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▼ 例えば宇宙が滅びたとして、最後に言葉を発するとして、私があなたを好きだったとして

ふらふらと先を歩く発展途上の背中に追いつくのは簡単だった。
パシ、と手首を掴んですぐに感じた違和感に、内心首を傾げる。
記憶と違うそれに自分のことでもないのに嬉しくなって、それを告げようとする直前に本来の目的を思い出し、ぐい、と手を引いて逆の方向へと歩き出した。


「ちょ、離して下さい!」

「断る」


逃れようと無意味にぶんぶんと腕を振るのを名前を呼ぶことで窘めて、また歩き出す。
半ば引きずってきたと言っても過言ではないままクラブの医務室に引っ張り込んで、うつむいて丸椅子に座り込んだ後輩の前に膝をつく。


「なあ赤也、知ってるか」

「っ、何がっスか?」


右手でほおを押さえて、左手で触診をすると、痛かったのかく、と息を詰めた。滑らかな白い肌にはきれいに赤が広がっていて、いっそ美しいと、不謹慎にもそう思った。


「せんぱい?」

「なんだ?」

「いや、なんだっていうか」


いつもだったら「先輩が先に言ったんじゃないですか」などとじゃれるように言い返してくるのに、今日は流石に会話を楽しむ余裕もないのかごにょごにょとごまかすように口をつぐんだ。
それに満足して笑って、シップとはさみを取りに立ち上がった。
全体的に白で統一された部屋に、シャキン、シャキンと刃物のなる音だけが響く。
自分だけの空間ならばさして珍しいことではない沈黙も、赤也一人の存在だけで途端に異様さが増す。
図書室で勉強中だろうが他人の試合を観戦しているときだろうが、こいつは常に口を開いている。赤也を黙らせるために毎回手を焼くのは主に弦一郎だが、彼が今の赤也を見たら酷く驚くだろう。
その弦一郎に詰め寄られたときですら、多少落ち込んではいたがいつもの態度を崩さなかったのに、今は見る影もないほど大人しい。
丁度いい大きさにまっすぐ切られたフィルムをぺりぺりと剥がし、名前を呼ぶ。わずかに顔を上げたのを動くなよ、と言い置いてぺたりと張れば、冷たさに驚いてわずかに体が揺れた。
気泡が入らないように中心から端に向かってゆっくりと指を動かせば、柔らかな頬に指が沈む。こういうところはまだ子供のようだな、と微かに笑って、するりと頬を撫でた。


「お前は以前より筋肉がついたようだな」

「え、まじっすか?」

「ああ」


そう言って再び手首を取り、回した親指を中指で測るように握る。


「やはりな。以前より0.5センチほど太くなっている」

「なんか太くなるって言ういい方いやッスね。太ったって言われたみたいで」

「ふ。まあ確かに筋肉がつけばいいというわけではないがな。お前は細すぎるからこのくらいが丁度いいだろう」

「へぇ」


手首を開放してやれば、すかさず自分で同じように握っては、実感がないのだろう、しきりに首を傾げている。


「赤也、お前はまだまだ伸びるよ」

「マジすか?」

「ああ、俺はいつでも怯えている」


そう、常にその成長に怯えている。今はまだお前の上に立つ存在として必要とされている。けれど、いつかお前が俺の助けも要らないほどに成長し、俺を抜いてしまうことを、酷く恐れている。
こういう時データは不便だ。俺のデータは、赤也がいつか必ず俺を抜くことを示している。だが、赤也が俺を追い抜いたとき、赤也にとっての俺がどうなるのかと言うことは、わからない。
予想がつかないことなど、起こらなければいいと思う。赤也はずっと、俺たちの、俺の背後で守られる、俺達がいなければ感情の押さえも利かないような、そんな子どもでいてくれればいい。
そんな、チームのためにも、赤也のためにもならないようなこと、口に出す気もないけれど。




例えば宇宙が滅びたとして、最後に言葉を発するとして、私があなたを好きだったとして





title by HENCE


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