調律の支度

吉田はすぐに『ジェタトゥーラ』を覗くのをやめると、カムシンの肩に手をおいてなんとか立っていた。
「どうして、こんな……」
「……そう思うでしょ。でもこれは変わらない真実だし、真実をお嬢さんにしってもらわなきゃ手伝ってもらうこともできない」
シャンディアは吉田から視線をそらした。
「ああ、おじょうちゃんの賢さに油断して先走ってしまったことは謝りましょう」
カムシンを知らない人間からすれば、誠意のない謝罪だと思うのだろう。しかし彼は、常に正しいことしか言わない。
「けれども、わたしたちの行いによって、人喰いがこの街を目指す確率を、格段に減らすことができるんです」
「我々を……無論、カムシンと儂を恨んでくれて良い」
「わたしとシャンディアもです」
王たちの説得をカムシンが引き継ぐ。
「しかし、協力はしてほしいのです。他でもない、おじょうちゃんのためにも」
吉田はいまだ、ショックから立ち直れていないようだった。「どうして……」と吉田が蚊の鳴くような声で誰ともなく呟いた。シャンディアは、落ち着いた雰囲気と口調を持つカムシンとベヘモットに吉田をまかせ、ずっと気になっている気配にさらに探りを入れる。
(ていうか、この街トーチの数が多いし……なんだろう、違和感がある)
それは街の歪みではなく、存在の力の不自然さ。
(……ああ、)
「カムシン」
「……ああ、はい。なんですか?」
最後のマーキングと称した、御崎市のあちこちに宝具『メケスト』を打ち込む……正確にはそれで地面を陥没させる作業を終えたカムシンが、シャンディアの呼びかけに顔を少しだけ上げた。
「この街、『屍拾い』が来た跡がある」
シャンディアある紅世の王の呼び名を出すと、ベヘモットが「ふむ」と唸った。
「しかしこのおじょうちゃんに手伝ってもらえば、少なくともおじょうちゃんが生きているうちに人喰いが来ることはあるまい」
「それに、『屍拾い』が既に来たということは、やっぱりしばらく徒は来ないんじゃないかしら」
ルファナティカがそう付け足すと、カムシンが無言で歩き出した。シャンディアは当然だが、吉田も大人しくその後をついていった。

「では、そろそろ始めるとしましょう」
カムシンが考え事をしている吉田に声をかけると、吉田は驚いて振り返る。
シャンディアたちは御崎市中心部から脇道にそれ、人気のない廃ビルの屋上に立っていた。自在法を使うには、やはり人目はないに越したことはない。何より、カムシンの自在法では特にだ。
「お嬢さん、もしかして高所恐怖症?」
「い、いえ、そんなことは」
「そう。なら、良かった」
シャンディアは吉田を落ち着かせるようににっこりと笑った。
「あ、あの、おかしなところを直すためにあちこち、行くんじゃ、なかったんですか……?」
「ああ……」
カムシンは少し考え込むと、小さく頷いた。
「そうですね、とりあえず、作業を始めたらわかるでしょう」
そう言ってフードに手をかける。
「うむ、おじょうちゃん。怖ければ、目を瞑っているように」
ベヘモットの忠告に、しかし吉田は従わずカムシンがフードを取り去る様を見ていた。編まれた黒髪が一房風に揺れる。そして何より、息をのむほどあちこちに傷があった。
吉田を見て、カムシンが茶色の瞳を細める。
「だから、言ったでしょう。見る人を怖がらせてしまうから、隠していたというのに」
「本当は全て直せたんじゃが、こ奴がきかなくてのう」
呆れたような調子のベヘモットの言葉に、吉田は躊躇いがちに首を傾げた。
「消せた傷を、残したんですか?」
「ああ、これは私の戦いの思い出なのです」
あっさりと、今までのようにカムシンが答えた。
「私たちの体は本来変化しないけど、誰かとのやり取り……戦いで刻みつけられた傷を受け入れると、自然と跡が残ることがあるの。カムシンは戦歴が長い分、その跡もたくさんある」
シャンディアがやはり、少し呆れたように笑う。吉田は初めて恐れ以外の表情でカムシンを見た。カムシンの背負う貫禄は、フレイムヘイズや人間はもちろん、徒さえも圧倒する。
「じゃあ、」
吉田がシャンディアを伺うと、シャンディアは吉田の意図するところに気付いたのか、笑ったまま首を横に振った。
「私は、こんなに背負ってないよ」
見透かされていたことを恥ずかしく思い、吉田は慌てて俯いた。
「……さあ、今度こそ本当に、始めましょうか」
カムシンが小柄な体躯に似合わない重量を持つ巨大な鉄棒を振るうと、吉田を包むように褐色の炎が湧き上がった。

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