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 長い髪を乾かし終わって、ドライヤーを切る。冷風の方が当ててる時間は長いけれど、暑いものはやっぱり暑い。充電器に繋がったままのスマホを見ると、時間はまだ17時を少し過ぎたあたりだ。余裕すぎる。たしかラウンジのカフェは、19時までドリンクフリーだったし、髪巻く前になにか飲み物でも貰いに行こうかな、と玄関周りをうろうろすると、バタン、と重たい扉の閉まる音が隣から聞こえてきた。轟くん、どっか行ってたのかな。かふぇ? と送ると、すぐに既読がついて、『なにがだ?』と返ってきた。轟くんらしい。そのまま通話のボタンを押したら、ツーコールで通話が繋がる。

「いま忙しかった?」
『お……いや、大丈夫だ』
「や〜、なんかうろうろしてたらね、扉の音聞こえたからさあ」
『ああ、そういうことか』
「そ〜」

 充電器から抜いた電話を片手に、ゴロン、とベッドに寝転ぶ。あ〜、下着とか直しとかないと。コスも。流石にいつまでも全裸でいるわけにはいかないので、寝転んだまま足を上げてパンツに足を通していく。こんなラグジュアリーホテルのスペシャルいい部屋にそぐわないはしたなさだけど、誰も見てないしまあいいよね。

『ちょっと挨拶回りにな』
「うわ、大人だ。大変そう」
『まあ』

 挨拶回り。社会人経験があるからなんとなく分かるけれど、極めてめんどくさいよね。エンデヴァー事務所の提携企業も多いから、顔を出すのも重要みたいだ。流石に同伴者とはいえ、全く関係ない部外者の私を連れて行くことも出来ないだろうし、ちょうど良かったっぽい。

「轟くんも名刺とか持ってるの?」
『自分のは持ってねェな』
「あ、なるほど」

 パパスのか。正直轟くんが名刺交換とかしてる様子が思い浮かばないんだけど、二世ヒーローってそれなりに社交があるようだし、少しは慣れているみたいだ。顔と肩にスマホを挟んで、ストラップレスのブラを付ける。お腹の前でホックを付けて、ぐるんと回して、それから胸下にもあるホックを留めた。よし、ギリ人として形を為せるほどには服着たぞ。

『緩名はなにしてたんだ?』
「今ねえ、お風呂上がって化粧とか終わったとこ〜」

 轟くんは準備終わった? と聞くと、今からシャワーを浴びて、着替えるだけらしい。特に髪のセットとかしないのかな? イケメンだけど全然頓着しないよね。

「あ、じゃあ暇だしそっち行っていい?」
『お』

 暇なのもあるけど、なにより轟くんの部屋は角部屋だ。コーナースイート、だいたい他のスイートルームよりも広いからちょっと気になってたんだよね。少しだけ間が空いてから、いいぞ、と許可が出た。軽くシャワーを浴びるそうなので、10分後くらいに来てくれ、らしい。わーい! と喜んで一度通話を切ってから、ドレスに身を包んだ。流石に下着で出歩くのはキツいし。
 レセプションパーティは立食形式だと聞いているし、プロのヒーロー達は正装ではなくコスチュームで出る人もいるようなので、そこまで格式ばったものでもないだろうな〜、と思ってカクテルドレスにした。淡いラベンダー色の膝丈のフィッシュテールのドレスは、肩周りがレースになっていて、いやらしくない透け感がかわいいやつだ。ドレスとか、めちゃくちゃワクワクして選んでしまった。かわいいの多すぎて全部欲しかったもん。シンプルだけど、スカートには細かいスパンコールが入っていて、動く度に光の当たる角度が変わってキラキラする。かわいい。大優勝。
 まだヘアセットはしていないけれど、なかなか自分に似合うかわいいドレスに興奮して、数枚自撮りをする。うわ、この部屋の窓際、光の入り方超いい。クソ盛れる。最高。鬼。こんなん全世界が私に惚れてしまう。皺にならないようにベッドに寝転んで、上からインカメで自撮りをする。え〜、クソ盛れる。一生これがいい。百……は後で会った時に直接お披露目したいし、轟くんも今からお部屋行くしな。障子くんと、ん〜……梅雨ちゃんと、やっぱり障子くんだな。絶対全肯定してくれる人選。障子くんイズジャスティス。二人にド盛れ鬼強自撮りコレクションを送り付けていたら、そろそろいい時間になっていた。ストラップ部分がビジューの、ポインテッドトゥのヒールの細いパンプスを穿いて、スマホとコテとカードキーを持って、部屋を出た。

「あれ!」
「お」

 出た瞬間、轟くんが部屋の前にいた。肩にはタオルがかかっていて、お風呂上がりなのが伺えた。え、待っててくれたんだろうか。連絡してくれたらいいのに。優しい。柔らかい床の上を小走りに寄っていくと、目尻がやんわり綻ぶ。

「みてみてみて、かわいくない?」
「ん」

 部屋への扉を開いた轟くんに続いて、お部屋に入る。おじゃまします。すぐにドレスを見せ付けるようにばっ、と腕を広げると、轟くんが私から少し距離を取って、頭の先からつま先までを見渡した。すごいしっかり見てくれるじゃん。律儀。

「ああ、かわいい」
「ほんと?」
「ああ。かわいいぞ」
「もっと」
「緩名はかわいい」
「やった〜!」

 最近の轟くん、わりと私全肯定マシーンになっているようなとこある。素直に褒められたので、素直に受け止めた。やった〜。くるっと回ると小さく拍手して、かわいい、と賞賛をくれる。轟くんの優しさ、最高。そのまま並んでふかふかのソファに腰を下ろすと、轟くんの髪を伝う水滴が、肩にかけたタオルへ吸い込まれていくのが見えた。

「あ、ごめん、髪まだ乾かしてなかったんだ」
「ん、ああ、気にすんな」
「濡れ髪イケメンハオ〜」
「気にしてねぇな」

 いやいや、気にはしてるよ。ちょっとは。

「あ、乾かしてあげようか」
「……じゃあ、頼む」
「ついでにフワフワにしていい?」
「ふわふわ?」
「ふわふわ〜」

 せっかくのイケメンのせっかくの正装なのに、なんにもセットしないのも勿体ない。吊るされているスーツも、質の良さそうな物なので、髪だけなんにもしないのもアンバランスだろう。

「ワックスとか持ってる?」
「……鞄に入ってたな、そういや」
「ナイスプレーじゃん」
「ああ、姉さんが一応っつってた」

 轟くんのお姉さん、どんな感じかあんまり知らないけれど、同じようにポワッとした感じなのかな。弟がぽわっとしてるから、逆にしっかりものだったり? なにはともあれナイスプレーだ。轟くんがドライヤーと、キャリーを漁ってワックスを取ってきた。しかも新品。

「じゃ、ドライヤーしまぁす」
「はい」
「ふふ」

 ソファに座る轟くんの後ろに立って、タオルドライでかなり乾いている髪に、ドライヤーを当てていく。最初は熱風だ。

「熱くない?」
「ああ、大丈夫だ」
「ん。男の子ってさあ、髪の毛、楽だよねえ」

 水気がすぐに減ったので、ブラシを当てながらで冷風で冷ましていく。乾く速度が自分とは段違い。こういうところ男の子ってちょっと羨ましいな、と思う。

「緩名は大変そうだな」
「も〜ね! ちょう大変。好きで伸ばしてるけどね〜」

 手ぐしでサラサラの柔らかい髪を撫でると、テーブルに立てかけた鏡越しに、轟くんが気持ちよさそうに目を閉じるのが分かった。猫みたいだ。……うん、これくらいかな。カチ、とドライヤーを切って、机の上に置いた。

「こういうのやりたいってある?」
「いや、任せる」
「おっけえ、任せて」

 学校でも、轟くんがセットしてるのは見たことないな。上鳴くんとか切島くんとかは毎朝頑張ってるっぽいけど。さて、どうしようか。あんまり凝った髪型を出来るわけでもないしな〜。うーん、と悩みながら、ソファの前に回り込んで轟くんの前にしゃがんだ。長めの前髪を、真ん中あたりで小指で分ける。

「……」
「?」
「轟くん、まじでイケメンだよね」
「そうか?」

 自覚がない、という以前に気にもしてないんだろう。私がこの面の良さだったらもっと調子乗ってるもんな。今の私みたいに。細めのクシの裏で前髪をいい感じにセンターで分けて、コテで前髪を立ち上げた。ふんわりいい感じに分けれた、と思う。轟くんって本人と一緒で髪質も素直らしい。それから、立ち上がって全体的に軽くコテを当てていく。流石に自分用のコテだから、轟くんの髪の長さに対して太いけれど、なんとかなった。ジーニアスだからな〜。

「なんか、くすぐってえな」
「そ?」
「ああ。……誰かに、髪弄られることとか、なかったから」
「……そっか」

 ふ、と轟くんの空気が緩んだ。またしても轟くんの初めてをいただいてしまったらしい。体育祭の次の日以降、轟くん、頭撫でられんの気に入ってるもんね。露出した耳の縁を指先で撫でると、轟くんがくすぐったげに身動いだ。
 一応荷物に入っていたというワックスを手に広げて、くしゃっとラフめに固めておく。……うわ、私天才かも。カリスマ美容師になろうかな。

「天才だわ、私」
「お、すげぇな」
「でしょ?」
「ああ。ふわふわしてる」

 普段自然派な轟くんのセンター分け、こらもうanan表紙いただいたわ。赤髪に続いてショートが飾っちゃうわ。垢抜けには髪型が重要、というけれど、元から垢抜けとか関係ないレベルのドイケメンがイメチェンすると、こんなにヤバいことになるんだね。ちょっと濡れ髪っぽくしたからか、色気がすごい。ふわふわしてる、なんて言いながら自分の髪をおそるおそる摘んでる素とのギャップがやばい。多分ガイアが轟くんにもっと輝けと言ってるわ、これは。

「こっち見て〜」
「ん」
「はい」
「撮ったのか?」
「は〜い」

 どえらいもん生み出しちゃった、の言葉を添えて、センター分け濡れ髪轟くん部屋着の写真を三奈に送る。秒で『死んだ』と返ってきたので多分今頃死んでるはず。

「は〜……私も準備するかあ」
「ああ」

 ついでに梅雨ちゃんと障子くんに返信して、画像投稿SNSのブックマークを開く。髪の毛、どうしよ〜。ハーフアップでいいかな、いいよね。

「すげえ」
「ふふふ、すげえ?」
「器用だな」
「やあ、普通だよ〜。はいこれ持って」
「お」

 取り分けたサイドの髪を、編み込みにしていく。編み込んだ毛束を軽く引き出してから、轟くんに渡して、反対側も編み込んでいった。腕上げてるとめちゃくちゃ疲れるの、人間の欠陥だよね。

「二つ束ねて〜」
「こうか?」
「……そう!」

 轟くんが合わせてくれた毛束を、後ろ手に手探りで確かめる。うん、いい感じの高さ。ありがと、と受け取って、纏めて束ねた。よし、後はもう巻くだけだ。

「緩名」
「ん〜?」
「飯田から」
「飯田くん?」

 ブブッ、と私と轟くんのスマホが同時に震える。なんだなんだ、と思えば飯田くんからの連絡だった。みんなで集まっていこ〜ってことらしい。なるほど。仲良しじゃん。

「ろくじはんってもうすぐじゃん」
「ああ。いけそうか?」
「しょうみ余裕!」

 なんなら自撮りもする余裕ある。くるくると髪を巻いていくと、轟くんがまた「お」と声を上げて、心なしかキラキラした目で見つめてきた。未知への遭遇〜、って感じなんだろうか。

「着替えてくる」
「はーい」

 くるくる巻いているのを、轟くんが名残惜しげな目で見てくるのがちょっと面白かった。
 ベッドルームにスーツを持って向かった轟くんは、本当にほんの数分で着替えて帰ってきた。私もちょうどいい感じだ。ソファに並んで腰を下ろした轟くんが、サービスのチョコを一つ摘んでいる。

「うい、おっけー」
「……あん時も」
「うん?」
「体育祭の、次の日もこうしてたよな」
「ああ、髪の毛」

 たしかにあの日も巻いていた。学校へは面倒くさいし、体育とか演習あったら崩れるからたまにしか巻いていかないけど、お休みの日は結構巻く。今日は特にしっかり目に巻いた。

「変?」
「いや」

 尋ねると、轟くんがくるんと巻かれた毛束を一つ、掬った。

「綺麗だ」
「……!」

 かわいい? と聞いて返ってくる賞賛とはまた違って、轟くんが、本当に心の底から思ってるんだろう声色で伝えてくるから、ジワジワと顔に熱が募ってしまう。ひい、と声を漏らさなかっただけでも褒めてほしい。隣に座ってこっちを見つめている轟くんが、いつもと違う正装だから、よけいになんか、変な感じになる。

「轟くんも、かっこいいよ」
「お」

 ぱちくり、と色の違う目が見開かれて、それからふっと綻んだ。

「なんか、照れんな」

 ……それ、私の台詞なんだよなあ。轟くんのスケコマシめ。



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