睡眠 | ナノ
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 縛ることはできないけれど

 家で待ってます。今日は鍋。
 うるさくない程度に絵文字を添えて、送信ボタンを押す。そうしてから、だいぶ前にもらっていた合い鍵を使って、1Kの部屋にはいる。この合い鍵は、確かあまりに部屋に入り浸る佐伯に呆れて、勝手に入ってろと渡されていたものだ。その前は毎日のように彼女に帰宅時間を聞くメールを送っていて、面倒くさがりの彼女はそれなら合い鍵をという発想に至ったのだろう。それすらも佐伯の作戦のうち、といったら、彼女は驚いてくれるだろうか。
 いや、無理な気がする。おそらく、「へえ、そうなんだ。」と言われて終わりだろう。別にそれは佐伯のことをどうでもいいと思っているわけではなく、彼女の性格上、家庭はどうあれ自分に利する結果になったのだから気にしない、ということだ。佐伯の彼女は、面倒くさがりの合理主義者である。
 自分の顔が悪くない自覚はあった。
そしてまあ、もてる自覚も。だから相応に女性経験はこなしたし、同世代の女の子たちの束縛したがる傾向はありがたかった。だけど同世代の女の子たちは同時に熱しやすく冷めやすく、長続きなどするはずもない。そんな頃に出会ったのが、4つ年上の彼女だった。
 クラスメートの姉だった彼女は、その年齢を考えてもどちらかというと淡泊な人で、集団行動もとりたがらないような人だった。その人がなぜ気になったのかなんて今になっても不明だが、その淡泊な人を執着させたいと付き合い始めた。
 基本的に愛情は注いだ分だけ返ってくる。少なくとも今まではそうだった。逆に、注がれなければ返そうとは思わない。だから、執着させることは簡単だとは思った。その後続くかどうかは別問題だが。
 幼なじみの不二にそのことを話せば、「いつか痛い目を見るよ。」と珍しく真剣な声で言われた。「そうかもね。」なんて、全くそう思っていないような声で返していたのがもはや懐かしい。
 痛い目には、現在進行形であっている。
 返してくれる、というのは間違いないだろう。ただ、それが佐伯の望む形でなかっただけの話だ。
 彼女は忙しい学校に通っていて、常に試験だのレポート提出だのがちょっと先にあるような状態だ。部活もやっていないような学生が、そんなに忙しいなんて知らなかった。自分には理解できないような、けれど忙しい人にそれ以上のことを望めるはずもなく、彼女は佐伯が望む形では答えてくれない。そんなにいやなら別れればいいのに、とは思うけれど、それもできないのだ。
彼女が忙しい中、それでも彼女ができる最大限で、佐伯を受け入れてくれていることを知っているから。
 尽くす喜びを知ってしまって、それに与えられるほんのわずかな報酬がたまらなくうれしいなど、きっと一年前の佐伯は知らなかった。



「ただいまー」

「おかえり。」

「あれ、今日鍋なんだ。」


 平然とそんなことを言う彼女は、きっとメールを見ていない。学校でやることが終わったら、メールも見ずにすぐに帰り支度をして返ってきてしまうから。
 彼女曰く、それは名残なのだという。

「帰るのが遅れてしまったら、虎次郎が家に入れないなんて、思っていた頃の名残だよ。」

 彼女自身は笑い話のように言うそれに、佐伯は最大の見返りを得たような気分になった。きっとそれが彼女の愛情の返し方だった。佐伯を縛るのではなく、彼女の中に、ゆっくりと佐伯用のスペースを作っていってくれる。それこそが、彼女の愛の形である。



 縛ることはできないけれど



お題:年下の王子様



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