存在の敗北

「――聞け、フレイムヘイズ……同胞殺しの“王”と、その刃と狩られる人間よ――」
声が、戦場に響き渡った。けれど辺りは静まらず、喧騒の中争いが続く。傾聴しているわけではない。漠然と耳を抜ける程度だ。
「――なぜ、抗う? 我が大命の成就は、この世に平穏を齎すものだというのに――」
北東に向けて駆けながら徒を散らしつつ、背中を抜ける悪寒に、シャンディアは空を仰いだ。
(聴いちゃいけない)
反射的にそう思うが、一目散に走る同志へ伝達するすべもない。何より、彼らにとって“祭礼の蛇”坂井悠二の言葉は雑音と等しい。
「――なにを、恐れる? 世界の歪みなる妄言に、未だ捉われているというのか――」
その声は続く。シャンディアは聞かないようにと片手で耳を塞ぎ、意識を全力で前方へ傾ける。
「――楽園『無何有鏡』創造が成れば、汝らは永遠の安らぎを得る。なぜならば――」
聴いていない。しかし、聞かされている。
意識していない。しかし、確実に意識を向けさせられている。
「――楽園『無何有鏡』が身を横たえんとするは……正しく両界の挟間なる場所――」
徒が一斉に引いた。その言葉の言わんとする意味を指揮官が理解したためだ。戦う相手のいなくなったフレイムヘイズは、走りながら、自然と耳を傾ける形になる。
「――即ち、楽園『無何有鏡』は、この世に渡る“徒”を遮る、障壁となるのだ――」
言葉の意味が、じわじわと脳を侵食する。理解しきる前に、次の言葉が降る。
「――なお不安を抱くのならば、余は確信とともに、告げよう――」
(その先は、)
駄目だ、と思った。
けれどシャンディアには、シャナには、ゾフィーには、矮小な討ち手には……どうすることもできなかった。
「――両界の挟間に新たな世界を創造したとて、この世への影響など、何らない――」
フレイムヘイズたちの動きが止まり、静かに動揺の波紋が広がる。
「――虚偽と問うか? 不審を抱くか? 長きに渡る戦いの無為を恐れるか? ――」
いつしか彼らは、自ら言葉を待っていた。
「――ならば、余は問い返そう……両界の挟間に一体誰が、余より長く在ったか――」
いつしか彼らは、疑わなくなっていた。
「――挟間にて数千年、身を削りたる『詣道』にて創造を試行錯誤し、確信した――」
疑うものは、疑いきれなくなっていた。
「――楽園『無何有鏡』を創造したとて、危惧されたが如き大災厄など、起きぬ――」
疑いきれなくなったものは、崩れた。
「――そして余は、この世に在る全ての“徒”へと呼びかけ、引き連れて、去る――」
ぼろぼろと心が、志が、兵団が崩れていく。
「――楽園『無何有鏡』を遂に得た我ら“徒”は……往きて、二度とは還るまい――」
その言葉を止めるには、時すでに遅し。
「――我ら“徒”が去った時、誰も喰われず、消えず、死なぬ世界が、生まれる――」
そして彼らはやっと理解する。
「――我ら“徒”を、見送るが良い……ただそれだけで、汝らの世界は安らごう――」
自分たちの、本当の意味での敗北を。
「――余の思いは既に、楽園『無何有鏡』創造を成す、最後の地に向かっている――」
自分たちの、無意味さを。
「――もう、良いのだ……もう、抗い戦わずとも良いのだ……フレイムヘイズよ――」
優しすぎるとどめの言葉を、坂井悠二が放つ。
「――汝らの戦いは、終わったのだ――」
声にならない叫びが、戦場を駆け抜ける。意味も意識もない、ただ心に任せた咆哮が彼ら――フレイムヘイズたちの喉を焼いた。
徒が告げたなら、誰も信じなかっただろう。それが『三柱臣』であっても。
しかし、遙か彼方より帰還した創造神が、大命の宣布を経て告げた、紅世の理想と存在の全否定。それはあまりにも重く、一息で飲み込めるものではなく、けれど飲み込まざるを得なかった。
自らを支えていた根本的な支柱が砕け、熱い闘志は今や風前の灯火となり、何も考えられなくなったフレイムヘイズたちは蜘蛛の子を散らすように四散した。
多くの討ち手らの精神的敗北によって、フレイムヘイズ兵団は消滅した。

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