大命の宣布

神門をくぐりぬけ、『秘匿の聖室』を破壊された『星黎殿』の中空に放り出された五人にして十人のフレイムヘイズは、ただ、巨大な黒い蛇身から距離をとった。
“祭礼の蛇”は、この世に復活してしまったのだ。
「仰ぎ、見よ」
地を這い、命を散らしあっていたフレイムヘイズや徒たちはみな一様に動きを止め、言葉をなくし、息をも殺して見上げる。
『三柱臣』の一人である“頂の座”ヘカテ―によって、いま、彼の言葉は戦場一面に響き渡っていた。
「余こそ神さぶ、奇しき業なり」
止めねばならない。しかし、止める術を持たない。
「心の予感を、火と燃やせ」
朗々と声がうち響く。世界が一切の音を失ったかのような、静寂。
「身の戦きを、打ち振るえ」
ひたひたと意識に染み込んでくる、敗北と勝利。
「余と進む者らよ。今こそ機は熟し、思いは改まり、力は満ちた」
徒たちが、振り上げていた武器をゆっくりと下ろす。
「ここに大命の最終段階、かつて阻まれた創造の再来にして、さらなる大業を宣布する」
フレイムヘイズたちが、冷たい汗を垂らす。
「余は、持てる権能に従い、世界を望まれた形へと変革する。即ち――」
その先を聞けば、決定的になる。
シャンディアはそう思った。けれど――、何もできなかった。
「両界の狭間に、この世の写し世――『無何有鏡(ザナドウ)』を、新たに創造する」
世界の隅から隅まで、なめるように言葉は響く。
「この『無何有鏡』は、汝らの願いそのものの顕現である。
 ゆえに、この『無何有鏡』の全ては、汝らのために在る。
 ゆえに、この『無何有鏡』は、汝らを寛容に受け入れる」
この言葉が意味することを理解し終える前に、次の言葉が続く。
「どこまでもこの世と同じ形、広がり、命を宿す、一個の世界。
 尽きることのない“存在の力”に溢れる、汝らのための楽園。
 かつても、余は望まれ、この雛形とも言うべき創造に挑んだ」
しかしその一言一句は、欠片も残さず、聞く者全ての耳を侵す。
「古きは知る者もあろう、其が都の名を。
 百二十九の城邑、四の平原、そこに在ったモノ全てを、周辺より狩り集めた供犠の“存在の力”に拠りて包み固め、解けぬよう硬く縒り合わせた、循環する一個の、独立した封界。
 未だ世に疎らな人間を探さずとも、喰らう手間を費やさずとも、己が技量のまま業を振るい得る、また生じた歪みの波及をも囲いの内の総和として保つ、原初における欲望の顕現。
 故に、其が都の名を『大縛鎖』という」
カムシンやシャンディアら古の討ち手らは、その名に僅かばかりの反応を示す。
「いま一つ、知る者もあろう、其が計図は頓挫した。
 余は、余自身が引き入れた討ち手わの発動させた、秘法『久遠の陥穽』によって両界の狭間へと追い遣られ、数千の年月、あの彼方とも、この此方とも付かぬ虚空を彷徨った」
ヴィルヘルミナやレベッカら、続く古き討ち手らが聞いた話を思い出す。
「だが、彷徨う中で、余は気付いた。
 真に新たな天則を創造すべき場所が、何処であるのかを。
 即ち、余が逐われ彷徨った、無数の者らが渡り飲み込まれた――両界の狭間にこそ。
 新たな天則の創造を、如何なる形によって為すべきかを。
 即ち、この世に小さな領域を封じ固めるのではない――無窮の天地全てを象ること」
新しき討ち手らが、息を飲む。
「それこそが、この世の写し世たる――『無何有鏡』なり。
 どこまでもこの世と同じ形、広がり、命を宿す、一個の世界。
 尽きることのない“存在の力”に溢れる、汝らのための楽園。
 かつてを経、また望まれ、余は新たなる創造の大命へと挑む」
シャナは力強く、遙か遠く――物理的な距離だけではない――に在る、“祭礼の蛇”にして坂井悠二を見据える。
「今こそ、汝らの求めを、創造神として叶えんがために――!!」
その瞬間、広がったのは沈黙と静止。
誰一人、何一つ、自ら動こうとはせず、喝采の口火を切ろうとはしなかった。
坂井悠二が、蛇身の上で一歩踏み出す。そして再び、力強く、堂々と言葉を紡ぐ。
「―― さあ ――」
呼びかける声に、身を震わせる。
「一歩を踏み出そうではないか、同胞よ」
それは命令ではなく、勧誘。
「己が心の求めるまま、駆け出すがよい」
ゆるりと、促す。
「神なる余は、その希求をこそ言祝ごう」
徒たちが、やがて動き出す。
「―― さあ!! ――」
その一歩が踏み出され、その一翼が羽ばたき、弾けたような歓声が世界を揺らした。徒たちが一斉に動き始める。
その一歩を後にし、その一翼を鈍らせ、一切の言葉をなくしたかのようなフレイムヘイズらは――迫りくる眼前の徒に、なすすべもなく命の灯火を摘み取られた。
戦いの勝敗が決したことを、シャンディアらは悟った。
(坂井悠二って、こんなに頭が回る人間だったの?)
(私たちが居ない間に、色々とあったみたいだもの)
それにしても、とシャンディアは眼下に広がる、一方的な虐殺に眉を寄せた。戦意を喪失し、それでも抗う同胞たちを容赦なく、勢いのままに押していくのは数えきれない異形の者たち。
ただの人間にしておくには惜しい頭の回転だし、戦い……というより、“ひと”を動かす術をよく心得ている。“探耽求究”と戦った時よりも、彼の立場や考え方が圧倒的に“こちら側”へ寄っていると感じた。
何がそんなにも少年を、少女を動かすのか、シャンディアには計りかねた。シャナの方を見ると、数瞬の間黙考していた彼女が口を開く。
「『偽装の駆り手』、撤退戦について、心がけるべき要諦、まず為すべき行動、その二つを教えてほしい」
「ふむ、見込んでもらえて嬉しい限りじゃの」
地表で展開される情勢に珍しく言葉を失っていたカムシンに代わり、ベヘモットが返事する。片眉を跳ね上げたカムシンとベヘモットは、若くも優先事項を見失うことのない純粋な討ち手の少女に、内心感嘆した。そしてすぐに、その問いに答える。
「ああ、実際どう指南したものでしょうね」
「ふむ、これほど大規模の撤退戦は、史上にも例がないでな」
とはいいながらもそう間を置かず、彼らの経験から導き出した常識的な回答を示す。
「ああ、先の大命なるものを、まともに受け止め、考え込んでしまったことが、この崩れを引き起こしてしまったわけですから……要諦としては、士気の回復と統率の維持。即ち、動揺するフレイムヘイズたちに、せめて今くらいは保てると感じさせること。次いで、彼らに余計なことを考えさせず、明確な戦術目標を与えて動かすこと。この二つになるでしょう」
「まあ、何よりも急いだ方がいいのは、兵団が致命的な打撃を受ける前に、ゾフィー・サバリッシュのところへ辿り着き、援護のための具体的な方策を図ることね」
シャンディアがどこにいるのやら知れないゾフィーの名をあげると、シャナは頷いて理解を表した。
「でも、どこにいるのかしら……」
ルファナティカの言葉に、シャナは辺りを軽く見回した後で答える。
「まず戦う。そうすれば、私たちの戦いを見つけたゾフィー・サバリッシュから、何らかの連絡を取ってくるはず」
士気の回復を同時に図る、と言ったシャナは紅蓮の翼を大きく広げた。それを合図にしたかのように、レベッカ、ヴィルヘルミナ、カムシン、シャンディアらが各々構える。空中戦を得意とする徒たちがこぞって押し寄せたが、それらは見事に爆ぜ、投げ飛ばされ、壊され、流された。
呼応するように、遠く、紫電が一閃打ち上げられる。
「――来た!」
背中に開いた『審判』の瞳によってこれを目ざとく見つけたシャナは、ゾフィーの元へ行く前にと、そこらの怪物を一掃した。平野に紅蓮の火の粉が散る中、彼らは紫電を目指して空を駆けた。

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