエエマジでかちくしょう野良に戻せバーカバーカ!」
「三時間以内に買ってこなかったら野良に戻してあげるよ。残念ながらその瞬間にお陀仏だろうけれど」
「ウォォォ金寄越せバカ行ってくらァァァ!」
ジイから人間界のお金をふんだくって飛んでいくゴースト君。
ふふふ、必死だね。
野良になんて戻すわけないけれど。
「アルバート様、彼の名前はお呼びにならないので?」
ヒクリとこめかみが引きつるのをやり過ごす。
「…………………お気に召さなかったようだからね」
名前を呼べば生前の記憶が蘇るのでは。
そんなロマンティックな展開を夢見たあの時の自分が恥ずかしい。
この上なく恥ずかしい。
『なんだその犬みたいな名前。ダッセ』
なんて。
「あれにはゴースト君で十分だろう」
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