目下の泥濘【21】
(織田作…、)
言い様の無い不安を抱えたまま、なまえは首領と共に、会合の場へ赴いた。
そこは、船の上だった。
テーブル、そして椅子が二つ。ひとつの椅子には、既に誰かが腰を掛けていた。特に意に介さない様子で、首領は椅子に座る。
「なまえ、船は平気かな?」
「ゆっくり進んでくれているから平気だ」
「ははっ、可愛らしい娘さんやなぁ」
「…それは、どうも」
向かいから声をかけられ、なまえは警戒しつつも会釈をする。
誰かが来る気配がした。
「さて、始めよか?」
首領の向かいに座っていた禿頭の男性の言葉と共に現れたその人物に、なまえは、我が目を疑った。
相手も、まさかこの場になまえがいるとは思わなかったのだろう。お互いに息を飲んだ。
「…なまえ、さん…」
「安吾さん、……」
「本日は…この場にご足労頂き…ありがとうございます…」
なまえは首領らのテーブルから少し離れた場所へ立っていた。テーブルを挟んで首領と和服の男性。真ん中に坂口が立っている。
(安吾さんの、元々の職場…)
(たねださん、)
なまえは護衛。口を挟まず、ただ静かに場を見守っていた。首領が呼んだ名を、坂口の発する言葉を、なまえは頭の中で反芻する。
(土産、…土産か)
「おたくの首…なんか、喜ばれるやろなぁ」
「!」
種田の眼光が鋭くなる、瞬間。なまえは、足元から『夜の王』を呼び出していた。
「、ほお…コレが噂の王様か」
「なまえさん…!種田長官、彼女の異能は、」
「こないだ聞いた。大丈夫や。殺傷能力は無いんやろ?」
「勿論。だからこそ護衛も兼ねて連れてきたのだよ。さて、話の続きだ。坂口君、どうぞ」
首領に促され、坂口が話を進める。ポートマフィアは今後、坂口安吾を感知せず、危害を加えないこと。そして、異能犯罪組織ミミックを、壊滅させることを、確約すること。
「ミミック…、」
思い出す、あの爆発。なまえの顔が思わず歪む。
織田作は、どうしているだろう。無茶はしていないだろうか。
蹲ったままの織田作の背中を、なまえは、見ていることしかできなかった。何と声をかければ良かったのか、なまえにはどうしてもわからなかった。
その時。
首領の、突如として上げた笑い声に、なまえは現実に引き戻される。
テーブルには、黒い何かが置いてある。それを見て、首領は心底嬉しそうに笑っていた。
「なまえ、さん、」
帰り際。
船を降りようとしたとき、坂口に呼び止められた。
「……、安吾、さん、」
「…、すみません、なまえさん…」
坂口が頭を下げる。
「なぜ謝る」
「僕は、…貴方を、貴方達を、ずっと、騙していました…」
「それが、今回の貴方の仕事だろう」
「……、なまえさんを、裏切ってしまって…」
「確かにわたし達は裏切られた。だが、貴方は仕事を全うした。それでいいんだろう?…これでお終いですよ。約定通り、これでもう会うことは出来ない」
「…パンケーキのお店、行けませんでしたね…」
「、安吾さん…」
「約束、していたのに。すみません…」
なまえは、坂口の元へ歩み寄る。正面で立ち止まり、右手を大きく振りかぶった。降り下ろした手に頬を叩かれるのか、と反射的に目を閉じた坂口に、予想していた衝撃は訪れなかった。
「…、あれ?」
恐る恐る開いた坂口の目には、微笑むなまえの顔があった。
そして、坂口のおでこに、デコピンを一発。
「!った!!!」
「約束、わたしは諦めないからな」
時効は認めない。そう言って、なまえは小指を差し出した。
「…なまえさん…」
「いつか行こう。その日を待っています」
「…ありがとうございます。なまえさんも…お元気で」
坂口と約束を再び交わし、
なまえはアジトへ戻っていった。
日が、暮れる。
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