別れの理由があった | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -






 人が集まると広がる独特の喧騒は、やはり大人も子供も変わらないな、と思う。
 自分がいっそう騒がしくしている自覚は多少なりともあるが、だからといって気にすることもない。学校にいるときと同じだろうと、こちらに向けられる視線をシャットアウトする。
 早くしてくれないかなあ、とこちらを見ている誰とも視線を合わせないようにしながらくるりとあたりを見回す。あとは支払いをして処方箋を受け取れば終わりだ。早く帰れば部活に参加することは無理にしても様子は見れる。引継ぎを終えたばかりだからか、新部長の赤也を信頼していないわけではないがどうしても心配になってしまう。
 そして、ふと、目をやった公衆電話のまえに、よく見る色を見かけた気がしてもう一度目をやる。
 最初はご老人の白髪かとも思ったけれど、あの長さに光をよく反射する髪は、白髪というよりは銀髪といったほうがふさわしいだろう。それに、三年間同じ部活に在籍していたのだから、あの特徴的な、年齢不相応な猫背気味の後姿を見間違えるわけもなかった。
 仁王も病院に来ていたのか、と立ち上がる。もう三年生は引退してしまっているからいちいち報告する必要もないけれど、同じ病院に来るのだったら声ぐらい掛けてくれてもいいのに、とすこし唇を尖らす。けれどまあ、よほど具合が悪くて、余裕もなかったのかもしれない。

「仁王?」

 どこか悪いのかい?
 半ば社交辞令的にそう問いかけようとして、その前に勢いよくこちらを向いた仁王に目を見開く。見たこともないくらいひどい顔をしていた。詐欺師と謳われ、周囲を煙に巻く飄々とした態度を崩さない、仁王らしくなく。それは、体調が悪いとか、そんな理由からではない気がした。なんていうか、そう、まるで、入院したころの自分、いやそれよりもひどい顔。
 似合うのは、絶望という二文字。

「に、おう?」
「っ…!」
「仁王!」

 はじかれたように走り出した仁王を追って外に出る。それは反射だった。
 走りながら、頭の冷静な部分が警鐘を鳴らす。なぜ、あんな顔をしているのか。浮かんだのは最悪の想像で、それを打ち消すように、どうせいつもの詐欺なんだろ、と感情が苦く笑う。
 なんで、なんでそんな顔をしているの。ねえいつものペテンなんでしょ?かかった、って言って笑ってよ。ねえ俺すごい焦ってんだからもう十分でしょ?
 ねえ、仁王、

「仁王、止まれ!」

 びくん、と反射的に立ち止まった隙に腕をつかんで、人気のない木の影に引っ張り込む。軍隊のようだ、なんて他校にいわれたこともあるほどの、自分の部員に対する強制力に今だけ感謝した。肩をつかんで正面に向き合わせれば、仁王はいつも以上に白い横顔をさらして視線を合わせようとはしない。

「仁王、なんか俺に言うことあるでしょ。」
「…なんもなか。」
「仁王!」

 あんな顔して何もないはずないのに。
 けれど、もうその白い顔に先ほどの表情はない。さすが仁王だ。場違いにも感服する。ちょっと前は真田にピエロと呼ばれていたことを気に病んでいて、それですこしからかったりもしたが、仁王がピエロというのは言いえて妙だと思うのだ。
 仁王は、その色白の顔の下の感情を、隠すのに長けている。それはまるで、ピエロが厚い厚い、白塗りの化粧を施すように。
 だから、さっきの。白塗りが崩れたはずのあの瞬間の表情は、その下の感情を間違いなく表出していたはずなのだ。

「仁王、俺には話せないこと?」
「何もないって言うとるじゃろ。」

 そういう仁王は、そのくせ不自然に息が荒い。いくらサボりがちだといっても、あれぐらいの距離を走った程度で息が切れるほどやわな体力は持っていないはずだ。けれど、今度はその視線をしっかりとこちらに合わせて、「強いて言うならかぜじゃ。身体がだるくてかなわんのう。」と笑う。
 その言葉に、できることなら同意してしまいたかった。なあんだ、と笑って、何も逃げることはないじゃないかと肩を叩いて。けれど、それこそが仁王の詐欺だと、気づいてしまったから。

「なら、」

 柳生になら、話せる?
 それは、せめてもの妥協案だった。仁王は、俺には絶対に口を割らないだろう。けれどこのまま放っておくことはどう考えてもできなかった。おせっかいといわれようと、あの表情がどうしても焼きついて、引き下がることなんてできなかった。だから、仁王が一番信頼しているだろう柳生になら、と。
 
「いやだ!」
「…え?」

 けれど、それは大きな誤算だったらしく。

「いやだいやだやめろ!柳生に話すくらいだったら幸村に話す!話すから、だから、」

 柳生にだけは、言わんでくれ……!

 ぼろぼろと、白塗りが崩れていく音が聞こえるようだった。本来なら、晒されるべきではないピエロの素顔。それは、メイクではない、実体を伴った涙によって、おかしいくらいにあっさりと晒された。


 *


「余命は、三ヶ月だと。」
「……え?」

 ぽつり、かすれた声で突然言われたその言葉が信じられなくて、思わず顔を上げた。けれど見えるのはその銀色の髪だけで、仁王はやっぱりうつむいたままだった。

「さっき言われたんじゃ。俺はどうやら、近々死ぬらしい。」
「う、そ……」
「さすがにこんな趣味の悪いペテンはかけんよ。」

 嘘をつくことが日常茶飯事の仁王は、けれど嘘ではないという。信じられなかった。いや、信じたくなかったんだろう。だけど、それが真実なのだと、否が応にも悟ってしまった。

 以前仁王に、お前は女みたいだね、といったことがあった。そのときはカチンときたらしい仁王に「女顔のお前さんに言われたくなか」なんて言い返されて、そのまま軽い喧嘩になって有耶無耶になったのだけど、仁王が女みたいだと思ったのは本当だった。
 女は、嘘をつくとき目をそらさないのだという。
 都市伝説のようなそれは、だけど妙に現実味があった。女のしたたかさは、男には計り知れない。そして、だとしたらあいつもそうだよな、なんて連想ゲームのように浮かんできたのは立海が誇る銀髪の詐欺師だった。
 仁王は、相手にペテンをかけるとき、しつこいほど目をそらさない。そりゃあ柳生だって目は合わすが、仁王のそれは、意識してみれば一種異様だ。
 常に相手を見つめ続けて、決して自分から目をそらさない。
 その仁王が、うつむいたまま、かすれた声で、自分は死ぬのだという。

 あきらめるな、と言ってやろうかと思った。すこし前に、自分がいわれていた言葉。あきらめなければ、1%の可能性にでもすがることができれば。
 だけど、顔を上げて、あきらめたように淡く笑った仁王を見て、口をつぐむしかなかった。

「のう、幸村。」
「……なんだい?」
「慣れないことは、するもんじゃないのう。」
「……え?」

 どういうこと、と。そう聞く前に仁王は、柳生とな、と続けた。

「柳生と、約束したんじゃ。高校行ったら、またダブルス組もうって。そんで、今度はダブルスで全国行こう、って。」
「……珍しいね、仁王が約束なんて。」

 そう、珍しい。自他共に認める詐欺師の仁王が約束を守ることはほとんどない。約束をねたにからかったり、のらりくらりと交わしては、他人の怒りを煽って楽しんでいるような雰囲気があった。だから、仁王と約束しようとする者はいないし、約束しようとするものがいても、軽々しくできない類の約束は仁王がしようとしない。詐欺師と名乗るだけあって、仁王は言葉の使い方にひどく敏感だ。
 だから、その約束は、その場の勢いだけでは決してない。仁王は、高校に行ったら本気でまた柳生とダブルスを組んで、全国に行くつもりだったのだろう。

「柳生からは、いっつも貰うばっかじゃったからのう。」

 そうとだけ言って笑った仁王は、だけどくしゃりと顔を歪める。
 いつの間にか自分の手から離れていた、日焼けの痕のあまりない細い腕は、音がしそうなほど強い力で自分の身体を抱きしめる。

「ごめん、ごめん柳生……。きっと、おれ、は。」




 約束さえ守れなくなる

(死んでもええとおもっとったんじゃ。いつ死んだって後悔はないから、そんな未練の残るほど、この世に執着していないから、だからいつでもええって。アホじゃよなあ、そういいながら、あんな約束交わして。あれだけテニスに執着して、勝ちにこだわって。なのに執着していないなんて、笑わせてくれる。)
(だけど、)
(その自覚もないほど、俺にとってあの約束も、テニスへの執着も、自然だったのかも知れんなあ。)


prev|next