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▼ 白粉の魔法

 用具委員会は忙しい。用具委員会ブラックリスト入りを果たしている某会計委員長の壁の穴やら体育委員長の塹壕やら作法の穴掘り小僧の落とし穴のほかにも、生物委員会の虫かごだとか保健委員会の不運の結果だとか、細かいものを数え上げればきりがない。
 そして、それに加えて富松には迷子捜索がある。無駄に体力があるものだから立ち止まりもせずどこまでも行ってしまって、探すのがとても大変なのだ。
 だが、まあそこまではいつものことだからそこまで苦ではない。最悪なのは、それに予算会議が重なったことだ。ただでさえあんなことがあって疲れているというのに、そのあとで安藤先生の部屋の惨状の修補を行い、さらに騒動のドサクサにまぎれて行方不明になっている迷子を捜して、その上夏休みゼロでブチ切れた綾部が掘ったと言う大量の穴を埋める。つまり、いつもの倍は疲れた。

(体が重い…)

 一年生はもう帰した、酉の刻。保健委員会のためにこれだけは埋めなければと、長屋や厠の近くの穴を埋めて、今ようやっと最後のひとつだ。これまたずいぶんと深いが。ぐ、と踏み鋤を持つ手に力を入れて、食満のあとを追う、と。
 するり、口元が長い指に覆われた。

(―――っ!)

 一瞬目を見開いて、そしてすぐに、覚えのあるかすかな白粉の香と、違えたことのない細い指に力を抜いた。


「留さん。」

「お。おまえなにしてんだ?」


 そこに立って富松を支えるかのようにしているのは、善法寺伊作だった。ニコニコと、保健委員の鏡のような笑みを浮かべて、食満に話しかける。


「留さん、その穴埋めで今日の仕事おわり?」

「そうだ。」

「なら、富松くん連れてっていいかな。この子もそろそろ休ませないと。」

「!ちょっ、」


 まだやれます!と叫ぼうとした口は、てのひらで押さえつけられる。そうこうしている間に、食満はああ、とうなずいた。


「これひとつと片付けくらいならおれ一人で十分だ。作兵衛、おつかれ。ありがとな」

「じゃあ連れて行くね。」

「たのむ。」


 ひらひらと互いに手を振って、けれど富松はその裏で飛んだかすかな音を捉える。

(矢羽根、だ)

 なんといっているのかは、まだ習っていないからわからないけれど、何を話していたのだろう。
 ぐい、と先に歩き出した善法寺に引きずられるように歩き出して、けれどすぐに合わせてくれる歩幅に沿って横に並ぶ。
 見上げれば、「どうかしたのかい?」とやわらかな笑みで見つめ返される。だけど。


「鉢屋先輩。」

「…まいったな。食満先輩にも見破られるし、伊作先輩はまだまだ研究が必要だ。」


 べりり、と音を立てて面の皮をはいだ、下から見えるのは不破の顔だ。ただ、悪戯がばれたようなその表情は、不破は浮かべそうにない。


「ったく、何の用ですか?わざわざこんな手の込んだことして。」

「そのままだぞ?いい加減休んだほうがいいと思ったから、連れ出しただけだ。」

「大きなお世話ですよ!おれはまだやれます!!」


 握られた手を引っ張れば、まあまあ、とそれ以上の力で引き戻される。だけど、相当失礼なことを言ったにもかかわらず、怒っている様子はない。


「疲れてんだろ?休め休め。明日に響くぞ。」

「だけどあんな騙すようなこと…!」

「だーいじょぶだって。言ったろ、食満先輩にも見破られたし、って。食満先輩は、伊作先輩ではなく私が来たことを承知の上で、作を帰すことを許可なさったんだ。」


 だからほら、早く帰るぞ。
 くい、と握った手をまた引っ張られて、今度はおとなしく歩き出す。なんだか今まで張っていた気が解けてしまって、力があまり入らない。


「あの矢羽根、そういうことだったんですね。」

「ああ、惚気られてしまったよ。勘弁してほしいな、まったく。」


 おれがいさのこと見違えるはずないだろ、だってさ。
 くつくつと苦笑して、ああでも、と言いながら、汗にまみれた富松の髪を、さらさらとしたその手が撫でる。


「でも、なんですか。」

「ああ、そうそう。でも、私は富松のほうがすごいと思うよ。」


 だって食満先輩は伊作先輩しか見破れないけれど、富松はどうやったって見破るだろう。
 なぜかうれしそうに笑う鉢屋に、あなたのほうがすごい、と富松は思う。
 だって、どんな顔だって作り出す、ほんの少し白粉のいい香りがするきれいなその手は、魔法の手だ。


「ほら、さく。おやすみ。」


 ゆるり、長い手がまぶたを覆った。




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