睡眠 | ナノ
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 佳人うるわし、されど風流に非ず。

 美しいものは美しいものであるという誇りでもあるのだろうか。今も昔も人は変わらないという現実をまざまざと見せ付けられた気分だ。まあこの場合は美しさというよりは風流(みやび)であるということなのだろうけれど。風流とはなんだろう。上品であるさま。上品などくそくらえだ。その上品さを保つために、何を犠牲にしているのか、あなたならばわかるだろうに。


「木更津くん、性格悪いよ。」

「なんのこと?」

「気づいてるんでしょ?橋場さんが木更津くんのこと好きだってこと。」

「へえ、そうなんだ。」


 英語の予習に目を向けたまま、クスクス、とわざとらしく声を上げる。その笑い方は苦手だった。誤魔化されているような気がしてならない。
 彼は、それに何の違和感を抱くこともないのだろう。それ、とはつまり、橋場さんのアプローチを知らないふりをすることを、だ。彼女のあからさまなアプローチに気づいていない人間はもはやクラスにはいないし、それをまるでなんの気もなく流されてしまうさまはむしろ滑稽で、言いたくはないが可哀相だった。


「木更津くんはきっと、告白されようと、キスを迫られようと、身体を求められようと、なんでもないように流してしまうね。」

「僕はそこまで聖人君子じゃないよ。」

「聖人君子なものですか。」


 あ、今の言い方、観月に似てる。クスクスという笑い声に苛立ちが募る。その苛立ちを隠そうとしてもどうせ隠せるものではなくて、自然と棘を帯びる。


「木更津くんはさ、橋場さんに告白されたらどうするの?」

「まだ言うの?流すんでしょ、君曰く。」

「本当にそうとは、限らないもの。」

「…君は僕に、期待を抱きすぎだと思うよ。」


 期待。そうなのだろうか、と顔をしかめる一方で、どこか納得する部分もあった。
 すっと通った鼻筋に、切れ長のきれいな目。薄い唇に、日焼けを知らない白い肌。整ったパーツがすっきりと配置されたそれに、期待を持ちたくなくても持ってしまうのか。認めたくない、所詮女は、うつくしき風流士(みやびを)には勝てないのか。


「だったら、君がやってみたらいいよ。」

「…なにを。」

「告白、ってやつをさ。」

「……私に、石川郎女になれとでもいうの。」

「誰、それ。」

「最低男にほれ込んだ、可哀相な女の人。」


 思いっきり、皮肉をこめて言ったつもりだった。あなたは最低男といわれるだけのことを、しているのだと。これが理解できないなんて思っていない。なのに。


「へえ、それが告白?」

「っな、に、言って!」


 ぼろり、崩されたのはこちらだった。
 何でそんな、憎まれ口をわざわざ拾うのか。自分自身ですら意識していない、本音なのかどうなのかもわからない。けれど、突かれたとき感じたのは、確かに怒りではなく羞恥だった。不本意に自分の感情が知れてしまったことに対する。


「ねえ、その最低男はさ、石川郎女とやらに何をしたの?」

「…アプローチに気づかずに、女性をそのまま帰したわ。」

「よし、じゃあそうしようか。」


 やっぱりか。結局、今も昔も、変わりはしない。
 わかっていたはずなのに、目の奥がつんとする。不本意な感情に苛まれていると、電子辞書と教科書を仕舞った彼はなぜかこちらに近づいてくる。


「…なに?」

「だから、帰す、んでしょ。送るよ?」



 そういうと、体温の低い手が手首に絡んだ。そのまま力がこめられて、衝撃で机にぶつかる。がたん、音が誰もいない教室に響いた。


「…待って、どういうこと?あの和歌はそんな意味じゃ、」

「知ってるよ。でも僕は風流士じゃないから。」


 教室のドアを開けながらさらりと言われた言葉に、一瞬固まる。それは、あの和歌を知らなければ出てこない言葉だ。


「何で知って…!」

「さっき調べたんだよ。辞書あったしね。ご期待に添えなくて悪いけれど、僕は何も上品であろうとしたわけじゃない。」

「じゃあなんであんなこと、」

「だから、」


 ゆるり、つかまれた手を持ち上げられる。その、意外にごつごつした手の向こう側に、黒い瞳が光っていた。


「これが、僕の答えだ。」





風流士と我れは聞けるをやど貸さず我れを帰せりおその風流士




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