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■ 05

肌寒くなってきたこの季節は空が白んできた頃、俺の一日の業務が終了する。
朝のパートのおばちゃんに業務の引継ぎをしてから退勤を押す。制服を脱ぎ、必要最低限の荷物を持って帰路につくことになるのだが今日はその帰路につく場面がいつもとは違った。

雲の多い空を仰ぎながら肌寒い空気から逃れるようにパーカーのポケットへ両手を突っ込んで身を縮こめる、今日も疲れた。帰ったら飯でも食べながら先週発売したばかりの漫画を読んで寝るか。いやこの調子ならずっとやりたいと思っても後回しにしがちだったゲームが出来るかもしれない。いや出来る。よし、そうしよう、と一人意気込む。眠気を通り越して妙なハイに突入するのはいつもの事だ。こんな風にゲームをしようと考えることが出来るのは今だけで、帰って風呂に入ったら眠気に負けてそのまま寝落ちするのが関の山。いっつもそう、代わり映えのしない、就労後の帰宅路。
全身に襲う疲労に大きなため息を吐くとふと、背後から車のエンジン音が聞こえてきた。車に轢かれないようにと道路の端っこに寄って、特に歩みを止めずに進んでいく。
しかしいつまで経っても車が俺を追い越す気配はなく、それどころか少し後ろでスピードを落としてゆっくりと距離を縮めてくる気配に怪訝に顔を顰めた。
おかしい、っていうか怪しい。拉致車か?これで車の車種がハイエースとかだったりした日には俺はどうすればいいんだろう、走って逃げるか。それとも気が付かない振りをしてコンビニに戻るか。緊張から手のひらに妙な汗をかきながら何気なく、を装って振り向いた。

「……」

予想にしていたハイエースはそこになく、代わりとばかりに白の高級車がそこにはいた。なんだかもっとやばい気がする、もしかしてヤクザなんかだったりしたら、どうしよう。サアっと血の気が失せ顔が青くなる。やっぱり走って逃げよう。正面を向いて、いざ駆けだそうとした時だった。車がぺったりと俺の隣に張り付く。咄嗟に情けない悲鳴が漏れそうになるのを我慢して、車の窓が開いていくのをただじっと待った。(決して動けなくなってしまったとかではない。)

「偶然やなー!おはよ青くん、今帰りなん?」
「…え、白石さん、?な、…えっ?何してるんですか…?」

そこから顔を出したのはよく知る人物で。
ヤクザに脅される…大げさにいえばそう覚悟していただけに彼の登場には呆気にとられてしまった。白石さんは朝なんて関係ないというように眠気の一つも感じさせない笑顔を浮かべている。そういえば、朝会うのは初めてかもしれない、先日食事を一緒にさせてもらったぶりの白石さんにとりあえずおはようございます、と挨拶を返した。

「たまたま通りかかったんやけど、そしたら青くんの姿発見して。せっかくやし家まで送ってくで」
「え、いやそんな。すぐそこですし大丈夫ですよ」
「ええから、はよ乗って。ほら」

催促するようにそう言う白石さんは問答無用に車の窓を閉め、そのせいで送らなくて大丈夫だと伝えることが出来なくなってしまった。話の続きは車の扉を開けることでしか出来ない。本当ズル賢いというか、そういう物事を自分の思う方向へと進めていくのが上手な人だな。仕方ない、無理に断るのも変だし、ここは厚意に甘えよう。助手席の扉を開け、それじゃあよろしくお願いします…。そう申し訳なくも言いながら乗り込めば白石さんは満足げに頷いた。

「シートベルトしてな。あ、ちょっと前失礼するで」

白石さんはそう言って自分のシートベルトを外すと俺のシートに手をついて身体を寄せてきた。一気に近くなる距離にぎょっとするが白石さんはただダッシュボードについたグローブボックスに用があっただけのようで、そこから何か取り出してすぐに離れていく。

「青くん、ガムいる?」
「あ…じゃあ頂きます」

一瞬近づいて、いいにおいがした。っていうか、言ってくれれば取ったのに。白石さんが差し出すガムを一つ貰って口に放り込む。強いミントの香りが口から鼻に回って、眠気を一気に吹き飛ばした。間も無くして車は発進する。優しく丁寧な運転にこりゃもてるわ、と再度確信したのだった。






「ありがとうございます。本当近いのに送ってもらっちゃって…」
「俺が送りたかっただけやから気にせんでええよ。朝から青くんの顔が見れてよかった」

自宅前。路肩に寄せた車から降りると白石さんも同じように降りて礼を述べる俺の頭を優しく撫でた。
また、そうやって簡単に距離を詰め甘い言葉を何の気もなしに言う。いい加減白石さんのそういう態度には慣れてきたけれど、心臓と周囲の目にはあまり優しくはない。何度も言うが俺は30代手前のいい年をした男だ、流石に頭を撫でるのはないだろうとやんわりとその手を退けて、取り繕うようにそういえば、と話を変える。

「白石さんはこれからお仕事ですか?」
「まあな、まだ時間には余裕あんねんけど」

俺からの問いかけに頷く白石さんに、改めて俺とは全然違う生活なんだと実感する。やはり俺なんかが友人になってしまってよかったのだろうか。今さらながらあの時訂正しきれなかった自分が情けなく思える。こんな風に遠慮するくらいならきちんと断っておけばいいものを。
それにフリーターの俺なんかと一緒にいるだけで白石さんの印象が悪くなると思うのだが、流石に友好関係にまではメディアは興味を示さないのだろうか、いやメディア関係には詳しくはないけれど決してそんな事はないはずだ。俺なんかと付き合うことによって彼の仕事に影響が出なければいいけれど。迷惑をかけたくなくて、けれどどうしたらいいのかわからずに、行き場のない不安を逃すようにため息を小さく吐いた。

「お兄ちゃん?」

そう、白石さんの後ろのから両手にゴミ袋を持った女性が伺うように声をかけてきた。
俺のことを兄と呼ぶのはこの世界に一人しかいない。そう思ってそちらへ目を向ける。スウェット姿で寝癖も直さないまま眠そうな顔でそこにいたのは今年で20になる大学生の妹の成海だった。

「ん…ああ、ただいま」
「おかえり。…友達?」
「あー…ん、まあ」

ふうん、と興味なさそうな妹はそのまま会釈をして横を通り過ぎようとする。そんな妹を振り返った白石さんも、また同じように会釈をして、そして妹の時は止まった。

「……え、」

俺の隣に立つ白石さんに目を向けたまま固まってしまった妹に、やっぱりかと嘆息した。
俺以上にミーハーでテレビっ子な妹の事だ。知らないはずがないと思ったんだ。次第に妹は状況を把握してきたのか、わなわなと震え始めゴミ袋を地面に落とした。信じられないと言いたげに口元に手を持って行き目を見開いたその姿に一瞬大げさな、と思うが、大げさじゃないんだよな。俺が疎いだけでこれが普通の反応なんだろう。

「う、うそ、白石蔵ノ介……?え…そっくりさん…?」
「こら、…失礼だろ。ちゃんと挨拶しろ。…すみません、うちの妹が」
「はは、大丈夫。そっくりさんちゃいますよ、白石蔵ノ介です、青くんと仲良うさせていただいております」
「お、お兄ちゃん、どういうこと…?仲良く…え……?知り合いだったの?」

妹の詰め寄るその気迫に押され一歩後ずさる。

「あー…うんと、元はうちのコンビニのお客さんで…」
「えっ!?嘘、やだ!本当に!?お客さん!?ああっ、どうしようこんな格好で、すっぴんだし…!」

俺の話を最後まで聞かずただ一人騒ぐ妹にため息を吐く。ああ、全く面倒な奴に見つかってしまった。隣に立つ白石さんがおかしそうに笑っているのが救いか、これ以上の失礼はやめろ、と妹の頭を小突いた。

「成海、いいから挨拶」
「あっあ、えっと妹の成海です…!この前主演されてた映画、観ました!あの、『入間圭伍の夜』の頃からずっと好きです、応援してます!」
「わあ、ほんまに?嬉しいなあ。成海ちゃん、ありがとう」

微笑む白石さんに当てられたように顔を真っ赤にし、そのまま何も言えなくなってしまう妹の姿に呆れる。そのミーハー加減は流石俺の妹だけあるな。

「そ、そうだお兄ちゃん、家あがってもらいなよ!こんなところで立ち話なんかしてないで!」
「は?いや、白石さんはこの後仕事だって…」
「ああ、仕事まで時間には余裕あるから気にせんでええよ。せっかくやしご挨拶させてもらおかな」
「そ、それじゃあ!先に戻ってお母さんに伝えてくる!」
「あっ、お、おい!成海!」
「お兄ちゃん!お父さんはもう出たから車は駐車場止めていただいて!」

俺の制止の声も聞かずに、拾い上げたゴミ袋を高速で捨てそのまま高速で家に帰っていく妹に呆れて何も言えない。いや、っていうか朝っぱらから家に招待する奴がどこにいるんだよ。あいつもこの時間に起きてるということは一限があるんだろうし、母もパートですぐに家を出るはず。白石さんもこの後仕事だと言っていたし長居をすることはないだろうけれど、ぶっちゃけ俺からすれば仕事終わりなわけで早く風呂に入って寝たい。まあそんなことは口が裂けても言えないのだけれど。

「白石さん、本当、あんなの断ってよかったのに…」
「いや、むしろ朝からお邪魔して大丈夫かな?」
「まあ、それは大丈夫だと思いますけど…。」

それならよかった。そう言って安心したように笑ってほな、駐車せなね。と再度車に乗り込む白石さんに頷いた。なんだかなあ。胸の内に引っ掛かりを感じながらも、家の前の駐車場を案内する。
言わずもがな、白石さんは駐車までも上手だった。






「お邪魔します。あ、お母さんですか?初めまして、白石蔵ノ介と申します。青くんとは仲良くさせていただいてまして、今日はこんな朝早くにお邪魔してしまいすみません」

そう丁寧に挨拶をする白石さんの目の前で驚きで固まるのがうちの母である。もちろん母もテレビドラマ大好きイケメン俳優大好きのミーハーであるので白石さんのことはばっちり把握していることだろう。

「まあ、本当に、本物の白石くん!?いいのよ、全然気にしないで!あんた、こんな大物とどこで知り合ったのよ!」
「…どこだっていいだろ。成海は?」
「今急いで化粧してるわよ。さあさあ何もない家ですけどゆっくりしていってくださいね、ほら青!ぼんやりしてないでお茶くらい出しなさい!」
「だから白石さんもこの後仕事だって…」
「ああ、本当お構いなく。」

テレビの真ん前、いつもは父が座る席に座らせられる白石さんはそのまま母と何やら談笑を始めた。その後すぐに自室から出てきた妹も会話に加わって非常に楽しそうな空間が出来上がり、そこだけを切り取れば幸せそうな家族にも見えなくはない。おいおいちょっと待て、俺よりも馴染んでるって。俺に対しては小言や文句しか言わないくせに、なんなんだよ。むっとしながらも言われた通りお茶を用意していく。結局俺がお茶を出した後も、俺抜きでしばらく楽しい会話が繰り広げられていた。



「ああ、もうこんな時間!成海!あんたも学校あるんでしょ、急ぎなさい!白石くん、ばたばたしてごめんなさいね。またいつでも遊びに来て下さいね」
「いえ、お話しできて楽しかったです。朝からお邪魔してすみません、ありがとうございます」

結局滞在してた時間は30分ほどか。白石さんは最初から最後までずっと丁寧に妹と母の対応してくれた。ゆっくりするも何もない、これでは仕事前に仕事をしたようなものだ。申し訳なく思うが母たちの前でそんなことを言えば後で嫌味や文句を言われるのは目に見えていたのでここでは黙っておく。波風立てず、これが俺の家での過ごし方である。

「青!ちゃんとお見送りして行きなさいよ!」
「…わかってるよ。」
「お邪魔しました」

立ち上がる白石さんに母も妹も名残惜し気に手を振る。
あっ。と何かを思い出した様子の母に、このままここにいてはやばいと悟る。これは後から後からこれ持って行ってくださいとかが始まる予兆だ。とにかく、早く家を出なければ。ろくな挨拶もしないままに白石さんの背中を押して半ば無理やり玄関を出た。




「すみません、背中押して!いつもあそこからが長くなるんで…」
「ああ、全然気にしてへんよ。それより急にお邪魔してすまんかったなあ、眠たいやろ?」

心配そうにそう尋ねる白石さん。たしかに眠たいことは眠たいけれど、何よりこれでひと段落ついたので多分この後は安眠できる。家に戻ったら質問責めに会う前にさっさと風呂へ逃げ込もう。そう決意する。


「本当ばたばたしてすみません、うちの家族煩かったでしょ」
「いやいや、楽しいご家族で羨ましいわ」
「いつもは楽しくもないですけどね」

今日は白石さんが来てくれたから。そう続けて言うと、白石さんは照れたように少しはにかんだ。

その後ろから少し遠くから女子高生が二人並んでこっちの方へ向かって歩いてくるのが見えた。彼女たちの視線は白石さんに釘付け、あっこれバレてる。そう思って白石さんにそのことを伝えようかした時だった。彼女たちの声がこちらまで聞こえてきたのに、白石さんと顔を見合わせた。

「ねえ、ねえ!あれって俳優の……」
「えっ!?嘘、本当に?」

「…あー、面倒やなぁ。」

そんな呟き声に言葉を失った。
白石さんも面倒だとか、そういう感情も抱くんだ。まあそりゃ人間なんだから当たり前だけれど、しかし今までの白石さんにそういうイメージが全くなかったから、正直驚いた。
それなら声をかけられる前にさっさと行ってしまった方がいい。そう思って白石さんに向かって口を開いた、直後だった。

「っ、!?」

徐ろに背中へ腕を回されて、抱きしめられる。
回された腕が背中に置かれた手が、密着した部分が熱い。なぜ、俺は今抱きしめられているのだろう。っていうか、これは抱きしめられている、んだよな?頭が追いつかずにされるがままになって、そして女子高生たちの驚いたような表情が視界をよぎってハッとした。

「し、白石さんっ、」
「しい。…こうすればどれだけ図太い神経持ってても流石に話しかけてきたりはしいひんやろ?」
「た、確かにそうだけど…、でも、芸能人なわけだし、変な噂たったりしたら…」
「変な噂?どんな?」

変な噂。それは、白石蔵ノ介が男と抱き合っていたという噂。男が好きだという噂。男と付き合っているという、噂。
頭に思い浮かんだそれらをなにも考えずに口にすることは出来なかった。口にすれば、何かが明確になってしまいそうで、憚れたのだ。
答えることが出来ずについ口籠ると、白石さんの喉で笑う音が耳をくすぐった。
それで察する。この人、確実にわかって聞いている。それを俺の口から言わせようとしているんだ。なんて、意地の悪い。

「それは、……」
「友人とハグしてなにがおかしいん?」

背中に回された手がぽんぽんとリズムを取ってまるで宥めるように俺の背中を撫でる。
友人とハグをすることの何が、おかしい。白石さんの言う台詞を反芻して、返す言葉もなく口を噤んだ。…確かに、白石さんの言う通りおかしなことはない。それも一先ずファンを遠ざけようとするという大義名分があるのならそれは尚更に。

「青くんはええ匂いやなぁ」

回された手が、背中から這うように腰を撫でる。耳元に口が寄せられ、かかる吐息にぞわりと全身が粟立った。

「っや、…は、離れてもらえますか、……もう、あの子たち行きましたし、その」

慌てて白石さんを押し退けるように胸板を押すと存外簡単に離れていく体温にほっと息を吐く。
白石さんは俺をじっと見つめると、ふと笑った。その視線は優しく、じっと真っすぐに俺を見つめる。瞳に孕む熱は俺の勘違いだろうか。勘違いならばいいのに。彼の視線の下に晒されるのが耐え切れずに、逃げるように俯いた。白石さんは、俺のことが好きなのだろうか、そう考えてすぐに自分の考えをあり得ないと否定する。そんな事あるわけない、あの白石蔵ノ介がフリーターの俺を好き?妄想もここまでくると笑えないな。でも、そしたら俺の感じるこの違和感はなんなのだ。ただの被害妄想?考えすぎ?俯いたままじっと見つめる地面がぐるぐる回る、青くん。そう優しく俺の名前を呼ぶ白石さんは俯く俺の頬に手を添えるとゆっくりと顔を持ち上げた。

「ほな、またね」

青くん。顔を寄せて耳元で囁く。
固まって何も言えずにいる俺に微笑んで手を振ると、そのまま車に乗り込んで行ってしまった。
俺を置いて走り去っていく車をジっと見つめる。曲がり角を曲がって、見えなくなるまでずっと、俺は目が離せないでいた。

俺と白石さんは本当に、友人同士なのだろうか。
元々は客と店員で、そこから意気投合して友達になって。それ以上でも以下でも無く、ただ少しだけ彼に気に入られた。ただそれだけの事で。本当にそれだけの事、でいいんだよな。
唐突に、まるで暗闇の中へ一人放り出されたかのような不安が襲う。今まで信じて疑わなかったものが脆く儚く崩れていく。そもそも彼の事を俺はよく知りもしないのに、なぜわかった気でいたんだろう。

あまり考えたたくはなかったけれど、俺は確かに彼に対して友人としてのそれ以外の感情を抱いている。それは恐怖だ。決して友人に対して抱くことのないはずのそれを、俺は彼に対して感じていた。
何を考えているのか、なぜそんな行動をとるのか、それが彼にとっての普通なのか、わからないと怖がる俺がおかしいのか、考えれば考えるほどわからなくなって、頭が痛くなる。
次白石さんと会うのはいつだろう。今夜かそれとも明日の夜か。それともしばらくコンビニには来ないだろうか。出来ることなら暫くは彼の顔を見たくない。ふと思ってしまったそれに俺は罪悪感で押しつぶされてしまいそうだった。



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