桜前線、君を待つ。 | ナノ



第 十 話




「えっ、風邪ひいたんですか?」
自宅で家事をしていると、楊ゼンから電話がかかってきた。それは玉鼎が風邪をひいたという内容のものだった。
『そうなんだ。でも、僕は師匠の代わりに出かけれなければいけないから、妃琉に看病してほしいんだけど……』
電話の向こうで、おそらくは困ったように眉を落としている楊ゼンの姿が想像できて、少し考え込む。姉上にまた留守を任せるのは忍びない気もする。けれど玉鼎が体調を崩しているとなれば、当然それは気になってしまうわけだ。
『どうかな?』
時間を気にしている間に気付く。
「…はい、わかりました。承ります」
『本当かい?助かるよ』
「任せてください!」
安堵したような声に、こちらも少し嬉しくなる。困ったときはお互いに助け合うことが大切だと幼い頃から教えられてきた。
「支度をしたらすぐに向かいます。楊ゼンくんはどうするんですか?」
電話を片手に、冷蔵庫から病人でも食べられるような食材を物色する。大きめのトートバッグに次々と入れていき、部屋着から着替える。
『店は閉めているけど、勝手に入れるから』
「……物騒ですよ?」
『大丈夫さ。師匠は二階の部屋で寝ているから。あ、キッチンや食材なんかは好きに使ってくれていいよ』
「あ、はい」
向こうでも慌ただしげに支度をしている気配がする。
『じゃあ、よろしく。――あ、師匠、安心してください。妃琉が来てくれます……』
楊ゼンの声が遠くなっていき、さらにその向こうで微かに玉鼎の声がした。





「ごめんくださーい。失礼しまーす」
とは言いながらも、楊ゼンに言われた通り、勝手にあがらせてもらう。いつもの『商い中』の札はかかっておらず、一階の電気も落とされていて暗い。
「……静か」
ぽつりと呟くと、やけに響いた気がした。
初めて上る、二階への階段の前に佇む。普段から上がってもいいところらしいけれど、一度も行ったことはない。人気のない一階を見回して、覚悟を決めて足をかける。ギイと予想以上に大きく軋み、ぎょっと肩を弾ませる。
ふと、こんなことをしていて泥棒に勘違いされては堪らないという思考に至り、やっとてきぱきと階段を上がり始めた。
「……ふー。玉鼎さん?妃琉です」
ドアをノックして声をかけると、小さく咳き込むような声が聞こえてきた。
「だ、大丈夫ですか?失礼します!」
慌てて扉を開けて部屋に入る。
――すると、ツンとした苦そうな匂いが立ちこめていた。
真正面には天井まである広い棚、その中には何種類もの箱や瓶、陶器の壺が並べられている。紙や見慣れない道具の散乱した机はとても大きく、ゆったりと座れる肘掛けイスだけが場違いだった。
「妃琉…?まさか、本当に来たのか……?」
部屋を無理やり仕切った衝立の向こう側から、弱々しい玉鼎の声がする。ひょっこりと覗き込むと、寝台の上で横になっている玉鼎がいた。どことなく中華風の厚い布団にくるまって、視線はぼんやりと定まらない様子だ。
「玉鼎、さん」
「ああ…悪いな、わざわざ……」
傍らに座ると、病院にかかるべき容態だと見てわかった。熱は当然あるだろう。時折辛そうに咳き込み、呼吸はゆっくりとではあるが浅い。楊ゼンがどうして医者を呼ばなかったのか不思議でならない。
「救急車、呼びます」
私の手には負えない。咄嗟にそう判断して携帯を取り出すと、玉鼎の大きな手が伸びてきて携帯を没収してしまう。その手から伝わる熱さえ、ひどく私を不安にさせるというのに。
「……呼ぶな」
熱っぽい声で言われてしまったら、動けなくなってしまう。
「だって、…玉鼎さん、死んじゃいますよ」
「この程度で死にはしない。…よければ、腹に入れられるものを作ってもらえないだろうか?」
この人はずるい。
「……はい。お台所、お借りします」
私がこんなにも好きで、こんなにも心配していることを知らないで。こんな時でさえ私をどきどきさせるなんて。それもすべて、無自覚とは信じられない。下心は欠片もないことが手に取るようにわかる。
「……妃琉」
「はい?」
呼び止められて、振り返る。キッチンは一階の奥にあるそうだから部屋を出ようとしていた。玉鼎が少し目線を泳がせる。
「あの…?」
「…その、すまないな」
このタイミングで謝るのだから、たまったものじゃない。部屋を飛び出して階段を駆け下りる。顔が熱い。
「……っ、どうして…!」
病院に行かないのは、何か理由があってのことだろう。だから深くは追及できなかったのだけれど、花を見ていると、なぜかそれが楊ゼンの為のように思えた。
早く気を鎮めてお粥を作ろうと顔を上げると、ガラス戸の向こうに見慣れた人影を見つけて目を瞬いた。


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