朱に交われど 三
2012/08/12 12:54

「なぁなぁ、お前ら聞いたか? 来週、甲賀の天才忍者が編入してくるって」


興奮を隠しきれない様子でそう言ったのは、五年ろ組の竹谷だ。
夕飯の煮物を口に詰め込みながら話すので、思わず、


「話すか食べるかどっちかにしろよ」


と、五年い組の久々知が注意する。
彼は皿にのった冷ややっこを箸で器用につまみ、口に運んだ。

優等生は食事時まで利口なもので、今の竹谷のように物を口に含みながら話すことはしなかったし、また食べ方も綺麗だった。
この年頃の男子にしてはいささか几帳面すぎるところがあるが、それが彼の良いところでもある。

竹谷はもぐもぐと咀嚼をして、口の中のものを茶と一緒に流し込むと一息ついた。


「で、お前ら知ってる? 今の話」
「うん。知ってるよ」


雷蔵はにこりと微笑んでそう答えた。
その隣で同じ顔をした三郎が箸をもったまま右手を挙げて同意を示す。

知っているも何も、甲賀の天才忍者――甲賀出雲の編入話を学園中に流して回ったのはほかでもないこのふたりである。

ふたりはそっと目配せをして、心の中でそれぞれ頷きあった。



時を少し遡る。
今朝がた学園長室で、出雲と四年振りに再会したふたりは、彼女の口から発せられた突拍子もない言葉に己の耳を疑った。

唖然とするふたりを馬鹿にするように、庵の外では鷹が鳴いている。


「五年ろ組って……お前、男子教室に入るつもりか?」
「そうよ」


と、出雲はあの愛らしい笑顔で答えた。
子どものように透き通った瞳がにこりをこちらを見つめていた。

一体彼女は何を考えているのか、またそれ以上に隣で高笑いしている学園長がどういうつもりでいるのか全く見当がつかなかった。
学園長の突然の思いつきは毎度のことだが、それにしたって女である出雲を男所帯に放り込むなんて、飢えた猛獣の檻に小動物を放つに等しい。

女と縁のない生活を強いられている男にとって、同じ年頃の出雲は天女の如くまぶしく輝いて映ることだろう。
しかし、だからといって彼女が天女のような扱いを受けるとは到底思えなかった。

そこにいるのならば一緒になって話したい、話をしたのならその柔肌に触れてみたい、彼女への欲望は底なし沼のように続くことだろう。

三郎は学園長と山本を振り返って、真意を問いただした。


「一体どういうつもりですか? 出雲はどこをどう見ても女です。くのいち教室に入れるべきでしょう」
「私もそう思ったんだけれど、出雲さんにもいろいろ事情があってね。ね、出雲さん」
「はい、シナ先生」


ふたりはくすくすと笑い合った。
それは秘密を共有している者同士、実に楽しげで密やかな笑い声だ。

いろいろな事情とは果たして何か。

そんなあいまいな言葉で、はいそうですか、なんて到底納得できない。
それは三郎だけではなく雷蔵も一緒のようだった。


「ふたりが何を考えてるか、想像つくわ。とくに雷蔵ちゃん。あなた、昔から心配性だものね。大丈夫よ、自分の身は自分で守れるわ。だって、わたしは甲賀忍者ですもの。でもね、あなたたちふたりがちょっと口添えしてくれればとっても楽になるの。だから、お願い。わたしに協力してくれないかしら」


そういう出雲の瞳には、楽しげな気色とともにきらりと鋭く光る何かがあった。

それは甲賀忍者としての自信と誇りの表れ。

彼女の言葉には、遠まわしに何が起ころうと学園の生徒には決して屈服しないという強い意志が感じられた。

実際、幼き日から忍として育った彼女は相当に強い。

三郎と雷蔵は知らないが、その華奢な身体には誰も想像できないような業が備えられているし、また先ほどからけたたましい鳴き声を上げている鷹は出雲の有する鷹であり、その鷹をはじめとして彼女は虫獣遁の術であらゆる生き物を操ることができた。

これは彼女の血筋によるものである。

彼女は決して驕らない。
しかし、血反吐を吐くような精神的にも肉体的にも苦しい修行を経て今に至ったことに対しての矜持は他の甲賀忍者の誰よりも強く持っていた。

自分は甲賀卍谷の純血の忍者である。
たかだか数年忍として訓練したような男たちには決して負けない。

そういう気持ちが出雲の中にあった。

「のう、鉢屋三郎。不破雷蔵。お主ら、可愛い幼なじみの頼みごとじゃ。男らしく訳なんぞ聞かんで協力してやってはくれぬか」
「しかし、」
「私からもお願いするわ」
「山本先生まで……」


学園長と山本にそう言われては立場が弱い。


「お願い。三郎ちゃん、雷蔵ちゃん。今はまだ内緒だけど、卒業までには必ず理由を話すわ。ね、一生のお願いよ……」


途端に出雲は先ほどまでの自信をどこにやったか、眉根を下げて今にも泣きそうな顔をしてしまった。
その顔が今朝がた見た夢の中の小さな出雲の泣き顔と被って見えて三郎はどきりと胸を鳴らす。

瞳に不安の色を浮かばせて、涙を見せまいとして懇願する出雲の姿は実にいじらしい。
ふるふると震える色づいたくちびるに、そのくちびるを奪ってしまいたい衝動に駆られたが、三郎はそのよこしまな気持ちを押しとどめた。

第一、こんな頼りなさげな姿を見せられたら、誰が守らずにいられようか。

相手が何者であろうと、その毒牙から必ず守り通さなくては。

三郎は自身の下心を棚に上げてそう思った。
そして三郎は口を開きかけたが、


「わかった。協力するよ」


またしても雷蔵に先を越されてしまった。

どうも、出雲のことになると三郎は雷蔵以上に決断力が鈍るようだ。
それとも、雷蔵の決断力が強まるのか、はたしてどちらか。

三郎がちらりと横目に見た雷蔵の瞳には、しっかりとした決意のようなものが現われていた。


「おれも、協力してやるよ」


と、三郎が言った直後だ。
出雲は、ぱっと顔じゅうに花笑みを浮かべて、


「ふたりならそう言ってくれると思ったわ! うれしい! ふたりとも大好きよ!」
「……」
「…………」
「ふふっ、どうやら出雲さんのほうが上手のようね」
「全く……単純に色に惑わされよって……修行が足らんな」


その変わり身の早さといったらない。
出雲の演技は見事なものだった。

実にうれしそうに笑う彼女の顔には、全く涙の気配がない。
ふたりともあっさりと彼女の色に惑わされてしまった。

三郎は深いため息をついた。くのいちの恐ろしさをまざまざと見せつけられ、また己の情けなさに気が落ちる。

だがその一方で、しかし、とも思う。

己の未熟さを否定するわけではない。
しかし、出雲の顔で懇願されてみろ。
あらがいがたい不思議の魔力が働いて、誰もが彼女の願いを叶えてやろうと思うに違いない。

もし、惑わされない男がいるならそいつはきっと男色家だろう。


「……おれらの負けだよ。で、何を協力すりゃいいんだ」
「三郎ちゃん、拗ねないでよ」
「拗ねてねぇよ」
「意地っ張り。……あのね、ふたりにはこれから一週間のあいだに、わたしが編入することを学園中にうわさしてくれればいいの」
「女が五年ろ組に編入するってか?」
「まさか!」


自分の身は自分で守ると言ったでしょう、と、出雲はその形のよいくちびるをにこりとさせて、本日二度目の突拍子もない言葉をつむいだ。



三郎は今朝の出来事を思い出しながら、湯気を立てる味噌汁を啜った。


「そいつ、おれと雷蔵の幼なじみなんだよ」
「へぇ! そうなんだ」
「ずいぶん長いことあってないけどね、今朝、手紙が届いたんだ。その編入の件について」
「じゃあ、お前たちふたり、その天才忍者がどんな奴か知ってるのか?」
「もちろん」


三郎はその質問を待っていたと言わんばかりに、その天才忍者について語り出した。


「女みたいな顔してるけど、あれはきっとおれらより強いぜ。ガキの頃、勝てた試しがなかったからな。ひょろいくせに腕相撲は強いし、チビのくせして体力有り余ってるし、忍術も到底敵わねぇよ。ガキのころから差があったんだ、いまさら勝てる気もしないどな」
「女の子みたいっていうと、すごく怒るけどね」
「生まれついての顔はどうしようもねぇよ」
「女みたいな……ってことは」
「男だろ。残念だったな。竹谷」
「……ま、いまさらくのいち教室に編入する奴がいるなんて期待しちゃいなかったけどな」


竹谷は明らかにがっかりした顔をしてため息をついた。
それを久々知が冷たい目で見ている。

そんなふたりを、三郎と雷蔵は一体どんな気持ちで見ているのだろうか。

ふたりは一見いつもの笑顔を浮かべていたが、その笑顔のしたはそれぞれ複雑な思いを浮かべているに違いない。

出雲がふたりに頼んだこと。
それは、彼女の性別を男と偽ったうわさを学園中に流すことであった。


「幼なじみがわたしのことを男だと言えば、この女顔でも誰も疑わないでしょう?」


そうきっぱり言い切ったときの出雲の顔は忘れられない。
まさにくのいちの強かさをたたえた顔であった。
何やら姦計を企てているのではないかと、思わず疑いたくなってしまう。

そもそも、性別を偽ってまでこの学園へ入りたがる理由は一体何なのか。
負けを認めた手前しつこく聞き出すのも気が引けてしまったが、さすがにただ四年前の約束を守りにきたわけではなさそうだと三郎は思案顔をした。

そうこう思考を巡らせている間にも、うわさはすでに一年生から六年生、果てはくのいち教室までに広まっていた。





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