調律の悲劇

「お嬢さん、落ち着いて!」
「坂井君が、坂井君が!どうしよう!」
急に取り乱した吉田の肩を掴んで、シャンディアが大きな声を出す。しかし、相談しようとしていた矢先に気付いた衝撃的な事実に動揺している吉田はシャンディアの声に反応しない。
「それは、どうしようもありません」
カムシンは目で促して、シャンディアと場所を変わる。吉田に小さく、しかし強い手を差し出して呆気なく言い放った。
「……でも、私、坂井君のことを……」
「ああ、おじょうちゃん。説教は嫌いなので、代わりにとてもひどい、昔話をしましょう」
おそらく吉田は坂井という少年が好きで、けれどもこの世の本当のことを知って、彼が既にトーチであるかもしれない、即ち……坂井という人間は世界に存在しないという可能性に気付いたのだ。
カムシンはたった一言で吉田を黙らせ、彼のいう“ひどい昔話”を始めた。シャンディアは、一人の人間さえ落ち着かせられない自分の未熟さを恥じ、二人から目をそらした。
(シャンディア)
頭に直接ルファナティカの声が響き、シャンディアは顔を上げる。紅世の王と契約者の間では、声に出さずに会話ができるが、ルファナティカはあまり好んで使わない。まさか敵の気配を感じたのだろうかと周囲を警戒するが、拍子抜けするほど何もない。
(自分のやるべきことだけを考えましょう)
(……うん)
「ああ、では、おじょうちゃん、こうしましょう」
いつの間にかカムシンの話が終わっていたらしく、まだ悩み続ける吉田に、カムシンがひとつ提案をする。
「私の貸した片眼鏡『ジェタトゥーラ』を、もう一日預けましょう。それを使うかどうかを、おじょうちゃんが、自分で選ぶのです」
下手すれば安住の日常を壊してしまうかもしれない選択肢を提示し、その上で最後の判断は吉田に託した。

吉田と翌日の夜八時に会う約束をして別れ、調律の最終確認をしたカムシンとシャンディアは、御崎市に潜伏しているフレイムヘイズ……『蹂躙の爪牙』マルコシアスの契約者『弔詞の詠み手』マージョリー・ドー、『天壌の劫火』アラストールの契約者『炎髪灼眼の討ち手』シャナに挨拶しに行った。
マージョリーはあからさまに驚き、少し寂しそうに「あんたたちだったの」と言った。
シャナは一瞬喜んだが、そのあと涙を流した。カムシンやシャンディアに理由はわからなかったが、それ以上声はかけられなかった。

調律の日は、御崎市で毎年開催されるミサゴ祭りの当日だった。調律に相応しい場所として河川敷を選んだが、河川敷や橋には大勢の人間がいた。
カムシンとシャンディアは吉田に指定された待ち合わせ場所に比較的近い河川敷にいる。
「……良かれと思い、選ぶのだ」
ぽつりとカムシンのこぼした言葉に、シャンディアが不思議そうに首を傾げた。カムシンは黙って祭りを楽しむ人々を見つめている。
「……あ、花火、始まるんだね」
シャンディアがスピーカーから流れるアナウンスに耳を傾けると、カムシンがおもむろに立ち上がり、フードをおろし、宝具『メケスト』に巻き付けていた布を引き剥がした。
「では我々も、始めますか」
やはり平然として、その巨大な鉄棒を右手で振り上げる。
「起動」
カムシンが言い、左手を胸の前に出す。シャンディアが水盆を取り出した。
「『筆記せよ』」
シャンディアが言うと、露草色の炎が水盆に灯り、野球ボールのような形を取ると、カムシンの掌に収まった。そして褐色の炎に変わる。
「自在式、カデシュの血脈を形成」
御崎市の各地、カムシンがマーキングした地点にも炎が灯り、カムシンの掌にあった炎が解け、『メケスト』に絡まる。
「展開」
「自在式、カデシュの血流に同調」
橋の上の見物人の大道芸を見ているような歓声を聞きながら、吉田から抽出した街の在り方に合わせてマーキング地点から歪みを修正していく。少しずつ、確かに御崎市の歪みが直されていく。
「調律、完了」
「自在式、自己崩壊させる」
カムシンとベヘモットが最後の言葉を紡ぐと、調律は完了し、街はあるべき姿に戻っていく。
夜空に咲く大輪の花が、いびつに歪んだ。

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