騒動の後日

涙は、一美の瞳から零れ落ちることはなかった。当然、他の誰からも。
カムシンとの別れを済ませた一美は、胸に抱いたフラスコをヴィルヘルミナに向かって差し出した。
「カルメルさん。ヨーハンさんから、伝言があります」
一言一句間違えずに、一美は言う。
「――『ヴィルヘルミナ、この子をよろしく。名前は、ユストゥスだ』――」
ヨーハンの込めた最後の自在法が発動し、存在の力がフラスコの中に収縮していく。時が経つのも忘れるほどの奇妙な圧迫感がその場を支配する。
そして我に返った時、一美と、その手をともに支えていたヴィルヘルミナの手の上に一人の赤ん坊がいた。
――史上初の『両界の嗣子』の誕生だった。

自らの存在そのものを使い生み出した『両界の嗣子』は、“彩瓢”フィレスと『零時迷子』ヨーハンの愛の形だった。
封絶の中でも動くことのできる赤ん坊は、ヨーハンから託されたヴィルヘルミナが面倒を見ることになった。
そしてヴィルヘルミナやレベッカ、『大地の三神』らをはじめとするフレイムヘイズたちは、徒に遅れて新世界『無何有鏡』へ発った。前もって決めてあったことで、各地から有志も集っていた。
シャナは、創造神と分離して坂井悠二というひとりの人間に戻った彼と決着をつけるため、そして『三柱臣』の一人である“千変”シュドナイと決着をつけるためにマージョリーが残った。
もっとも、マージョリーは恋人の佐藤啓作がいるからという理由の方が大きかったのだが。

――シャンディアは、この世界に残った。
マージョリー同様、『無何有鏡』へ行っていない徒の可能性を考慮し、残るフレイムヘイズや外界宿への連絡や対応などをすすんで引き受けたのだ。
それだけではなく、各地にある宝具の回収や、シャンディアとカムシンが過去に調律した場所の見回りもしている。世界に還元された存在の力で歪ができていないかの確認だが、幸いにして未だにそれらしいものは見つかっていない。
とある暑い国を歩いている時だった。
奉ずる使命もなく、自らすべきことももはやなく、シャンディアはどうして生き続けていられようかと考え始めていた。
暑さのせいか、それともそれ以外の要因のせいか、考えることもままならぬ状態で街を歩いていた。日差しを避けて商売をし、歩き、活気にあふれる姿を見て、けれどなんの感慨も抱かない。
「シャンディア」
「……なに?」
あまり話しかけてくることのないルファナティカからの呼びかけに、億劫がりながらも答える。
「あれ、御覧なさい」
言われて顔を上げると、大きな広場を囲う壁に、レリーフがある。何枚かの絵が彫られており、どうやらひとつの話を作っているらしい。
「なんの話だろう……」
長い付き合いの契約者が、無駄話を振ってきたことはない。少なくとも時間の無駄になることはないだろうと思い、シャンディアはレリーフを追った。
なんということのない、よくある英雄譚だった。
昔々、怪物が襲って来た。王様は兵を差し向けたが、怪物は強く、まるで歯が立たなかった。とうとう王様の前に現れた怪物に王様が襲われそうになったとき、どこからともなくひとりの少年が現れて怪物を追い払った。王様はその時、怪物と同じような力を持つ少年を不気味に思い追い払ってしまった。けれどあとから考えると、少年は王様の恩人であり、国の恩人であった。二度と姿を見せることはなかったけれど、怪物を追い払った少年は今でも英雄として人々に語り継がれているという、そんな話だった。
「彼は、知っていたかしら」
ルファナティカの問いに、苦笑をこぼしながら答える。
「……知らないと思うな。あれで結構、頑固だから」
土産話を持って、暑い国を後にした。

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