真紅の暴君

 早朝のことである。今日からマジフト部の朝練があるから、と朝食作りの手伝いにラギーが訪れなかった為、珍しくカリムとジャミルは2人きりで朝食を作っていた。今日のメニューはシャーワルマーだ! なんて言ったカリムの手により、朝食にしては少し重めの肉マシマシのシャーワルマーが出来上がっていく。今日もカリムは元気いっぱいだなあ、と思いながらジャミルはその光景を眺めていた。


「なんか、リドルの奴やばそうじゃないか? 最近大変そうだし」
「ああ、新入生が初日に退学騒ぎを起こしたり、タルトを盗み食いしたりでピリピリしてるそうだ」


 カリムの疑問に対し、ジャミルはさらりと答えを返す。彼はラギーたち情報通から、ここ最近のハーツラビュル近辺での騒動の詳細を得ていた。魔力が無いのに入学式に現れた人物が、学園の雑用係を経て生徒になった事だったり。その生徒と一緒に、鏡の間を火の海にした狸までもが入学した事だったり。カリムにとって必要でなさそうな情報なので、ジャミルはあえて伝えていないだけだが、そういった情報は沢山あった。
 そうかぁ、とジャミルの情報を聞いて頷いたカリムは、出来上がったシャーワルマーをつまみ食いしながら皿に盛り、大食堂へと向かっていく。


「厳ついなぁ、その1年生。流石に初日に退学騒ぎは驚きだ」
「噂だと大食堂のシャンデリアをぶっ壊したらしいが」
「それは……ええ、何をどうしたらそうなるんだ……?」


 シャンデリアってあの天井についてるやつだよな、とカリムは上を見上げる。初日から魔法を大食堂で使いでもしなければ、シャンデリアを壊すなんて芸当はできないだろう。
 それにタルトの盗み食いとは……。新年度が始まってから色々と飛ばし過ぎじゃないだろうか。厳格な精神に基づくと言われているハーツラビュルにしては、珍しい毛色の事件だ。


「規則に厳しいリドルなら、そりゃ苛つくだろうな」
「だからと言ってやり過ぎなのはどうかと思うが。些細な規則違反でも即座に首をはねているし」


 現に既に2桁以上の人数がリドルのユニーク魔法で首をはねられている、とジャミルは続ける。入学早々にそんな光景を見せられている新入生は酷く困惑している、とも彼は聞いていた。折角ナイトレイブンカレッジに入学したのに、魔法を使えなくするユニーク魔法の餌食になるのだ。思い描いていた学園生活と違いすぎて、落ち込んでいる生徒は多数いる。
 スカラビアの寮長であるカリムが他の寮でのやり方に首を突っ込めば、ややこしい事になるのであまり口を挟めない。が、気になってしまうのである。リドルの方が歴は長いとはいえ、カリムと同じ2年生の寮長なのだ。多少お節介焼きの面もあるカリムが、リドルを気にするのは仕方のない事であった。


「……うーん、なんて言ったらいいかな。リドルって規律に厳しいだろ。だからハーツラビュルの寮長として相応しいんだけど、ちょっと足りてないところがあるというか」
「足りてない?」
「あー、そうだな、視点が抜けてるって言った方がいいか。ルールを守らせる事は大切だけど、それ以前にルールを覚えなきゃ守れるものも守れないだろ」
「ああ、そういう事か」


 少しだけ要領を得ないカリムの説明でもジャミルは理解したらしく、そういう事か、と頷く。
 カリムもジャミルも、今まで何度かアジーム家の弟妹に役立つ勉強を教えてきた。だからこそ、勉強を覚えられない人間に対する接し方もちゃんと知っている。しかしカリムが見たところ、リドルはそれをよく分かっていない様に思えたのだ。
 まあ、後はそれをどうやってリドルに伝えればいいか、という話である。


「どういう事かお聞かせいただいても良いかい」
「お! リドルじゃないか」
「キミが珍しくボクの話題を出していたものだからね。で、ボクに何が足りないと?」


 噂をすれば影。朝食をトレイに乗せたリドルが、カリム達の座るテーブルへとやってきた。一見和かな顔付きのリドルだが、口の端が引き攣っている。カリムの己を否定するかの言い方に、リドルは割と苛ついていた。キレてないのはカリムがスカラビアの寮長であるからで、ただの寮生だったらとっくにブチ切れている。
 おっと、これは誤解を受けているぞ。そう思ったジャミルがカリムにアイコンタクトすると、分かってるよと言いたげに頷いたカリムが、リドルに対して自分の隣の席を指さした。一緒にご飯を食べながら話をしようぜ、という訳である。
 言い訳を聞いてやろうじゃないか、といった気分でリドルはカリムの隣に座った。……それにしても、朝から味が濃いであろうケバブなんてよく食べれるね。躊躇なくケバブ……つまりはシャーワルマーに齧り付いているカリムとジャミルを見て、リドルは少しだけ慄いた。


「リドルは勘違いしてるんだ。いいか? リドルより周りの人間は馬鹿なんだぞ」
「…………は?」
「おいカリム、もっとオブラートに包め」


 突然明け透けにモノを言い過ぎだ、この馬鹿主人。あっけらかんとした表情でそんな事を言い放ったカリムにジャミルの顔が引き攣る。いくら事実だとしてももう少しオブラートに包め。
 爆弾発言をかまされたリドル・ローズハートは、まさかカリムからこんな発言が飛び出すだなんて全く思っていなかったのであろう。珍しく目を見開いて、ポカンと口を開けてカリムを凝視していた。
 突拍子もないカリムの言動……いやまあ筋は通っていると言えば通っている言動に、慣れているスカラビア寮生ならいざ知らず、リドルはカリムと殆ど関わって来なかった生徒である。それなのにこの発言を打ちかまされれば、思考停止してしまうのも頷けた。もう少し優しい言い方は出来ないのか。


「俺はたまに勉強とかしてる時間がなくて満点取れない事もあるけど、リドルとかジャミル、アズールは基本的に試験で満点取ってるだろ」
「あ、ああ。そうだね」


 急に話が飛んでないか、とリドルは首を傾げる。寮長会議などで理路整然とした話し方をしているカリムのイメージが強いからか、今の様にぽんぽんと飛んでいく話にリドルは全くついていけていない。
 ボクが足りていないと言っていた理由を知りたいのに、どうして周囲が馬鹿だと言ったりテストの話になるのだろうか。カリムが真面目に話しているのは分かるのだが、リドルはイマイチ納得できていなかった。


「でも他の奴は満点を取れていない。つまり、普通は満点なんて取れないんだ。100点を取る方が珍しい」
「……そんな事は分かっているよ」
「そうか? リドル並みに勉強している生徒がいたとしても、満点は普通取れないんだ。"覚えられない"から」


 シャーワルマーを口に突っ込むのをやめたカリムが、強調しながら言った言葉をリドルは小さく繰り返した。覚えられない、と。リドルからすれば全く縁のない言葉だ。
 ……そう、普通は覚えられないのである。なまじ優秀であるがゆえに母の期待に応え続けられたリドルは、覚えろと言われたものは一も二もなく覚えられてしまう。けれど普通は口に出して読み、何度も書き取りをして。それだけやっても覚えられない人間は覚えられない。どうにかして覚えたとしても、暫くすれば忘れてしまう場合が殆どだ。
 覚える事を苦としないリドルは、ハートの女王の法律を守らない事に苛立ちを隠せていないのだが、そもそも寮生達は全810条もある法律が覚えられない。覚えられないから、法律を守る事ができないのである。
 誰だって魔法を封じられるリドルのユニーク魔法の餌食になりたくないから、必死にハートの女王の法律を守っているけれど、そもそも覚え切れていないから法律を破った時に自覚すらできない。


「俺もジャミルも一回見たものは大体全部覚えてる。でも、普通は覚えられない。覚えなくちゃならない、って自分を追い詰めても覚えられない奴はいるんだぞ」


 優秀だからこそ気付かない事柄だ。自分よりも劣る弟妹に色々と教えていたカリムは、覚えたくても覚えられない人間がいると知っていて。……逆に友人と呼べる誰かに勉強を教えたりする、という事をしてこなかったリドルは知る事が出来なかった。


「つまりキミが言いたいのは、女王の法律を覚えたくとも覚えられない生徒に対する配慮がない、と?」
「リドルは元々優秀だから、覚えるべきものを覚えるってのが当たり前なんだろうけど、罰則があると分かっていても覚えられない奴はいるんだ。そういう奴は今のハーツラビュルで過ごすのは大変だろうと思う」


 落ちこぼれと言うわけではない。ナイトレイブンカレッジという名門校に入学する資格のある、優秀な生徒だとしても向き不向きということもあるだろう。実技は得意でも、座学は不得意だったり。その逆も然りだ。カリムの言いたい事を理解できた。確かに彼の言う通り、覚えられない生徒への視点が足りていなかったな、とリドルは軽く頷く。
 けれど、と彼は考える。[[rb:規則 > ルール]]を覚えられない様な正しくない生徒に、どう配慮しろというのだろう。ボクが正しいのに、ボクが正しいから首をはねて分らせているのに、配慮?


「……ボクに首をはねるのをやめろと言いたいのかい?」


 剣呑な雰囲気をリドルが醸し出す。ルールを守れない生徒は首をはねる、これが正しい自分の行う規則破りに対する罰だ。それを配慮するということは、首をはねるなと言っていると同義である。……他寮の寮長といえど、結局あの新入生達の様にボクを否定するのか。視界の端でジャミルの目線が鋭くなっているのに気付きながらも、リドルはカリムを睨め付けた。
 一方カリムはため息を吐くのをどうにかこうにか抑えていた。俺が言いたいのはそうじゃないんだよなぁ。別にカリムはリドルのユニーク魔法の使い方を否定している訳はない。そもそもリドルを否定するつもりもなかった。
 カッと怒りで沸騰しているリドルを見て、どうしたもんかとカリムは頭を捻る。折角、話の掴みの部分で突拍子もない事を言って、お怒り気味のリドルをカリムのペースに乗せたのに、振り出しに戻ってしまった。


「なんでそうなるんだよー!」
「んむっ?!」


 とりあえずはリドルの気を逸らせよう。怪我しない様にスプーンに乗せた肉をリドルの口に突っ込み、カリムは彼の様子を伺った。突然の暴挙にリドルは目を白黒させたが、一旦口の中のものを咀嚼する事にしたらしい。
 様々なスパイスやヨーグルト、塩で味付けされたローストビーフ。それを食べやすくスライスしてオリジナルのタレが掛かっているシャーワルマーは、素直に美味しかった。カリムに文句を言いたいものの、噛めば噛む程味に深みが増していく為すぐに飲み込むのも勿体ない。不機嫌そうな顔のまま、リドルはきゅっと口を結んで肉を味わっていた。


「落ち着いたか?」
「……落ち着きはしたけれど、突然人の口に肉を突っ込むのはやめてくれないかい」
「でもあのままじゃリドルは話聞いてくれなかったろ」
「そ、それはまあ、確かにそうだけれど」


 少しだけ決まりの悪くなったリドルはカリムから目を逸らし、先程己を睨み付けていたジャミルを見遣る。彼は何でもない様な澄ました顔でシャーワルマーを食べていた。
 

「すまないね。続きを聞いても?」
「よしきた。つまりは規則を覚える事と、規則を守る事を分けて考えればいい。厳格な精神に基づく寮に寮分けされた生徒たちだし、規則を覚えられさえすれば自ずと規則を守るだろ。じゃあどうすればいい?」
「…………。規則を覚えられる様に工夫する。もしくは、覚えられなくても規則を守れる様にする……だね」


 覚えられないのなら覚えさせればいい。それでも覚えきれないのなら、覚えてなくても規則を守れる様に、掲示なり何なりをすればいい。ただ罰則を与えるだけよりも、寮生達の意識を向上させるならそっちの方が効果的だろう。
 ……ただ、ここにカリムの誤算が一つあった。彼はスカラビア寮の寮長であるが故に、ハートの女王の法律の内容を殆ど知らない。リドルが厳守する法律そのものが、ほぼ全て理不尽の塊だと知らないのである。
 寮生の殆どがこんなもの守ってたまるか、なんて思っているとは露とも考えていなかった。


「初めは、キミがボクに対して間違っていると言いたいのかと思っていたんだ。謝罪しよう」
「いや、いいよいいよ。そもそも女王の厳格な精神に基づく寮の寮長として、リドルはこれ以上なく正しいだろ」
「ふふ、ありがとう。……確かに、キミの言う通り出来ない人間に対する視点が抜けていたね。毎日のルールを把握するのに効果的な方法を、これから考えてみるよ」


 穏やかな様子でそう言ったリドルに、カリムは満足そうに頷く。ハーツラビュル寮生はリドルを怖がっている様だが、話せば分かる奴なのになぁ。現に今も自分の正しさを疑っていないものの、より良くする意見なら彼は柔軟に取り入れている。
 ……リドルに寄り添って言葉を交わす人間が居たならば、もう少し頑固じゃなかったかもしれない。やっぱり隣に立つ人間は大切だな、なんてカリム達の会話を側で聞いていたジャミルは思った。


「今日はとても有意義な朝の時間を過ごせたよ。ありがとう、カリム。ジャミルも2人の時間を邪魔してすまなかったね」
「また合同授業とかでなぁ」


 パッとカリムが手を振ると、リドルもにこやかに手を振り返して立ち去っていった。そのまま残るシャーワルマーを食べきり、水を飲んで一息ついたカリムが一言。


「……俺、結局リドルの負担増やしただけな気がする」
「そうだな」


 リドルが大変そうだと言ったその口で、彼に"規則を覚えられない寮生でも規則を守れる方法を考えればいい"なんてアドバイスをしたのである。リドルの仕事を増やしてどうするのだ。


「あーっやっちまった!」


※※※


 数日後、ジャミルが持ってきた情報を聞いたカリムは、飲んでいた水を吹き出した。そしてゴホゴホと咽せて涙目になっているカリムに、ジャミルがタオルを差し出す。


「オーバーブロット?! はあ?!」
「まさか学園内でそんな事が起きるなんてな。しかもその場には学園長が居たらしい」
「ええ……。何してんだよ学園長」


 教育者としてどうなんだとツッコミを入れたいが、オーバーブロットが起きた状況によっては仕方ないのかもしれない。カリムもジャミルも実際にその場にいた訳ではないのでなんとも言えなかった。


「リドルの見舞いに行った方がいいかな」
「今は手紙ぐらいにしておけ」
「ん。……寮生の不満とリドルの不満が爆発、かぁ」
「スカラビアは大丈夫だから安心しろ」


 お前が頂点に立っているのに不満を持つ人間なんていてたまるか。口には出さずに、内心ジャミルはツッコんだ。同年代ながらも一財産を築き上げているカリムの下に付けるのだから、将来的に役立つであろうコネを得られてスカラビア寮生達は皆大喜びである。中にはカリムの従者……ほぼ側近みたいなものであるジャミルにまで従属を願い出る生徒もいた。
 敵対者には冷酷でも、身内には甘いカリムの懐に入れるチャンスが寮生には五万とあるのだ。皆ここぞとばかりにカリムにアピールしているのに、不満が湧くはずがない。


「お前は不満ってないか?」
「カレー」
「しつこい!!!!」


 後日、カリムが送った手紙の返事には、なんでもない日のパーティーの招待券が入っていた。


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