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■ 03

彼と初めて出会ったのは今から2年前のお話。
それは朝から冷たい雨が続き夜になってもその雨脚は弱まることのなかったある日の事で。

「白石さんはこちらからカメラに目線お願いします」
「……」

スタッフに指示された通りカメラに目を向けて役に入り込む。
今の俺は変人科学者の入間圭伍。どんな難解な問題も、事件さえも瞬時に解き明かしてしまう。入間圭伍は笑わない。泣かない。怒らない。入間には感情がないのだ。全てを客観的に論理的に解き明かし解決する。必要なら感情を作って見せるし不要ならそれらを全て捨てる。そこに無用な自分の感情はいらない。

「…はい、ばっちりです!いただきました」

フラッシュが何度かたかれた後カメラマンが満足そうにオッケーのサインを出したのにほっと肩の力を抜く。感情のない人間の役は簡単そうに見えて難しい。一発でオーケーが出たのは昨晩台本を読み込み、入間圭伍の人物像を考察した賜物だろうか。

これで今日の仕事はおしまい。今日は朝から動きっぱなしやったから、疲れた。家に帰ったらさっさと飯を食べて寝よう。

ようやく今までの下積みが報われるように、元々ぽつぽつとしかなかった仕事の予定も、最近ではいろいろな仕事が舞い込んでくるようになった。そのお陰で書き込みよりも空白の多かった予定帳は今はぎっしり埋まり始めている。
本日の予定最後のこの仕事も来期のドラマの宣伝写真の撮影だった。時間帯はゴールデンで主演は俺ともう一人、ベテラン俳優とされる人。きっと次のドラマで知名度はグンと上がり今よりずっと忙しい毎日になるだろう。いま、俺は弱音を吐いている場合ではない。

今日は何日かぶりに早く帰れるし、たまには自炊をしてもええかもしれへん。最近は食事に気を使う余裕も無かったから。

そんな風に考え、スタッフに頭を下げながらもスタジオを後にしようとしたところで、不意に声が掛けられた。

「白石くん!やっぱり君は最高だね!」

振り向いて一番に、ああ捕まってしまった。そう思った。にこやかに手を振りながら近づいてくるのは少し前、短編映画にわき役として出演させてもらった時世話になった監督だった。しかしなぜ彼がこんなところにおるんやろか、今回のドラマに彼は関わってはいないはず。
怪訝に思いながらも顔に笑顔を張り付けて、ああどうも!と気の良い青年の役を演じる。
今日は帰ってからの自炊は難しそうだ。

「お久しぶりです!一体どないしたんですか?」
「僕らも隣のスタジオで撮影しててさ。白石くんがいるって聞いたから見に来ちゃった」
「はは、わざわざ見に来てくださったんですか」
「まあね、なあ今度映画を作るんだ。ぜひ僕の映画にぜひ出てくれないかな?」
「ええほんまですか?そんな、もちろんですよ、ぜひお願いします」
「うんうん、また後日正式にお願いするだろうから連絡待っててね!そうだ、今日この後は暇かい?よかったらご飯でもどうかな」
「ええぜひ」

自炊どころか、日付が変わる前に帰宅できるかも怪しい。仕方あらへん、うんといいものを食べさせてもらおう。
それじゃあ何時に**駅前の***って店ね!そう早口に要件を伝える監督に、溢れ出そうな疲労を飲み込んで笑顔で頷いた。





タクシーの窓の外、過ぎていくネオンの灯りに目を向けながら全身に感じる疲労に深いため息を吐いた。腹は膨れたが気は休まらない、結局時刻も12時を回り既に深夜帯へと突入している。
しかしこういう積み重ねが次の仕事に繋がるのだから芸能界の繋がりとは馬鹿にできないもんである。それにあの監督は横パイプがとてつもなく広かったはずだ、今回の映画の件もそうだが近いうち他の監督にも紹介してくれるという話をしてくれたし、やはり飯を断るという選択肢は初めから無かった。これでええんや。もうじき、俺は今の非ではないほどに売れ始める。

しかしそうは言っても疲れたもんは疲れた。今日はもう風呂に入る気力も沸かない。車内、全身に程よく回るアルコールにぼんやりとしながらも、唐突に何か心に隙間風が吹いた。


「あー…味噌汁飲みたい……」

それも、手作りの温かい味噌汁が。
突如襲う虚しさはアルコールのせいか、それとも車に強く打ち付ける雨のせいか。
少し疲れた。今週はまともに休めていないから、きっとそのせいもあるんだろう。

「そこの…コンビニ寄ってもらえます?」
「かしこまりました」

手作りなんて贅沢は言わない。今はとにかく、インスタントでもいいから味噌汁を。





「味噌汁……売り切れ…?」

コンビニの陳列棚、値札はあるくせに目当ての物は一つもない。そんな、こんな事があるのか。そもそもカップ麺の類も一つも残らない陳列棚に、そういえば台風近かったなと気がつく。皆んな台風に備えて保存の効くものを買っていくのだろう。
あかん。なんでこういう時に限って…。流石にもう一件コンビニをはしごする余裕はない、諦めるしかないのか。襲う絶望感に目の前が真っ暗になった、その時だった。


「あの、味噌汁いります?」
「え…?」

目を向けると無精ひげを生やした眠そうな顔をした男が、にこりともせずに味噌汁を手に尋ねてきた。確かにその手の内には俺が今求めて仕方がないものが握られていて、つい物欲しげな顔をしてしまったが、知らん人から物をもらうなと幼いころおかんに耳が痛くなるほどに言われてきたのが今ここで思い浮かぶ。それはいい大人になった今でも、まるで呪縛のように纏わりつく。
中々受け取ろうとしない俺に何を思ったのか、男は訝し気な顔をして、ああ。と説明を始めた。

「なんか台風近いらしくって。カップ系のものは大体根こそぎ売り切れになっちゃったんですよ。これ、休憩中に飲もうと思って取っといたやつなんですけどよろしかったら」
「いや、でもそしたら……」
「ああ、俺はカップ麺で腹いっぱいになったんで別に大丈夫です。気にしないでください」

どうぞ、と言って味噌汁を差し出す男はやはり愛想笑いの一つも浮かべずにただ淡々と話を進めて俺が味噌汁を受けとるのを待っている。
ただ俺は、素直にそれを受け取っていいのかわからなくて困惑するだけ。

そういえば、今現在俺はマスクも何にもしていない。タクシーでそのまま帰る予定だったから、素顔は丸見えだ。ならば俺のファンやろか。誰もが知る、というほどの知名度ではないにしろ最近はそれなりに売れてきている。ファンではないにしろ顔を知られていたとしても何らおかしいことはない。
ああ、休まらんなあ。売れるってこういうことなんやな。わかっているつもりで全然わかっていなかった。心に暗い影が落ちていくのを感じながらも、俺は無理やり顔に笑顔を張り付けて礼を述べた。

「ありがとうございます。お礼と言っちゃなんやけど、サインでも書きましょうか?」

マジックとペンくらいコンビニにおいてあるやろ。そういう意味を込めて商品棚に目を向けた。味噌汁は飲みたかったから、ありがたく頂いていく。だから代わりにサインを。芸能人のサイン、欲しいやろ?
自分でも下衆だと思う。こういう時、何も考えずに受け取って礼を言える人間になりたかった。こういう無駄なことを考えるから疲れるのだ。

笑顔でどうです?と尋ねると、男は怪訝な顔をして、ぶっきらぼうに、はあ?と首を傾げた。

「サイン?いや、いりませんけど…。」
「……え」
「ものすごく悲しそうな顔で味噌汁って呟いてたから差し上げるだけなんで」

味噌汁もそんなに欲している人に飲まれたら本望ですよ、と続けて言う男は少しおかしそうに、笑って、突然のその表情に目が奪われた。あんなに無愛想な顔してたのに、いきなり笑うなんて。しかも、なんちゅう顔で、。まるで時が止まったかのように感じるが、それは一瞬のことだったようで、彼はすぐに笑顔を引っ込めると不思議そうな顔で俺をじっと見つめた。全て見すかすようなその瞳に、はっとする。
もしかしなくても、俺に声をかけてくれたのはただの親切やったっちゅーことか。っていうか俺の情けない呟きが聞かれてたというわけで。あかん、これめちゃくちゃ恥ずかしい奴や。
状況を把握して、羞恥で顔に熱が集まっていく。男の顔もまっすぐ見られずについ俯くと、何を思ったのか、男は突然俺の手を取ってぎゅっと握りしめた。

「!」
「はいこれ。休憩終わっちゃうんで失礼しますね。あ、会計は通してありますから。そんじゃ」

手を握られて心臓が跳ねた。やっぱりファンやったんかと気持ちが一気に沸き立つが、握られた手の内側には味噌汁が握らされてそれは違うということを知る。
男は早口で言いたいことだけ言って、俺の返事も聞かずにそのまま俺と味噌汁を置いてコンビニの奥へと消えていってしまった。彼のスピードについていけず呆けるが、お金は払ってある、やって?それは、なんというか。人様のものをもらうだなんて芸能人としてまずい気がする。後で揺すられたりしてとんでもない金額を請求されでもしたらどないしよ、味噌汁、返さな。そう頭では思うが体は動かない。握られた手は熱く熱を持っている。やる気のない、あの男が少し笑った顔が頭から離れない。あかん、なんなんこれ。めっちゃ、心臓煩い。

「……。」
「あ、お客さん。一回それ返してもらえます?」
「え?あっ、え?」

ボーっとする俺の手から味噌汁を奪っていくのは、先ほどの男で。えっ、なんなん一体。え、え?状況が把握できずに一人混乱する。男はレジの方へ速足で向かい、そこで何かをしてからまた俺の前まで戻ってきた。その手には変わらず味噌汁が。

「はい。シール貼っておきましたから」

あとはご自由に買い物でもしてって下さい。相変わらず不愛想なままそう言って、味噌汁を俺に押し付けて行ってしまう男に、もはやわけがわからない。というか服装変わってへんか…?彼の服装が先ほどまでと違うことに気が付く。いやいやしっかりせえよ俺。あの服装はこのコンビニの制服やないか。

「バイト…やったんか…」

持ち場に戻るよう、レジの内側へ行く男の姿に一人声を漏らす。

味噌汁に貼られた、なんて事のないただのシールがやけに愛おしく感じる。あかん、これあれやわ。好きやわ。レジの内側で欠伸を我慢する男の姿から目が離せなくなる。なのに、彼がこちらに目を向けると逃げるように視線を外してしまう。
今が深夜で、客が俺一人でよかった。こんな姿誰にも見せられへん。
高鳴る胸に先ほどまで感じていた疲労感は何処へ、どこか夢見心地な足取りで、必要のないおにぎりを手にとってそれをレジカウンターへと持っていく。
男は少し会釈をするとおにぎり一つをレジに通す。彼の視線がレジへ向いた瞬間に、すかさず胸元の名札を確認した。

「お会計110円です」
「あ、袋大丈夫です。あの、シール…ください」
「はい」

110円ぴったりを出して、シールの貼られたおにぎりを受け取る。彼の視界に入るだけで心臓が破裂してしまうのではないかというほどに煩く鼓動し、緊張で上手く声が出ない。
味噌汁、ありがとうございます。嬉しかったです。たったそれだけの台詞が、喉につっかえて出てこない。いつもなら、完璧にどんな役だって演じきれるのに。

「ありがとうございましたー」

結局俺は何も言えずに、恋心をしまい込むように会釈のみを残して、そのコンビニを後にした。


しかし彼への想いは日に日に増すばかり。今も俺は、あの日の彼の笑顔が忘れられないでいる。
高瀬さん。それが俺と彼との出会いやった。

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