Prologue

 スカラビア寮寮長に任命されたカリム・アルアジームの日常には危険がいっぱいである。副寮長になったジャミルが彼をフォローしたり、彼自身が暗殺者に気付いて事なきを得ているが、正直に言うと寮長なんてやっている暇がない。ましてやカリムは熱砂の国の国王や豪商相手に商売をしている身である。
 出来る事ならカリムは寮長なんて辞退しようとしていたのだが、ここで彼の実家から学園に圧がかかった。多額の金を支払ってカリムを寮長にしろと言ったのである。……まあ、それ以前にスカラビア寮の寮長に相応しい人間がカリム、もしくはジャミルしかいなかったので学園長としてはその賄賂はラッキー程度のものだったが。
 実家からの圧力に反発するにしてももう少し賢いやり方じゃないと、カリムの商売が潰される可能性がある。なのでしょうがなくカリムは寮長になって、その補佐の副寮長の席にジャミルが座った。……だからと言ってカリムとジャミルの忙しさが変わるわけでもない。

 なので、スカラビア寮には独自の組織構造が作られることとなった。トップに寮長を据え、ほぼ同権力の副寮長がそのすぐ下に。そして各学年1名ずつ代表を選出し、副寮長の下につけた。学年代表者は寮長と副寮長の指示を素早く寮生に伝える事が使命である。また寮の部屋毎の代表も決めて、確実に末端まで指示が通る様にしていた。
 この指示をカリムがはじめに出した時は反発が起こるかと杞憂していたものの、寮生はカリムが色々なところに飛び回っている事を知っていたので案外すんなりと受け入れられた。というよりむしろ思慮深いスカラビア寮生からすれば、組織立った構造は大いに歓迎できるものである。将来社会に出る事を見据えたならば、学生の内からこうした統一された構造に慣れていた方がいい。このナイトレイブンカレッジにしては珍しい事だが、スカラビア寮生達は協調性を多少なりとも持っているので、そういった行動は苦ではないのである。
 部屋の代表を狙ったり、学年の代表を狙ったり。程々に上昇志向を刺激されてやる気の出やすい環境になったスカラビア寮は、新学期から皆のやる気が段違いであった。


「今年はどんな奴がスカラビアに来るんだろうなぁ」
「変な奴じゃなければいいんだが……」
「クルスームの息がかかった奴とかな」
「あと第四夫人のところも最近キナ臭いし、そこもだろう」


 いい加減にカリムの命を狙うのを諦めてもらいたいものだ。かれこれ10年以上カリムを狙い続けている第二夫人の実家、クルスームなんて滅んでくれ、なんて思いながらジャミルはガシガシと頭を掻き毟る。
 1匹見つけたら30匹はいると言われる例の虫の如く、カリムを狙う暗殺者はいるのだ。多すぎて嫌になるほど多い。あまりにも湧いて出るので、カリムの現状を心配し過ぎている熱砂の国王が王宮の兵士をカリムの護衛に付けようか、と打診すらしてきた。確かに兵士がいればジャミルの負担は減るが、学園に兵士なんて連れてこれば他の生徒達が萎縮してしまう。それに他所の王族からケチを付けられる可能性もあったので、国王からの申し出は辞退させてもらった。


「ジャミル。今から入学式なんだから髪ぐちゃぐちゃにしたらダメだろ」
「あっ」
「もー、何してんだよ。疲れてんのか?」


 ヒョイっとカリムがマジカルペンを振るうと、乱れてしまったジャミルの髪が綺麗にセットされた。そのまま式典服の裾を引っ張られて、服のシワも伸ばされる。主人に従者の身なりを整えさせてしまった、と多少落ち込んだジャミルだが、カリムのターバンが歪んでいるのを見て気を持ち直す。俺は世話されっぱなしじゃないぞ。彼はカリムの頭に手を伸ばし、片側が捲れているターバンを結び直した。
 ああ、やはり紫色という高貴な色はカリムによく似合う。喪服みたいだと言って黒い色の服を着たがらないけれども、カリムに荘厳な雰囲気を与える黒い服をジャミルは好んでいた。


「うぅん」
「急に唸ってどうした」
「ジャミルの髪伸びたなぁって思って。新しい髪紐用意しようか?」
「俺は結構これ気に入ってるんだが……」


 美しいガーネットに、何処で手に入れたのか分からぬ"ガルダ"の羽根付きの髪紐。この髪紐は願掛けも兼ねて髪を伸ばしているジャミルに、誕生日プレゼントとしてカリムが初めて買ってくれたのだ。ジャミルは火の魔法が得意だしガルダの羽根がぴったりだ、なんて。
 家が建てられる程の値段のものをそんな理由でプレゼントされたジャミルは、それ以来この髪紐を宝物として扱っていた。けれども、使い続けていればいつか壊れる日が来るだろう。丁寧に手入れをしているものの、ガルダの羽根には貰った当初の様な艶は無くなっていた。
 カリムもそれに気付いていたからこその、この発言だ。ジャミルの首元に手を伸ばし、思案顔で髪紐にくっ付いているガルダの羽根を指で弄んでいる。保存魔法を重ね掛けたお陰で、何年も使っているにしては美しい羽根。しかしそろそろガタがきている。ジャミルは気に入っていると言っていたから、またガルダの羽根を探した方がいいだろうか。そんな事を考えながら羽根を触り続けていたカリムだが、ジャミルに小突かれて目を瞬かせた。


「触りすぎだ。くしゃくしゃになったらどうしてくれる」
「ごめんって。でも毎日同じの付けてるのもなんだし、また新しいの見つけてくるよ」
「バカ高いのは要らないからな。適当に使えそうなのでいいから」
「えぇ……。俺、ジャミルには良いものを贈りたいのに」


 というより、カリム程の金持ちになると良いものしか買えない。安いものが売っている商店に、そもそも気軽に向えないのだ。自ずとグレートの高い店の高価のものしか買えないので、ジャミルの言うバカ高いものになってしまう。


「本当にただのヒモでもいいから」
「それはダメだ。ジャミルは綺麗なんだから相応の物を身に付けないと」
「お、お前、何できゅうにそんな」


 突然放たれた言葉にジャミルの声がひっくり返る。カッ、と頬に赤みが差した彼がカリムを睨み付けるが、カリムの方はどこ吹く風と言わんばかりにへらへらと口元を緩めていた。普段からおまえは凄いぞ流石だ、等とカリムに言われているジャミルだが、容姿を褒められるのはどうにも気恥ずかしいらしい。
 しかしまあジャミルという言葉が指す通り、彼は非常に美しい。ポムフィオーレの連中にだって負けてないぞ、とはカリム談。綺麗な人間を着飾りたいのは最早富豪の性と言っても過言ではないので、カリムはジャミルに高い衣装等をホイホイ買い与えていた。悔しいけど俺より背が高いからどんな服でも似合うし。ちくしょう。
 また、いつかピアス開けないかなぁ、と思ってカリム既にスピネルの付いたピアスも用意していた。


「照れてやんの」
「うるさい」
「親友からの褒め言葉だからありがたく受けとれよ、美人のジャミルくん」
「賢いジャミルくんって言え」
「え? 綺麗なジャミルくん?」


 揶揄い過ぎた様で、カリムの脇腹にジャミルのチョップが突き刺さった。


※※※


「……あっ」


 粛々と入学式が取り仕切られている最中、突如として鏡の間を飛び出していった学園長。何があったんだろうなぁ、とその様子を目で追っていたカリムだが、とある事に気付いて小さな声を出した。副寮長であるものの、カリムの従者として特別に入学式に参加しているジャミルはそんな主人の様子に気付いて、カリムが目線をやった方向へと目を向ける。
 ジャミルからすれば特に違和感も感じられぬし、カリムが何に気付いたのか検討もつかない。入学式中なのであまり褒められた行為ではないが、ジャミルは少しだけ身を屈めて後ろからカリムに耳打ちした。


「何があった?」


 自分をじぃと見つめるジャミルと目を合わせたカリムは、一度目線を寮分けの終えた新入生の列に向けてから、首をそらして背後にいるジャミルの耳元で囁く。


「マレウスがいない」
「…………あっ」


 思わず、といった具合にジャミルの口からも小さな声が漏れる。先程カリムが見つめた新入生の列……ディアソムニア寮に振り分けられた彼らの前に、上級生が誰1人いないのだ。まさか、入学式の案内すらマレウス・ドラコニアに送っていないのか?
 少し前にカリムが新寮長となった際に行われた寮長会議に、従者としてジャミルも参加したのだがそこにもマレウスはいなかった。その時カリムがディアソムニアの寮長は予定が合わなかったのか、と尋ねて初めてマレウスがいない事に周囲は気付いたのである。
 それと同じ事が今回の入学式で起きているらしい。マレウスがいつも普通に居ないから、あの存在感の塊の男に一周回って気付けないのだ。


「……リリアにメールできるか?」
「分かった。今からなら恐らくギリギリ間に合う……筈だ」


 周囲にバレぬ様に小声で囁き合い、ジャミルは素早くリリアへと入学式についてのメールを送る。式典服の用意も出来ていないだろうから、間に合うのかどうか。しかし学園長がどこかに行ってしまったので、その分猶予があると見ていいだろう。

 そうしてマレウスが現れるのを待ち構えている2人を他所に、入学式は着々と終わりに近づいて行く。新入生の列もだいぶ短くなってきており、残りは両手で数えられる程。
 入学式もう直ぐで終わってしまうぞ、とやきもきしている間にも新入生の寮分けが終わってしまった。……これは間に合わないな。


「さ、これで入学式と寮分けは終わりかな? いいかい新入生たち。ハーツラビュル寮ではボクが法律だ。逆らう者は首をはねてやるからそのつもりで」


 いやもう少し待ってくれ、とカリムが寮長たちを制止しようと声を出してみるが、皆それぞれ寮分けされた新入生たちに向かって思い思いに言葉を掛けている為、気付いてもらえない。
 リドル・ローズハートを筆頭に、レオナ・キングスカラーとアズール・アーシェングロットなどは、既に鏡の間を出ようと新入生たちを整列させていた。いや、流石に学園長を待たねばならないだろう。そう思ったカリムとジャミルが慌てて3人に声を掛けようとしたところ、別の声が上がった。


「それにしても学園長はどこに行っちゃったのかしら? 式の途中で飛び出して行っちゃたけど……」
「職務放棄…………」


 並び順的に隣で慌てた様子の2人に気付いたであろうヴィルが、やっと学園長の話題を出した。タブレット参加のイデアは何やらぼやいている。そう、学園長が不在だし、何より新たなディアソムニア寮生を率いて寮に連れていく生徒がいないのだ。カリムの他に誰か気付いたって良いだろうに、誰も気付かない。
 これはもう、大声で言うしかないか。そう思ったカリムが息を吸い込んで口を開いた瞬間、バタンと大きな音を立てて鏡の間の扉が開かれた。学園長が戻ってきたのである。……何やら珍妙な生物を持って、新入生らしき人物を引き連れながら。


「ちょっと待ってください!」
「あ、来た」
「まったくもう。新入生が1人足りないので探しに行っていたんです。さあ、寮分けがまだなのは君だけですよ。狸くんは私が預かっておきますから、早く闇の鏡の前へ」


 有無を言わさず新入生の寮分けを始めた学園長に、カリムは開いた口を閉じるしかない。あと少しでディアソムニアと言えたのに……! と口をへの字にしている主人を、ジャミルが小突く。折角の新入生の前で拗ねた顔なんて見せるもんじゃないだろう。
 あの新入生の寮分けが終わった後、学園長にディアソムニア寮長の不在を伝えれば便宜を図ってくれる筈。いくらあの学園長と言えど流石にそれくらいは……。と、そこまで考えたジャミルは、いや無いなと小さく溜息を吐いた。学園長の事だから、カリムや己がディアソムニア寮長の不在を伝えれば、2人にこれ幸いとディアソムニア寮生の引率を命ずるに決まっている。そういうタイプの人間だ、学園長は。
 面倒だなぁと思いながら最後の寮分けを眺めていたジャミルは、しかし中々寮の名前を告げぬ闇の鏡に首を傾げた。彼の目の前に立つカリムも同じように首を傾けている。……あまりにも遅くないか?


「………………わからぬ」


 はぁ? と声には出さぬものの目を見開いて驚くジャミルと、キョトンとした顔で少し後ろを振り返ったカリムとの目が合う。ちらりと周囲を伺えば大なり小なり皆一様に驚いているし、そもそも学園長も素っ頓狂な声を上げていた。


「この者からは魔力の波長が一切感じられない……色も、形も、一切の無である。よって、どの寮にもふさわしくない!」
「えぇ…………」


 今度こそカリムは困惑の声を上げる。周りも似たり寄ったりの反応で、皆一様に闇の鏡の前に立つ生徒を当惑の目で見つめた。
 いや、おかしいだろう。魂の資質に対応する寮に振り分けられるのだから、魔力がなくったって一応寮分け出来ないのか? カリムは小声でジャミルにそう耳打ちしてみたが、ジャミルも分からないようで首を横に振った。学園長の方もこんな事態は初めてらしく、大いに取り乱している。
 混乱するのは良いが、鏡の前に立っている件の生徒の顔を見たらどうだろうか、とジャミルは思う。彼は、僕は全く訳が分かっていません、という顔をしている。生徒のケアも教師の役目だろう、どうにかしてやれ。

 ジャミルの呆れを含んだ目線など露知らず、原因不明の"魔力の無い者を黒い馬車が迎えに行く"という事象に頭を悩ませるディア・クロウリーだが、頭を抱えているうちに更なる問題が発生した。拘束が緩んだ隙に狸もどきがクロウリーの手を逃れたのである。


「だったらその席、オレ様に譲るんだゾ!」
「あっ待ちなさい! この狸!」
「そこのニンゲンと違ってオレ様は魔法が使えるんだゾ! だから代わりにオレ様を学校に入れろ!」


 自由になった狸もどきが鏡の間を跳ね回り、これでもかと自己主張し始めた。とりあえずクロウリーが彼を追っているので寮長たちは静観しているが、一応いつでも狸を捕まえられるように構えている。後ろにいる新入生たちを守る為だ。
 が、困った事に新たなディアソムニア寮生の前には、彼らを守る上級生がいないのである。あとイグニハイド寮生の前にも、タブレットが浮いているだけで誰もいない。ちゃんとマレウスを呼ばないからこういう事になるんだ、とカリムとジャミルはアイコンタクトをして、ジャミルがディアソムニアとイグニハイドの列の前に立った。
 本当はカリムから離れる事をしたくは無いが、駆け付けようと思えばすぐに駆け付けられる距離である。有事だから仕方あるまい、とジャミルはどうにか自分を納得させていた。


「魔法ならとびっきりのを今見せてやるんだゾ!」
「みんな伏せて!」


 リドルの叫び声と同時に狸の魔力が膨れ上がり、辺り一帯に青い炎が撒き散らされる。ジャミルは冷静に防御魔法で炎を逸らし、カリムは得意の水魔法で炎を打ち消す。他の寮長達もそれぞれ己や寮生達に降りかかってきた火の粉を蹴散らしていた。学園長は……とジャミルが目をやると、一瞬で火の海になった鏡の間に絶叫している。まあ無理もない。大事な式典の最中に火事など、学園長からすれば悪夢でしかないだろう。


「あの……ジャミル氏……」
「どうかしましたかイデア先輩」
「寮生を庇ってくれたので、その……」
「ああ、貸し1です」
「ひえっ」


 カリムや己のいる方向へとは逃げてこない狸を見つめていると、ふよふよと宙に浮いたタブレットがジャミルへと近づいてくる。そんな彼にジャミルは思い付きで"貸し1"だと言ってみたのだが、思いの外良い反応を得られた。画面の向こうの人物の表情は窺い知れぬが、きっと貸しと言ったジャミルに心底怯えているのだろう。器用にもタブレットをガタガタ揺らしながら、イデアはジャミルの側から離れて寮生達の元へと戻っていった。
 そんな風に会話している間にも、狸が撒き散らす炎は勢いを増すばかり。学園長が狸を捕まえれば良いのでは、なんてジャミルは思ったのだが、どうやら学園長は魔法の使えないらしい例の生徒を庇っていて動きが取れない様だ。学園長ともあろう者がその程度で狸を捕まえられないとは思わないが、彼が動かないのではあれば生徒でどうにかするしかない。


「こら、あんまし暴れんな」
「ふな゙っ?! きゅ、急に水が出てきたんだゾ!」


 カリムがマジカルペンを一振りすると、どこからともなく現れた水が炎を鎮めていく。生徒の服が濡れぬ様に精密な魔力操作で確実に炎を打ち消し、終いには件の狸の周囲を水が渦巻く様は流石の一言であろう。
 狸はどうにか自分を閉じ込める水の渦から逃れようと更に炎を撒き散らすが、吹き出した側からカリムの水魔法により青い炎が消えていく。


「リドル、この狸の魔法を封じてくれないか?」
「オレ様は狸じゃねーって何度言わせるんだゾ! 偉大なる魔法士になる男・グリムとはオレ様のことだゾー!」
「キミのおかげで手間が省けたよ、カリム。さて…………『首をはねろ』!!」


 狸……本人は狸じゃないと言っているが、彼の首にリドルのユニーク魔法の枷が掛かった。そうなればもう安全だろう、とジャミルはディアソムニア生やイグニハイド生達の前から、カリムの背後へと戻っていく。魔法の使えなくなった小動物がここに居る面子をどうこう出来る訳がないのだ。
 問題無かったか? 大丈夫だったぞ。などとカリムとジャミルがこそこそと話している間に、あの狸は再度学園長に捕まっていた。どうにかして炎を出そうとしているのか、狸は頬を膨らませて息を吹き出している。その程度でリドルのユニーク魔法が破れる訳でもなし、悪戯に体力を消耗しているだけだった。


「どうにかしてください! 貴方の使い魔でしょう!?」
「あの……ええっと……僕は……」
「学園長。彼には魔力が無いとのことなので、その狸を使い魔に出来るとは思えないのですが……」
「あっ…………言われてみれば確かにそうですね……。ごほん。では、狸くんは学園外に放り出しておきましょう。鍋にしたりはしません。私、優しいので」


 頼みましたよ、バイパーくん。学園長の問いに必死に首を横に振っていた生徒を見兼ねてジャミルは口を挟んだのだが、却って面倒ごとを学園長に押しつけられてしまった。手元に放られた離せとぎゃんぎゃん騒ぐ狸を見下ろし、それからジャミルはカリムを見つめる。カリムは肩を竦めていた。……まあかわいそうだが、この生き物が侵入者であることは変わりない。
 出来る限り傷がつかない様に風魔法の応用で空気の膜を作ってやり、ジャミルはその生き物を窓から魔法で放り投げた。ぶな゙っ、と謎の鳴き声が尾を引きながら彼は虚空へと消えていく。

 その様子を見届けた学園長は、パンッと手を叩く。皆の意識が彼に向けられた。


「少々予定外のトラブルはありましたが、入学式はこれにて閉会です。各寮長は新入生をつれて寮へ戻ってください。……ん? そういえば、ディアソムニア寮、寮長のドラコニアくんの姿が見えないようですが……」


 学園長の言葉に皆ざわつき始める。新入生は、かのマレウス・ドラコニアが本当にこの学園に通っている事に驚き。寮長達はいつもの如く式典に参加していないマレウスに対して、好き勝手な事を言っていた。
 多分もうすぐ来るんだよなぁ、などと言い出せる雰囲気ではないのでカリムとジャミルは黙ってその様子を眺める。
 自分もマレウスがいない事にすぐ気付けなかった身ではあるが、どうしてあんなに存在感のある奴に行事などの通達を忘れるのか。そもそも、寮長会議などの開催日時を伝えるのは学園側の仕事だろうに。それを忘れて、すっとぼけた様にマレウスの不在に驚く学園長の方がよっぽど"狸"だな。半眼で学園長を見つめて、カリムはそんな事を思っていた。

 と、その時だ。鏡の間の入り口にライムグリーンの燐光が集まり始める。そしてキラキラと輝くそれらがある程度集うと、一際大きく煌めいて光が弾けると同時に、ヒトに有るまじき角を生やした長身の男が鏡の間に現れた。マレウス・ドラコニアである。
 転移魔法で現れた彼に気圧されてか、皆一様に押し黙っていた。


「式典は終わったか、アルアジーム」
「あー……さっき終わっちまったな。今から寮長が新入生を寮へ案内するんだ。連絡が遅くなって悪い」
「いや、知らされないよりも随分とマシだ。礼を言おう、アルアジーム。そしてバイパー。あとで褒美をとらそう」
「礼とか褒美とかもいらないぞ。行事の有無を伝えるのは普通の事だろ」
「……そうか」


 カリムがマレウスを呼んだと知るや否や、レオナ・キングスカラーが物凄い形相でカリムを睨む。その視線を無視して、カリムはマレウスと和かに会話を続けた。……代わりに、と言ってはなんだがジャミルがレオナを睨め付ける。手を出すようなことはないと分かってはいるが、己の主人を睨むなら許さんという意思表示だ。
 クロウリーもまさかマレウスが登場すると思っていなかったので、カリムとマレウスの会話をポカンとしながら聞いていたが、ハッと我に返って寮長達に指示を出す。式典は終わったのだから帰ってもらわねば困る。"魔力のない人間"を一刻も早く元の場所へと送り届けてやらねばならぬのだから。


※※※


 新入生歓迎の宴も終わり、魔法でパパッと片付けをしたカリムとジャミルは、カリムの部屋の床に寝っ転がっていた。


「結局、褒美貰っちまったな」
「茨の谷にしか生えない薔薇か……」
「要らないって言ってるのに、リリアまで無理やり渡すなんてなぁ」


 床の上をゴロゴロと転がりながら、カリムは唸る。別に褒美が欲しいとか、感謝して欲しいだとか思ってリリアに連絡したわけではないのだ。普通に寮長が居ないと拙いと思ったから、カリムはジャミルにメールをさせたのである。


「なあ、あの狸結局どうしてるんだろうな」
「……というより、あんな生物の侵入を許すなんてこの学園のセキュリティはどうなってる。去年一新したって学園長が言ってたのに」
「あいつがちっちゃ過ぎて、学園の警備網に引っかからなかったんじゃないか?」


 がばりと床から起き上がったジャミルは、若干不貞腐れた顔で悪態を吐く。去年1年間であまりにもカリムを狙う刺客が学園に侵入してきたので、アジーム家からの寄付の一部を使って警備を増やしたと学園長が言っていたのだ。なのに、新学期早々侵入者だ。ヒトではないけれど。
 今年は負担が少し無くなるか、と期待していたのにこれだった。いくらジャミルでも不貞腐れるに決まっている。


「最近第二夫人が躍起になってきてるし」
「お前を成人させたくないんだろ」
「うへえ」


 世知辛いなぁ。転がるのをやめて床に突っ伏したカリムの沁み沁みとした言葉に、ジャミルは深く頷いた。


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