別れの理由があった | ナノ
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「これもいらない、と。」


 一人暮らしをするなら、いらない物を捨てなさい、と母に言われた。けれど元々あまり物を捨てられない性分のせいか、小さな頃に使っていたバッグやなんかが大量に出てきた。なんとなく惜しい気もするけど持っていくわけにもいかない。仕方なくその色褪せたピンクのファーのついたポシェットを捨てようとして、確認のために中に手を突っ込んだ。


「…あれ?」


 かつん、と少しのびたつめ先にあたったものを掴む。筒状のそれは、取り出してみれば口紅だった。デザインも古く、色も私は使わない、明るいピンク色だ。おそらく母から昔遊び道具としてもらったものだろう。スティックを出したまま蓋をしめたのか、先の方が潰れていた。


「なつかしいなぁ…」


 そういえば昔は、お隣さんの彼とふたりでよく遊んでいた。多分そのときこれも使っていたのだろう。この口紅を持った彼の幼い手、ぬってやるよ、そう言った幼い声を、妙に鮮明に覚えていた。







 みてみてブンちゃん、おかあさんがくれたの。そう言って口紅を取り出すと、彼はキラキラした瞳でそれを見つめていた。


「それなに?」

「くちべにっていうんだよ。」

「くちべに?」

「おかあさんがこうやってぬるやつ。」

「へぇ、かっけーじゃん!」


 かしてかして、と返事も聞かずにそれを手にとると、彼は持ち前の器用さでそれを早々に塗ってしまった。


「どう?」


 くるりと振り向いて私にそう聞いた彼は、家で試して鏡の前で見つめあった私よりも何倍もかわいらしかった。それが、私がもらったもののはずなのに彼にとられてしまったようで、私は思わず泣き出してしまった。


「ど、どうしたんだよぃ?」

「っ、それ、は、わたしの!ブンちゃ、のじゃ、ない、の!」


 今思えばひどくくだらなくて、そしてわけのわからない言葉だったんだろうな、と思う。
 だけど彼はうんうんとうなずいてくれて、多分よくわからないまま、それでも、じゃあ俺がぬってやるよ、そう言って丁寧にくちびるにそれを滑らせた。
 引っ張られるまま手洗い場の鏡に連れてこられて見た私は、彼が口紅を塗ってくれただけでびっくりするくらいかわいくなったような気がして、さっきまでのぐちゃぐちゃな気持ちがなくなっていくのを感じていた。


「かわいいだろぃ?」

「すごいすごい!ブンちゃん、ありがとう!」







 色に染まったくちびるで笑いあったあの日から、この口紅は私の宝物になった。
 それからいつも持ち歩いていて、だけど彼はだんだんとテニスで忙しくなって、もうお下がりの口紅で遊ぶこともなくなって。


「もう、この色も似合わないな。」


 こんな無邪気なピンクは、もう私には使えない。
 捨てたくはない。
 けれど、これを捨てたとしても、これを握った彼の手を、忘れることはないと確信している。
 063。白く堀り込まれた色番を見て、ごみ箱に放り込んだ。




まだ君の笑顔を覚えている




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