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■ 07

「お会計780円です」
「……はい、これで」
「……20円のお返しです、ありがとうございましたー」

無言でお金を受け取ってレジに打ち込む。眠たそうな目、合わない視線、やる気のない挨拶。カウンターにそのまま放置されたカップ麺とおにぎりと温かいお茶が入ったレジ袋を手に取って、早々にその場を立ち去る。扉をくぐって外へ出ると軽快なメロディーが店内から俺を見送った。
夜の肌を刺すような寒さに身を縮こませる。一か月前と比べるとここ最近一気に冬らしくなった。今ではもうスーツの上に着るコートは欠かせないでいる。

「さむ……」

コートのポケットに手を突っ込んで少しでも、と暖をとる、指先が外の空気に触れないだけ幾分かましに思えた。
それにしたって接客態度の悪い店員だった。俺だってまだもう少しまともな接客をしていた。と数週間前の自分の思い出して、まあ、もしかしたらあれとそう大して変わらなかったかもしれないと思い直す。あれでは酔っぱらっていなくともいい気分はしないし、怒りたくなる気持ちもわからなくはないな、と過去の自分を情けなく思った。

俺がコンビニバイトを辞め、今の仕事について早1か月が経とうとしていた。
現在俺は小さな建設会社の営業マンをやっている。毎日残業続きで朝も早いが、仕事先の人たちは皆いい人ばかりで、思い切って就職してよかったと、心から思える毎日を送っている。
一か月前バイトを辞める際の事。俺の辞めた後の穴は大層大きかったらしく、辞める直前まで店長に考え直さないかと引き留められていたが俺がそれに応えることはなかった。結局今は店長が夜勤に回っていると風の噂で聞く。それから新人も、俺とほぼ同じタイミングであのコンビニを辞めたということも。
半ば押し切るように無理やり辞めたのでその節は周りに多大なる迷惑をかけた。そのせいで店長や他同僚に合わせる顔はないが、現在は実家から離れた、職場に近い場所にアパートを借りているので、まあ余程の偶然がない限り彼らと顔を合わすことはないだろう。そして、皮肉にも俺が独り立ち出来るようになった原因でもある、白石さんとも。

「……」

正直、あの時のことはもう考えたくもない。この1か月間、何も考えないでいられるよう、ただひたすら仕事に全てを注いだ。始めはいつ家まで追いかけてくるんじゃないか、連絡が来るのではないかで不安にびくびくと怯え暮らす毎日だったけれど、忙しい毎日でそんな余裕も三日と持たなかった。今ではその全てが悪い夢だったとさえ思えてくる。
テレビをつければCMやドラマだけでなくバラエティ番組にまで出ている白石さんの姿を見ない日はない。彼の顔を忘れたくても忘れられないのはそのせいだった。


コンビニから歩いて数分、ワンルームのぼろいアパートの一階が現在俺の住む家である。
隣人は毎晩夜遅くに帰ってきて朝も早い、俺とほぼ同じ生活を送っているし、上の階に住む人は12時が回った後に家を出て朝方、俺が目覚める前に帰ってくる。ぼろいので壁も薄い、生活音は丸聞こえで決して住みやすい物件とは言い難かったけれど、それでも俺にとってこの家は迫ってくる者も、口うるさく言う者もいない、安住の地他ならなかった。

そして今日も、誰も俺の帰りを待つことのない家に一人帰る。
十分だ。十分すぎるほどの生活を送っている。扉に鍵を差し込んで回す。そこで違和感に顔を顰めた、鍵が開いている。
実家にいたころは鍵を閉める習慣がなかったから、引っ越してきた当初はほぼ毎日閉め忘れていた。しかし最近は漸く一人暮らしにも慣れてきて鍵閉めも習慣化したと思っていたのに。まあ、別に取られて困るものも無いしな。とはいえこの生活にも慣れてきて早くも中だるみしてきているのだろう、明日からまた気をつけよう。疲れと共にため息を吐いて、ドアノブを回した。

「ただいまー」

扉を開き、暗闇に向かって言う。勿論返事は返ってこない。
内側から鍵を掛けて、営業用の書類が入った重たい鞄を玄関に置き、今日一日履きっぱなしだった靴を脱ぐ。ああ、疲れた。さっさと飯食って風呂入って寝よう。草臥れた身体にもう一度大きなため息を吐いて、上着を脱ぎながら、電気を点けた。

「……っ、!!!???」

心臓が止まる。俺のベッドの上、あるはずのない人影が転がっていたから。
不審者!?咄嗟にそう判断した俺はすぐさま家から出ようと目線はその人影から離さずにドアノブに後ろ手を掛ける。気が付かれる前に家を出て、警察に通報しなくちゃ。手が震える、ドアノブは回らない。緊張と動揺で手は汗ばみ掴むドアノブは滑ってしまう。カチャカチャと音を立てながら回らないドアノブを必死に回し続けて気が付く。ああっ違う、鍵閉めたんだった!そんな俺の焦りを余所に、人影は無情にも動き始めた。

「っひ、」
「……ん、ああ。おかえり、青くん」

青くんに匂い嗅いでたら寝てしもうた、そう言って目を擦りながらベッドから起き上がる人物に、今度こそ心臓が止まった。嘘だろ、なんで、ここに。
少し眠たそうな顔をしてぐっと伸びをする。完璧な彼のイメージからはかけ離れた、隙のあるその姿はまるでドラマのワンシーンを見ているかのようだった。
しかし、今の俺にはそんな余裕はない。目を剥き、音の出ない口をぽっくりと開いて、吹き出る汗もそのままに瞬きを繰り返す。え……、な…なんで、……なんで、なんで…なんで彼が、なんで、なんで白石さんが、ここに、なんで。どうして。
心臓が爆発してしまうのではないかというほど煩く鼓動する。口の中はカラカラに乾いて、指先は冷えていく。なぜ、どうして、一体何が。言葉が何一つ見つからない、俺は酷く動揺していた。

「毎日遅くまで大変やなあ……青くん、顔色悪いし、頑張りすぎとちゃうん?朝も早いみたいやし休みも週一やろ?青くんが倒れでもしたらどないしようって、俺ほんまにずっと心配で……」
「な……え……、な、…ん、で」

寝起きらしい、未だぼんやりした様子の白石さんはやっと会えた。そう言ってあどけなく笑った。
それに対して漸く絞り出た俺の声は小さくてその上掠れていて、到底白石さんの元まで届くような声量ではない。それでも彼はきちんと俺の声を拾い上げると、ベッドの上に腰かけて両手をついたまま、それはそれは嬉しそうに微笑んだのだ。

「当たり前やろ、友達なんやし」

また、それ。この男はどこまで、”友達”を理由にして俺を追いかけてくるんだろう。もううんざりだ。勘弁してくれよ。そう思うのに、恐怖で身体も口も動きはしない。怖い。何も持たないはずの俺に、こんなにも執着する白石さんが理解できなくて、とてつもなく、怖い。

「なあ、こっち来て。顔、見せてえや」
「……」
「青くん」

今日の昼の時間、会社の休憩室にて放送されていたドラマの再放送の主演だった彼が、ヒロインではなく現実に俺の名前を呼ぶ。愛おしそうに、切なげに呼ぶ名前は、誰のもの?
白石さんに呼ばれる名前が自分の物ではないような感覚に陥り動けないでいる俺はその場に立ち尽くすのみ。この部屋から逃げだすことも、彼を部屋から追い出すことも出来ず、ただ玄関で青い顔をして白石さんから目を離せないでいるだけ。
何が最良の選択か、どうすれば一先ず彼をここから追い出せるのか。必死に頭を回す。しかし何一つ良い案は浮かんでは来なかった。

「じれったいねんなあ」
「し、ら……」
「おかえり、青くん」

ベッドから立ち上がり玄関前、立ち尽くす俺の前まで距離を縮める白石さんは両手を広げておいで。と甘く囁く。冗談じゃない、此の期に及んでそんな、やはりこの男は頭がおかしいのか。そうは思っても口には出来ず、後ずさりをしてももうすぐ後ろは扉、逃げ場はない。
抱きしめられるなんて真っ平ごめんだ。彼の意識を逸らすに何かいい方法はないかと必死にない頭を絞る。対話。刑事もののドラマにはこれが欠かせない、そしてそれこそご見どころだと以前母が言っていた。今彼にこれが通じるかは甚だ疑問ではあったけれど、それでも一番ましな打開策に思えた。そしてそれは正解で、白石さんは俺の問いかけに広げていた手をゆっくりと降ろしたのだった。

「な、なんで、なんでここが……」
「ん?ああ、お母さんに聞いてな。黙って辞めてまうなんて酷い、ほんまに傷ついたわぁ」
「う、嘘だ……母親には、この場所は言ってない」

声が震える。母にはこの家の場所と職場はなんとなくは伝えてあるが詳しい住所までは教えてなかったのだ、それは万が一にでも白石さんに漏れる恐れがあったから。それに母にさえ鍵だって渡していないのに、なぜ家に入ることが出来たのだろう。考えれば考えるほど恐ろしくって体は動かなくなってしまう。白石さんは困ったような笑みを浮かべるが結局それに関して何も答えはしなかった。

「な、なんなんだよ……おかしいよ、あんた変だよ!!」
「おかしいことなんて何一つあらへんやろ。友達の様子見に来て何がおかしいん?ほんまはもっと頼ってくれてもええのに、寂しいわ」
「ふざけんな、!これ以上は……もう、出てけよ……本当に、もう……」

もう耐えきれなかった。恐怖と怒りが綯い交ぜになって感情はぐちゃぐちゃだ。なぜ体の震えが止まらないのかも既に自分じゃわからない。ただ、とにかくもうこれ以上は彼の顔を見てはいたくないのだけは確かで。
玄関の扉を指さす。勢いに任せてそこまで言い切ったおかげか、俺の中で不思議と逃げるという選択肢は消えていた。

「早く、出ていってください。これ以上は警察を呼びますよ」
「はあ……わかったわ。青くんがそこまで言うなら」

ため息交じりに呆れたように言う白石さんに心のどこかで酷く安堵した。よかった、これで大人しく出ていってくれる。芸能人に不祥事はまずいものだから、警察という言葉が効いたのだろうか。なんにせよ、これでやっと彼から解放される。
玄関を下り、素足のまま三和土(たたき)を行く白石さんとの距離は僅か数十センチ。もともとが狭い玄関だからこの場所に二人も成人男性かいるのはきつい。それに距離だって、寒気がするほど近い。慌てて距離を取るため室内の方へ行こうとして、腕が取られた。

「友達はおしまい、やな」
「え……、ぁ」

それは願ってやまなかったことで、非常に喜ばしいことのはずなのに。心臓が煩く鳴り嫌な汗が額に浮かぶ。掴まれた部分は燃えるように熱い。白石さんの整った顔が近づいてきて、

「っ、!!?」

唇が触れる。柔らかい感覚に、目を見開いて、それを理解したと同時に密着した体の隙間に手を滑り込ませて胸板を押し返す。
顔に熱が集まっていく。羞恥ではない、これは紛れもなく怒りだった。

「なんなんだよ、お前、何がしたいんだよ……!」

「友達って、もっと勝手のいいものかと思ったけど全然よくあらへんわ。友達じゃどんな理由つけてもキスもできへんし、やっぱ初めっからこうしておけばよかった思んねん」

「わけ、わかんねえんだよ、…あんた、なに考えてんだよ、気持ち悪いんだよ!出てけよ!」

壁が薄いのなんて知ったこっちゃない。頭に血が上って目の前が暗くなる、「あんな、あんまこう言う事言いたくないねんけどな」至って冷静に、落ち着いた様子でそう言う白石にこんなに激高する俺がおかしいのか?間違っているのは俺なのか?もう自分がわけわからなくて、おかしくなってしまいそうだった。

「あんな、この前君の家の前でハグしたやろ。あれな、週刊誌に抑えられてんねん」
「……は、?」
「もちろん言い逃れなんていくらでもできる。けど、それが出来るんは俺だけなんやで。もし俺がきみを恋人だと言ったらどないなるんやろ、お祝いされるかな、ゲイやって叩かれるかな。そしたらきみもそういう風に扱われる事になるんかな……?今は世間も割と寛大やから続けて仕事も出来るかもしれへんけど、どこ行ってもその話されるやろな、大変やな」

せやけど、世間から俺らが恋人って認識されるんって、最高やな。恍惚に顔を染めて、うっとりとする白石に身の毛がよだつ。ありえない、そんなの、あり得てたまるか。

「ふ、ふざけん……なんなんだよ、脅してんのか……?友達だったんじゃないのかよ、友達になろうってそっちが持ちかけたんじゃないのかよ、!!」

俺の半ば叫びに近い台詞に、白石は目を細めた。

「君が俺のすることは友達のすることちゃう、って否定したんやろ。俺はゆっくり、友達から縮めていくつもりやったのに」

「なんな…は?なんだよ、なんなんだ、わけわかんな……もしかして、はじめから、そのつもりで……」

白石は俺の問いに応えない。
ただ目を細めたまま俺の頬に手を添える。白石に触れられている、そう考えるだけで、まるで拒否反応を起こすように全身に鳥肌が立った。

「なあ青くん。俺と一緒に暮らそ?仕事やって別にしなくてもええ。ただ外に出たいっちゅうなら俺がいくらでも気にいる仕事なんて用意したるから」
「む、無理…無理に決まってんだろ……、そんなの無理だ…」

脅されたって何されたって無理なものは無理なんだ。抵抗しきれない自分の不甲斐なさと追い詰められた緊張感から心が乱れる。もう、無理だ。これ以上は勘弁してくれ。自分のキャパシティの限界に目に涙を浮かべながら、頬に添えられた手を振り払うことなく、ただ現実から目をそらすよう俯いてギュっと強く目を瞑った。

「はあ、青くんは頑固やなあ」
「……」
「……そういえば妹さん、夢があるんやってなあ」

唐突に妹の話を始めた白石に、はっとして顔を上げる。目が合ったことが余程嬉しかったのか、白石は微笑むと俺の頭を優しく撫でて話を続ける。

「お母さんやお兄ちゃんには秘密、言われたんやけど、妹さん女優になりたいんやって」
「女優……?」
「劇団にも入ってるみたいやし、学校の合間にレッスンも受けてるらしいで」

そんなこと、知らなかった。顔を合わせても碌な会話をしてこなかったのだから知るわけがないのだけれど、それでも妹の夢を目の前の男の口から聞くことになろうとは思いもしなくて、絶望に支配される。

「この前写真撮られたのでわかると思うけど、俺に何人か記者張り付いてんねん。なあ例えばやけど、ここで妹さんが変なスキャンダルに巻き込まれたらどないなってまうんやろ…」
「は、あ?どういう……待てよ、そんな事したらお前だって…」
「別に芸能人やって一般女性と結婚したりするやろ。妹さんはもう20やし…あっ、女優なるんやったら別に一般女性とちゃうか。名前公表されたしりたら、売名って叩かれたりするんやろなあ」

結婚。売名。?
白石の口から出てきた単語が理解できず口の中で繰り返す。妹が、こいつの好きなようにされる?そんなの、許されるわけがない。許せるわけがなかった。

「ふ、…ふざけ、ふざけんな…っ、お前、妹に手出したりしたら許さねえからな!!」
「まあまあ冷静なって。君ら顔にとるし全然妹さんも抱けるっちゅー話してるだけやから。愛しとるのは君だけやで」

まあ、妹さんと結婚して君と日本で家族になるっちゅうのも悪くないねんけど。続けて笑いながら言う白石にかっと頭に血が上る。俺だけならまだしも、妹を巻き込もうとするこの男の神経が、信じられない。しかも己の私利私欲のために、好きでもない女と結婚?もはや理解の範疇を何倍も、何十倍も超えて来て、目の前の男が人の皮を被っただけの化け物のように感じる。もう、為すすべはない。こんなやつ、俺の手には負えない。負えるわけがない。

「愛してる……?なんだよ、それ。…もう、何が何なのか…、」

項垂れる俺を、白石は優しく抱きしめた。
逃げる力はもう残っていない。道も全て塞がれ、意思も折られてしまった。あんな事を言われて、もう、逃げられるわけがなかった。

「初めて会うたときからずっと、ずうっと想ってきた。青を、俺だけのものにって。いつか青と一緒になりたいって。なあ、好きや、大好き。離したくない。離れたくない。青、ずっと俺の隣におってよ」

「ひっ…」

「そしたら、青の好きなもんも欲しいもんもなんだって用意する、絶対に不自由なんてさせへんから」

愛しとる。
俺の頬に手を添えて、わずか数十センチの距離でそう愛を囁く白石に体が震えた。

「な、……なんなんだよお前、怖いよ…、なんで、俺にそこまで執着するんだよ、俺なんて、何も持たない男なのに、」

お前は、欲しいものは全て手にしてきたような人生だったんじゃないのかよ。何でも手にしてきたくせに、なんで何も持たない俺なんかに執着するんだ。何を考えているのか全然わからない。例えわかったとしても、きっと理解も出来ない。
白石はやはり答えない。俺の問いには、何も答えない。

「うんって言って。断られたら俺、何しでかすかわからへんから」

限界を超えた心がついに折れる。目に涙が浮かび、それが耐えきれなくなって、頬を伝って落ちていくのを白石は舌で舐め取った。熱い舌が、どうしようもなく気持ち悪くて、それを皮切りに、堰を切ったように涙が止まらなくなる。
まるで子供のように、声を上げて泣き喚く。白石はそんな俺を愛おしげに見つめて優しく抱きしめると、何度も何度も愛しとる。好き。大好き。青って、耳元で囁いた。


おわり

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