目下の泥濘【3】
それから果たして、なまえは美しく成長していった。前線へ立つことも増え、首領の護衛からも少しばかり離れ、
「年頃の女の子らしく、少し自由に動いてみなさい」
との首領の言葉通り、なまえは幾ばくかの『自由』を手に入れていた。
それに伴い、
「やあ、おはようなまえ」
「…おはよう…、ござい、ます」
アジトに宛がわれていたなまえの部屋に、足繁く太宰が通っている姿が頻繁に目撃されるようになっていた。
「貴方は暇なのか…」
「うん?忙しいよ、凄く。仕事の合間になまえの顔が見たくなって。ついでにその声も聞きたくなっちゃって!」
「顔を見て声を聞いて満足したのなら早急に仕事へ戻ってください。広津さんが探していましたよ」
「一息で辛辣な言葉を!…なまえ、私には余所余所しい言葉遣いは不要だよ」
「…貴方は幹部、です」
なまえがため息をつく。
「その幹部である私がいい、と言っているんだよ?」
なまえの苦悩を手のひらで軽く転がすように、にこにこと太宰は笑っている。
「それは幹部命令ですか」
黒い、宝石のようななまえの瞳が太宰の目とかち合う。
「…命令じゃなくて、私個人のお願い、かな。なまえとはもっと仲良くなりたいんだよ、私は」
「……、わたしが、いや、…わたしは…」
「今すぐでなくてもいい。ゆっくりでいいからね。…そうだ、今度、私の友人に会わせてあげよう。なまえの話をしたら会いたがっていてね」
「…貴方に友人が居たのですか」
「君、私のことを何だと思ってるのかな」
ふっ、と。
その一瞬。なまえの顔が綻んだ。
間近で見た太宰が、固まった。
「……なん、ですか」
急に真顔で黙りこんでしまった上司。普段からヘラヘラしているから真面目にして欲しい、と思ったことはあったけれど、いざ真顔で黙られると、それはそれで困る。
「…太宰、さん?」
呼んでも反応がない。手を目の前でひらひらさせても、おーい、と小さく呼び掛けても、太宰は真顔のままだった。
とりあえず広津さんを呼ぶとしよう。またひとつため息をついて、なまえは部屋の扉を閉めた。
「…なまえの笑顔は……これは…大変な凶器…」
どこかへ意識が飛んでしまった太宰を、部屋の前に残したまま。
「中也!聞いてくれ!なまえがこの私に笑いかけてくれたのだよ!!その微笑みたるやまるで天使の…、いや、あれは女神だったね!!!」
「五月蝿ェ!!いちいち言いに来るんじゃねェ!!」
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