別れの理由があった | ナノ
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 言ったことはないけど、直保が菌たちと戯れている姿は実はとても好きだ。
 菌に対して使う言葉はぞんざいなくせに、その手はまるで慈しむかのように彼らを掬いあげて、ふわふわと淡い光をまとわせて静かに笑う、それ。
 そもそもが直保の一人遊びだったし、昔同級生に見られていじめられたこともあるから滅多に見ることはなかったけど、だからこそ好きになったのだと思う。
 でも、もしかすると長年見ていないせいで自分の中で美化してんじゃないかな、なんて思いだしたらなんかもやもやして、真夜中なのに醸造蔵なんてところに来た。そして、こういうときに限って直保は一人で机に突っ伏して寝ていたりするわけで。

(電気消してもいいかな…)

 ごちゃごちゃと置かれた机の間を抜けてスイッチを押して、暗闇の中を直保のところへ向かうと、スカートに引っかけたのかペンケースが音を立てて落ちた。

(やっば)

 このときばかりはふわふわとやたら布の多いゴスロリ服をうらむ。さすがにこれは起きるだろう、と目を向けると案の定、目を覚ましたようで何やらうなり声が聞こえる。


「うおっ、ここどこだ」

「醸造蔵だよ」


 かわいらしいデザインのペンケースを元の場所に戻して、ひとりごとに答えると、蛍、と驚いたように名前を呼ばれる。


「なんでここにいるんだ?」

「それはこっちのセリフだよ沢木。見張りでもないんでしょ?どうしたの?」


 近づきながら問うと、「うわー、寝ちまったか」と頭をかいて、いやさ、と言い訳するように口を開いた。
 レポートが終わらなくてさ、家帰ったらあいつらに邪魔されっからここでやってこうと思って、そのまま寝ちまったみたいだ。
 闇に慣れた目に映る、苦笑うその表情を久しぶりに見た気がして驚いた。いや、実際久しぶりなのだろう。近いとはいえ、俺は酒屋の経営をしていて、一方直保は大学に行ってて。しかも最近までフランスに行ったりしていたからまともに話す時間もなかった。
 大変なんだね、当たり障りなくそう言って、ちょっとしたキッチンテーブルくらいある実験机の向かいに慎重に座ると、なぁ、と少し戸惑いを含んだ声が聞こえた。


「どうしたの?」

「いや、電気つけねぇの?」


 答えないで笑っていると、はあ、とため息をついて立ち上がろうとする、その手首を引き留めるように掴んだ。


「…けい?」


 机についた手を掴まれて、微妙な体勢でいるのは結構間抜けで、ぽかんとしている直保をよそに僕はくすりと笑う。


「ね、沢木」

「…なんだよ」


 そう返す直保の、暗闇でもわかる嫌そうな表情の理由は、昔からこうやって笑った僕が変な行動を繰り返したせいだろう。最近は直保に迷惑を掛けることはなくなったとはいえ、小さい頃に植え付けられた記憶は強いらしい。掴んだ腕にも反射のように力が込められたのがわかった。


「ね、久しぶりにあれ見せてよ」

「あれ?」

「パンに文字かくやつ」

「えぇ?」


 その警戒を飛ばすように今日の目的とでも言うべきそれを告げると、盛大に顔をしかめて「なんでそんなの見たいんだ?」と怪訝そうに問い返してきた。


「いいから、おねがい」

「んー、まあ、いいけどさ…」


 そう言うと手探りで夜食用の食パンの袋を引っ張って、「けい、でいいか?」と聞いてきた。


「え、やってくれるの?」

「何言ってんだ。お前が言い出したんだろ」

「いや、そうなんだけど…。うん、いいよ。けいで」

「ふーん、わかった」


 まさかそんなあっさり了承されるとは思わなくて、思わず聞き返してしまう。呆れた表情に我に返って頷くと、直保はパンを一枚出して椅子に座り直した。
 昔だったらもっと渋られた気がする。このゼミに来て、能力を肯定されたせいだろうか。何にしても、変わったな、と思う。 多分、いい方向に。
 だから、喜ぶべきなんだ。


「ほら、お前ら。来いよ。久々の蛍のおねがいだ」


 ぶっきらぼうな直保の言葉に応えるように、光の粒が徐々に直保の周りに集まってきた。ふわふわと舞う彼らに囲まれた直保は、なんというか、ひどく神聖で、侵しがたい。


「そうそう、いい感じ…、ああ、お前はこっちな。うん、そう」


 言えばきっと力いっぱい否定するだろう。だけど、事実、その目は慈しみに溢れて、よくできたな、そう笑う表情はやさしい。


「あぁ、ありがとな。…蛍?」

「ん、なに?」

「お前…泣いてんの?」


 言われて目元に手をやると、着けてきた黒手袋が濡れる感触があった。


「あれ、ほんとだ」

「ほんとだってお前…どうしたんだよ」

「んー…」


 よくわかんない、そう答える間にも涙は頬を伝おうとして、メイク落ちるとひどいことになる、ととりあえずハンカチで目元を押さえる。
 顔を上げると作業は終わったはずなのに直保の周りは明るくて、多分菌たちにだろう、お前ら黙ってろよ、と文句を言うのが見えて。


「直保、綺麗だね」

「あ?」


 唐突な言葉の説明を求める視線を受けながら立ち上がって近寄り、ふわりと金色のやわらかな髪を掬いあげる。


「綺麗だよ。ありがとう」

「あ、ああ…。どういたしまして?」


 怪訝そうに語尾を上げる直保に、けれどそれ以上追求させる前に電気のスイッチを入れた。そうすればさっきまでのどこか非現実的な空間は終わりを告げて、元の殺風景な醸造蔵に戻った。明順応ができていない直保にただ笑って、そのまま外に出た。
 空を見上げれば地元と違って星なんか見えなくて、それがまたさっきの光景と相まって気分を落とす。
 いつまでも直保は僕の知っている直保ではない。あの神聖な光景も、直保自身も、独占することはもうできない。それを知って、それでも自分たちの目指すもののために離れたのに、いざとなるとどこか頷けない自分がいた。この感情は、いったいどうすれば。
 本当は、今日を最後にしてしまいたかった。幼い頃見たきりの、記憶の中で大切にされ続けた美しい風景の、現実を見て失望してしまえば。
 無理だなんてことはわかっていて、相変わらずの美しい光景に、理不尽な言葉を押し留めるのがつらかった。
 僕以外に見せないで、なんて。
 いつまでも一緒にいられるかわからないのに、そんなことは言えない。
 だから。


「蛍!」

「!」


 カカッ、動揺してヒールを鳴らす。立ち止まって振り向くと、煌々と電気をついた醸造蔵を背景に、直保が手を振っていた。


「また明日!」


 ああ、似合うな。
 直保には光がよく似合う。だからこそ、僕なんかが独占することはできないのだ。
見えているかどうかなんて気にせず、ただ一度、手を振って再び夜を歩き出した。





君の幸せを心から願う




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