×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

■ 06

それは仕事が休みの、ある日の事だった。
窓の外はまだ明るい。珍しく午後6時より前に目が覚めたが特別予定も入っていないし、どうしようかと思いながらベッドの上でゴロゴロしていたのだが、そんな風に無駄に時間を使って早30分が経とうとしていた。
そして唐突に、ノックもせずに扉が開く。

「お兄ちゃん。お母さんがご飯いる?だって」
「お前、ノックくらいしろって何回言えば…」
「どっち」
「…んー、あー。いらない」
「あっそ、それ自分で言って」

突如現れた妹はベッドの上に転がる俺を汚物か何かを見るような目で見て、用件だけ伝えてから部屋の扉を閉めて行ってしまった。この部屋の滞在時間、実に約数秒。ノックもせず、しかも伝言も受け付けないという中々舐めた態度に、はあ?と怪訝に顔を顰めた。
また何か言われるのが面倒だったから飯も適当に外で済まそうと思ったのに、顔を合わすんじゃ意味ないだろうが。ぶつくさ文句を言いながら起き上がる。仕方ない、返事が遅いと怒られても面倒だし必要な事だけ伝えてさっさと外へ避難しよう。寝起きで固まった体をほぐすように、ぐっと伸びをした。




「だからこのまま外出てくるから飯いらない」
「あんたねえ、たまには早く起きて部屋の片づけでもしたらどうなのよ、どこ行くか知らないけどほっつき歩いて恥ずかしいったら…」
「朝まで働いて帰ってきてるんだから早起きも何もないだろ」
「30近いのにそんなだらしなくってどうするのよ全く……」

ほらこうなるから嫌だったんだ。母の小言を右から左に受け流しながらコップに汲んだ水を飲む。これ以上は面倒だ、さっさと家を出よう。もともと飯はいらないと伝えたらそのまま外に出るつもりだったから財布と携帯は用意してある。早々に話を切り上げようとするが、母は追い打ちとばかりに、だからあんたは。と愚痴を続ける。

「そんなんじゃ白石くんに迷惑なるわよ、いい加減しっかりしなさいよ」
「……何でここで白石さんの名前が出てくるんだよ、関係ないだろ」

空になったコップをシンクへ置くと、存外大きな音がたつ。一瞬割れてしまったかも、と心配になり慌てて確認するが欠けているところはどこにもない、ほっと息を吐く。
もううんざりだ。
あの日白石さんがうちに来てから母と妹は事あるごとに白石くんが、白石さんは、って彼の話ばかりをしてくるようになった。正直白石さんとはそこまで深い関係でもないし、聞かれても俺はあの人の事なんて良く知りもしないし、っていうか、もうあんまり顔を合わせたくないとさえ思っているし。

「あの日白石さんがうちに来たのは本当にたまたまで別に仲がいいとかそういうわけじゃないから、変に期待してももう来ないよ」
「何言ってんのよ、あれから何度も来てくださったのよ?それにあんたこれから白石くんところにお世話になるんでしょ?住むところも仕事まで紹介してくださるなんて、あんた本当に白石くんに感謝しなさいよ」

「……は?」

なにそれ。乾いたセリフが喉に張り付く。妹の、いいなお兄ちゃん。と無邪気に騒ぐ声も、母の、これでやっと安心できるわ、なんて嬉しそうな声も何も聞こえない。いや、いやいや、冗談きついって。
”あれから何度も”?”これからお世話になる”?そんなの、一言だって聞いていない。だって、あの日から俺は一度も白石さんとは顔を合わせていなくって、もしかしたらこのまま縁が切れるかも、まあそれでも、いいかな、なんてまるで能天気に考えていたのに。

「そうだ白石くん、今日この辺で撮影があるって言ってたわね。差し入れ用意したからあんた持って行きなさい」

母の声が遠く聞こえる。
俺の知らないところで勝手に話が進んでいた?まさか、いつの間に。俺が毎日レジ打ちをして、今日も白石さんは来なかった。よかった、なんて安心している間に?考えて、ぞっとする。とにかく、行くしかない。会って直接話をしなければ。
母が用意したという近所の和菓子屋さんの紙袋を手に、呼び止める母の声も無視して家を飛び出した。



何も考えずに家を飛び出して、すぐに後悔した。母からどこで撮影をしているのか、聞き忘れたのだ。紙袋を片手に立ち尽くす。撮影情報なんて調べても出てこないだろうし、かと言って一旦家に帰って母に場所を聞くのもなんだか躊躇してしまう。困った、非常に。どうしようかと考えあぐねていた時だった。

「あれ、高瀬さん?」
「…ん、あ。新人?」

新人って。そう言っておかしそうに笑うのはバイト先の新人だった。彼はいつの日か夜勤で一緒になった大学生の子だ。彼が白石さんの事を教えてくれた、今思えばあの時気が付きさえしなければこんなことにもなっていなかったのではないだろうかと思うけれど…いや、そんなことはないか。どうしたんすかー?と尋ねてくる新人に、そうだ彼ならもしかしたら撮影場所を知っているかもしれないと一縷の望みに賭けるよう、息を飲んで尋ねる。

「あのさ、この辺で白石蔵ノ介の撮影やってるって聞いたんだけど…」
「あれっ高瀬さんもですか!俺もこれから撮影の様子観に行こうと思って……あっ!高瀬さん、白石蔵ノ介と知り合いでしたよね!?もしかしたらサイン貰えるかも…せっかくですし一緒に行きましょうよ!ね!」
「あ、ああ、うん。そうだな、一緒に行こっか」

やった!喜ぶ新人に、気が付かれないようほっと息を吐く。喜びたいのはこちらの方だ、助かった、まさに天の助け。そんじゃ行きましょう!そう言って歩き始めた新人に続くように、止まっていた歩みを再開させた。





少し歩いた先、この辺じゃ割と有名で大きい神社に人だかりは出来ていた。
人だかりをかき分けて進む新人の後ろをついていくと意外とすぐに前列まで届く。カメラやスタッフなどの撮影隊はわかるけれど、肝心の白石さんはおろか、他の出演者らしき人物はどこを探しても一人も見当たらなかった。

「丁度休憩中っぽいっすね…あのテントの中かなあ……」

新人が口を尖らせ、諦め半分に息を吐く。辺りは薄暗くなってきて肌寒い。人だかりも少しずつ解散していき、その様にもしかして来るのが遅かっただろうかと不安になる。
もう撮影はとっくに終わり、出演者達は先に帰ってしまったとしたらこれは無駄足他ならないではないか。紙袋を持つ手の指先が冷えていく、ため息の代わりに、ぽつりと呟いた。

「撮影終わっちゃったのかな……」
「まだ終わっとらんよ。夜が来るんを待ってんねん」

突然、冷たい指先を温めるように包まれる。ぎょっとして振り向くと、そこにいたのは探していた白石さんその人で。
言いたいことや聞きたいことがたくさんあったはずなのに、驚きで全て抜け落ちてしまったかのように何も思い浮かばず、口をパクパクと開閉させる。そんな俺の様子を優しい眼差しで見つめ、微笑む白石さんの手が俺の紙袋を持つ手を上からそのまま強く握りしめた。

「青くん、来てくれたん?めっちゃ嬉しい…」
「あ……、」

頬を染めて恥ずかしそうにはにかむ白石さんに何も言えずに体が固まってしまう。なんでここに、いつの間に、どうして、なぜ。一体、なにが。固まって何も言えないでいる俺に、白石さんが徐に顔を近づけてきた、時だった。

「…えっ!?し、白石蔵ノ介…!?」

新人の驚いた声が、後ろからかかる。とその直後に、新人の叫び声が原因か、それとも白石さんの存在に新人以外の誰かが気が付いたのか、一気に辺りが騒然とした。

「高瀬さんっ、やっぱ知り合いなんじゃないっすか!えーっまじすげえ!」
「ちょ、落ち着い……」
「あの、あのっ俺ずっと白石さんのファンでした!握手してください!」

どよめきの中で白石さんは愛想を振りまいたり取り乱したりすることなく、またあの感情を失くしたかのような、冷えた瞳でただじっと新人を見つめていた。
何を言うでもなく、何をするでもなく、ただまっすぐに新人を見据えるその姿に息を飲む。怒っている…?それとも、何か、思案でもしているのか。見つめられている張本人の新人も、彼から漂う異様さに気がついて、その顔から笑顔が消えていく。辺りが騒然とする中で、そこだけがまるで異空間のようだった。

「あ、あの、白石さ、……」
「ああ、握手な。はいどうぞ」
「あ……ありがとうございます……」

「ほな、青くん行こうか」
「え、…っと、……どこに、」
「ここじゃ落ち着いて話も出来へん、こっちおいで」

白石さんは優しく微笑むと、有無を言わせずに握った手を引っ張り人込みをかき分けて歩き出す。
新人を振り返る。彼はいつもの覇気もなく、ただ青い顔をしてその場に立ち尽くしていた。




あの場から少し離れた場所、神社の裏手にあるお店の路地裏に連れ込まれて、ようやく繋がれたままだった手が離された。
白石さんは辺りを伺い、人影がないことを確認すると深いため息を吐き出した。

「大騒動やな、あれじゃゆっくり話もできへん」
「あっ、あの…!母から聞きましたけど、仕事とか、家とか…どういう事ですか?それに俺のいない間にうちにも何度か来たって聞きましたけどそれって、」
「ああ青くんが仕事中に何度かお邪魔したなあ。ほんまは昼間、青くんがおる時にお邪魔したかったんやけど、仕事の関係でどうしても夜になってまうから。ここ何日か青くんに会えへんくて寂しかったわ……」

なんてこともなく言う白石さんの発言に心底ぞっとする。
やっぱり、母の妄想や間違いなんかじゃなかった。白石さんはあの後、俺の知らない間に何度も何度も家に来ていたのだ。
震える指先を落ち着かせるようにきつく手を握った。

「いや、待ってくださいよ。そんなの、おかしいでしょ、なんのためにうちに……」
「そんなん、招待されたら断るわけにはいかんやろ?」

困ったように眉を寄せ言う白石さんに言葉に詰まる。確かに、うちの家族が無理やり白石さんを誘っているのだとして、それをただ断り切れなかっただけなんだとしたらここで彼を責めるのはお門違いだ。むしろ付き合わせてしまって申し訳ないし、俺が怒るなんて以ての外。
謝った方がいいのだろうか。勝手な勘違いをされ気分がいいはずがない、けど…。そう返答に困っていると白石さんはしょうがないと言うように微笑んだ。

「せやから、お母さんと話しとったんやけど、青くん俺のマネージャーやらへん?しっかりお給料出すし、家も用意する。そんなきつい業務ちゃうし、青くんには俺の隣いてもらって話聞いてくれるだけでええねんけど」

白石さんのその提案に呆気にとられる。俺が、彼のマネージャー?しかもそんな破格の条件、隣で話を聞くだけなんてもはやそれはマネージャーの仕事なんかではない。わけがわからない、彼が俺に対してそこまでする義理なんてあるわけないのに。一体何なんだよ、人は理解の範疇を超えた状況に晒され続けたり、そういった扱いを受け続けると次第に怒りを覚えてくるらしい。これは本能か、それともなんなのか。俺は固く拳を握って、出来る限り落ち着いて話そうと深く息を吸い込んだ。

「そんなの……、うちの家族が無理矢理家に何度も呼んだのは申し訳ないけど、あんたが俺に仕事も家も与える義理はないだろ。そんなの、断ればいい」

「そうは言うてもなあ、是非よろしくってお母さんに頼まれてしもうたし。それにお母さん、俺が青くんに住む場所も仕事もあげるって言うたら喜んどったで?」

心配やったんやろね。白石さんはそう言って、情け無い顔をする俺の頭を撫でる。

「それになに言うとるん、俺と青くんは友達やんか」

その台詞で、俺の中の何かがぶち切れた。友達?違う、こんなの、普通の友達なんかじゃない。友達を免罪符にする白石さんに、無性に腹が立った。

「普通は友達相手にそんな事までしないし例え母親に頼まれても断るんだよ!それにそんな大切な話を俺抜きでするなんて、どうかしてるだろ!」

強く言う。
白石さんは何を言い返すでもなく、ただじっと俺の言うことを聞いていた。

「……うちの母親には俺から説明するから。その話はなかったことにして下さい」

顔が見れない。少し強く言いすぎてしまったかもしれない、そう思って俯く。いや、これでよかったんだ。こうまで言わなければきっと、白石さんには伝わらない。
手に持ったままだった紙袋を白石さんに押し付けて、その際一瞬見た彼の表情に俺は息を飲んで、踵を返して走り出す。
暗く濁る瞳から逃げるように、振り返ることなく闇夜をただひたすら走っていく。
やっぱり、あの人おかしい。変だ。
彼の濁った瞳を思い返して、全身から汗が噴き出す。だめだ、一刻も早く彼から逃げなければ。このままではいずれ取り返しのつかないことになる、そんな予感がどうしようもなく胸をざわつかせた。
すぐに、明日にでも仕事の面接をいれて、一人暮らし出来る家も探そう。貯金ならいくらかある、一日も早くあの家を出ていかなければならない。彼に見つかる前に、逃げなくちゃ。迫りくる闇から逃れるように、振り返ることなくただ一心に駆けていく。ただひたすら、止まることなく駆けていく。


[ prev / next ]