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■ 02

それから一週間後のこと。今日も今日とて夜勤中暇を持て余しながらも、終電のピークの時間帯を過ぎた疎らに入る客足に対応すべく、レジの前でぼんやりとしている時だった。

「高瀬さん。こんばんは」

入店してきた客の男が商品棚に向かう事なくこちらへ真っ直ぐに向かってきたかと思うと、レジ越しにそう声をかけてきた。
おや、誰だろう。知り合いだろうか、とビニール袋をいじっていた手を止めて顔を上げるとそこにいたのはマスク姿の男で。その身長の高さと特徴的な髪色、そして目元だけでわかる整った顔立ちに、瞬時に一週間前の出来事がフラッシュバックしてあっと声を上げた。
あの時の、缶コーヒーを差し入れしてくれた怪しげな格好をした男だ。先週もそういえばこの曜日だった。やはり家が近所なのか帰り道の途中なのかわからないけれど、俺が今まで気が付かなかっただけでよくこの店を使う常連だったみたいだ。
そう考えると先週は不審者と勘違いした挙句、そっけない態度をしてしまった。それは非常に失礼でありとても申し訳ない事をした。彼の登場に慌ててどうも、と頭を下げると男は嬉しそうに笑って「やっと覚えてくれたんですね」そう言った。
やはり俺が覚えていないことに気が付いていたのか、どうにも気まずくって誤魔化すように苦笑を漏らすと男は優し気に目元を綻ばせた。

「嬉しいです。顔覚えてくれて」
「あ…いえ…。あの、先週はコーヒーありがとうございました」
「ああ、いえ。あんな差し入れしかできなくて、むしろすみません」
「そんな。あのメーカーのコーヒーが好きで良く飲むんですよ、嬉しかったです」

客に自分の話をすることなんて中々ない。俺なんて不愛想な方だし、自分の話をするどころか酔っぱらいに喧嘩を売られる始末だ。客からの差し入れだって3年務めてきて初めての体験だった。彼との談笑があまりに慣れないもので、なんとなく照れながらも礼を述べると男は目を細めた。それは笑っている…というようなわけでもなく、かといって不快な表情というわけでもない、何か底の知れない瞳に目が離せなくなる。男の細めた瞳の奥では確かに強く俺を捉えていた。

「…それは、気に入っていただけたみたいでよかった」
「あ…はい。だから、その。先週はありがとうございました」

そう礼を述べると男はいえいえ、と人の良い笑みを浮かべた。顔の半分がマスクで隠されているとはいえ十分に伝わってくる彼の顔の良さと人柄の良さに、天は二物を与えずというがそんな事もないんだなとしみじみと思う。

「高瀬さん、ちょっといいっすか?」
「ん?」
「このクーポンってどうやって処理するんでしたっけ?」
「あ、うんそれね…あーっと、」

今月入ってきたばかりの新人バイトの男子大学生が、不意に隣のレジからそう声をかけてきた。そのまま彼の隣まで行って説明しようとするが、そうすると客の男を放っておくことになってしまう事に気がつく。慌てて男に目を向けると彼は俺の視線に何かを察したのか、どうぞ気にせんでええですよ、と微笑んだ。
やっぱりいい人だ。いやまあ、アラサーの男と話ししてても何も面白いことなんかないんだから引き止めるような人なんていないだろうけれど。
そしてその時点で初めて客の男に若干の訛りがある事に気が付くが、もしかして関西の方出身なのだろうか。今まで綺麗な標準語だったから全然気が付かなかった。男に対して妙な、親近感に近い何かを覚えながらも、隣で後輩に催促をされて慌てて頭を下げて後輩の元へ駆け寄った。

「んで?なに、どのクーポン?」
「これっすけど…バーコードついてないんすよね、もしかして受けちゃまずい奴でした?」

不安げな表情をする後輩からクーポンを受け取る。確かにバーコードはついていないが、確かきちんと処理法があった気がする。3年も働いていれば業務に関してわからないことや出来ないことはほぼなくなるものだ。どうです?と耐え切れずに尋ねる後輩に一度目を向けて安心させるように小さく頷いた。

「大丈夫、できるやつ」
「ああー…よかった…、高瀬さんすごいっすね。何でもできるじゃないっすか」
「いやいや、なんでもは出来ないから。まあ滅多に出てくるクーポンじゃないから次やるとき忘れてるかもしれないし、その時はまた聞いてくれればいいよ」

丁度客足も途絶えているし良いタイミングだ。レジのキーを打ちながら後輩に説明をしていく。少し手の込んだ処理法だから俺もはじめは覚えられなくって大変だったしクーポンを使う客の相手はなるべく避けたかった。それが今では後輩に教える立場なんて。考えるだけでもため息が漏れてしまう。

思いがけないところで時の流れを感じてしまい遠い目をした。20を過ぎたらあっという間、とはよく言うが本当にその通りだと思う。一体俺は30手前にして何をやってんのか……。クーポンから現在の自分の状況にまで考えが飛躍し、若干のブルーに浸っているところでふと、何か視線を感じた。

「……?」

処理の終わったレジから顔を上げると、パンコーナーの脇、ジっとこちらを見つめている先ほどの客と視線が絡まった。
マスクでどんな表情をしているのかは見えない、しかしその底冷えするような温度の感じない瞳に、言いようのない恐怖を感じて、無意識に喉が鳴った。背中が冷える。いつから、あんな目でこちらを見ていたんだろう。男は俺と目が合ったまま逸らそうとせず、そのままゆっくりとこちらへ向かってきた。

「レジ、ええですか?」
「あ…はい、えっと……」
「あっ、俺はもう大丈夫なんで!高瀬さんありがとうございます!」
「あ、ああ。えっと、…」

新人が軽い調子でそう言ってもう一つのレジへ向かっていくのを横目で見ながら、客の男がカウンターへ並べた商品をレジに通していく。伺うように男に目を向ければ、彼はまたいつも通りの優し気な眼差しに戻っていた。

「高瀬さんは素敵な先輩ですね」
「え?いや、そんな事ないです。……俺なんて接客態度も悪いし、雑務くらいしかこなせてませんし」
「そないな事ないです、素敵ですよ」

男性に、しかもこんな年齢になってこんな仕事をしている俺がそんな事を言われるなんて。顔に熱が集まっていくのが自分でもわかり咄嗟に俯く。男はそんな俺の様子に少し声を出して笑うと、また先週と同じようにビニール袋から缶コーヒーを取り出して、それを俺の手に手を添えて半ば無理やり握らせた。
彼の温かい手と冷たい缶コーヒーに挟まれた自身の手に不思議と熱が集まっていく。なんて事のないちょっとしたスキンシップにこんなにドギマギして、俺が女だったら確実に惚れているであろう。モテるだろうとは思っていたが、きっとレベルが違う。彼に恋をして涙を流した女性の数は数え切れないんだろうなと勝手に想像を膨らませて、勝手に彼に感服した。

「はいこれ、高瀬さんのお気に入り。今夜もお仕事、頑張ってくださいね」
「あ、ありがとうございます」

にこやかに手を振って店を出ていく男の後姿を見送る。
やはり、さっきの視線は俺の気のせいだったのだろうか。こんなに良くしてくれる人が睨んでくるようなことをするだろうか。いや、まさか。何か粗相でもしてしまったかと思ったが今の様子を見る限りそういうわけでもなさそうだったし、一体なんだったのだろう。
胸の内にもやもやしたものを抱えながら、何か気を紛らわすようにレジを適当に弄る。全部俺の考えすぎか。考えても考えても答えが出ず、諦め半分でそう結論付けた時だった。

「高瀬さん!高瀬さん!!今の人ってもしかして!!」
「えっ?あ、ああ。常連の人だよ」
「え!?常連なんすか!?あの白石蔵ノ介が!?」
「……ん?白石、って…知り合い?」

食い気味にすぐ隣まで駆け寄ってきた新人に気押されるように一歩引く。彼の通う大学の有名人とかだろうか、この熱量はただの知り合いとかそういうわけではなさそうだし。もしかしたらちょっとした有名人なのかもしれない、俺は知らないけれど。そんな俺の様子に、新人は信じられないと言いたげに目を剥いて大げさに感じるほど大きなリアクションで声をあげた。

「はあ!?あんた知らないんすか!?白石蔵ノ介、今を時めく若手俳優ですよ!!」
「あ…?俳優…?あの人が?」
「マスクしてて顔あんま見えませんでしたけど多分そうっすよ!」

うわーやっべえ、常連なの?また会えっかなあ。そう嬉しそうに、興奮気味に言う新人に、はぁ?と情けない声が漏れる。俳優?あの人が?いやまさか、こんな辺鄙なコンビニを俳優が利用しているだなんて、そんな事ありえるのか?いやどうせ、というか。新人は彼の素顔を見ていないんだし人違いか、もしくはそんな大したことのない俳優なのではないだろうか。新人の彼が言う白石蔵ノ介のアレコレを聞きながら、まあ確かに、俳優やモデルだと言われてもなんの疑いもなくそうなんだと思えるくらい綺麗な顔をしていたのは認める。そして俺が世間の流行に疎い事も。


「あ、高瀬さん休憩の時間っすね!ぜひ調べて見てくださいよ、びっくりしちゃいますよ!」
「ああ、んじゃ休憩もらうわ、なんかあったらすぐ呼んで」
「はーい、いってらっしゃいっす」






新人に見送られてバックヤードまで下がると、すぐにポケットから携帯を取り出して、検索画面に『白石蔵ノ介』の文字を打ち込んだ。
すると間もなく検索結果が表示されたのだが。

「まじかよ、」

ミルクティ色の色素の薄い髪と、切れ長の目。鼻筋が通り形の良い唇、口角は微かに上がる。誰が見てもこれ以上にない程整った顔立ちだと答えるその宣材写真は確かに以前来店した時に見たあの客の素顔そのもので。

「しらいし、くらのすけ…」

しかも俺でさえ聞いたことあるような輝かしい賞をいくつも受賞している。出演した作品だって世間に疎い俺でさえ知る程、世間を騒がせた様な有名なものばかりで、先程考えていたそんなに大したことのない俳優なんじゃないかという考えが急に恥ずかしく思えてきた。俺が無知なだけで、めちゃめちゃすごい人じゃん。まじかよ。
妙な興奮と焦燥感と何かが綯い交ぜになって気分が高まる。芸能人にはあまり興味はないが、それでも人並みにはそいうミーハーな部分もあることは否定できない。
次来た時、サインでも頼んでみようかな。なんて、流石に現金すぎるだろうか。休憩時間はいつも睡眠に充てていたけれど、今日ばかりは興奮で眠れそうになかった。

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