罪科の秤り

カムシン・ネブハーウは、意外にも身のこなしが素早い徒に手こずっていた。彼の得意とする『儀装』が組めるほどの瓦礫もなく、徒が逃げ込んだ場所が森であったゆえに、ものを壊して材料を集めることもできない。
「ああ、厄介ですね」
巨大な棒を軽々しく肩に預けて、ため息をつく。
徒の攻撃自体はなんら問題ではない。ただ、こちらの攻撃が届きにくいことが問題だった。
すでに人間へ甚大な被害をもたらしている。これ以上被害を増やすわけにもいかず、手間を惜しんでいられないと思ったカムシンは、片手で棒をくるりと一回転させ、地面に叩きつける。
「……?」
しかし、本来ならその瞬間に発動するはずであった彼の自在法は発動しない。
怪訝に思って足元を見ると、褐色の炎の代わりに見たこともない露草色の火の粉が舞っていた。
「『天秤よ、秤りたまえ』」
「『汝が罪を』」
どこからともなく、声がする。
「『天秤よ、教えたまえ』」
「『汝が罰を』」
森の中で一番高い木の陰から、人影が姿を現す。丸く平たい、大きな皿を左右に吊った天秤に、露草色の炎が灯っている。
「……罪を、知りなさい」
生き物のようにうねる炎が、木々の隙間を縫って進む。素早い徒だが、それ以上に土地を知り尽くしている花天の炎はすぐに追いつき、絡み、焼いた。
「グ、グゥワア」
炎に焼かれて悲鳴をあげる怪物を、宇子だったものを、花天は冷たい瞳で見つめる。カムシンは、黙ってその様子を見ていた。
「さようなら」
花天の言葉につられて、天秤が大きく傾く。同時に炎も大きくなり、宇子を焼き尽くした。後には、なにも残らない。
露草色の炎が次第に小さくなると、天秤も水平になり、辺りは静寂に包まれた。
かける言葉を、カムシンは持たなかった。それでも、言わねばならないことは言う……彼はそういうフレイムヘイズであった。
「ああ、あなたの名前を聞いておいた方が良いのでしょうね。誰と契約を?」
花天がなにを言わずとも、その炎ですべてを察し、慰めも、同情も与えず、淡々と事実のみを訊ねる。
「お久しぶりね、“不抜の尖嶺”。それと初めまして、『儀装の駆り手』」
穏やかな女性の声に、どこからともなく老人の声が答える。
「ふむ、その声は……久しぶりじゃのう、“天壌の早瀬”よ」
まだ、宇子が燃え尽きたあたりを見つめている花天をちらりと見て、カムシンは棒を肩にかけた。
「ああ、ではあなたが『罪科の秤り手』ですか」
「……そうらしいわ」
一瞬の憎しみで、恨みで、絶望で、人は過去も未来も捨て去る。その様を、カムシンは幾度となく見てきた。それでも戦うことを選んだのは本人なのだから、彼らにかける言葉を持たないのは当然のこと。
ただ、フレイムヘイズとなって、徒を討ち取る――その過程に、経緯に、少しばかり親しいものを感じた一人の存在としてかけてやる言葉は、あった。
「私は、世界の歪みを正している調律師です。自らの目的であった徒を討ち果たした今となっては、ただ生き永らうのも時を持て余すだけ。あなたがこれから先、特に目的もないのであれば、私と共に来てくれませんか」
「……あなたと?」
やっと怪訝そうに振り返った花天は、鋭くカムシンを見つめている。二人の契約者は、なにも言わない。
「どうして、私を誘うの」
ここへ来るまでの間、花天は“天壌の早瀬”から色々な話を聞いた。紅世のこと、フレイムヘイズのこと、世界のこと。フレイムヘイズが複数で活動することは滅多にないと聞かされたあとでの誘いに、疑念を抱くのも当然だった。
「…………愛したがゆえに」
カムシンは、縦に傷の入った唇を開く。
「私たちは、殺し合うのです」
「愛?」
花天が聞き返しても、カムシンは口を閉ざしてしまい、なにも返さない。
花天はカムシンの言葉を反芻し、考え込む。
「……そうね。愛なのかもしれない」
花天は眉を下げて微笑むと、自分よりも幼い姿をしたカムシンに近付く。
「私は、『罪科の秤り手』――」
過去も未来もすべて失い。
「――花天の名は、捨てた」
ひとつの愛の形だけを抱いて。
「――私は、シャンディア」
カムシンが、シャンディアに背を向ける。
「ああ、私は『儀装の駆り手』。カムシン・ネブハーウ」
歪で、純粋な愛の形を持つ者同士、歩み出した。

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