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 三月も下旬に入った。予報通り、平年よりも少し暖かくなったみたいだ。微睡む陽気は気持ちすらも上げてくれるはずなのに、ピリピリと張り詰めた緊張が痛いくらいだった。
 『敵連合を掃討する』という作戦を告げられたのは、昨日、午後に入ってすぐだった。訓練中だったA組、B組共に視聴覚室に集められ、先生たちから翌日のインターンの概要を伝えられた。と言っても、配属先や内容、まだ仮免許の学生である私たちは、後方支援や避難誘導がほとんどだ。……一部を除いて。

「上鳴くん、常闇くん」
「ウェッ、俺!?」

 ミッナイ先生に呼ばれて、上鳴くん、常闇くん、それからB組の骨抜くんと希乃子ちゃんが連れられて行く。その面子から、あー、広範囲制圧組だろうなあ、と予測がつく。轟くんなんかも一気に多くを無力化できるけれど、今回の班分けは基本的にインターン先の事務所で分けられてるっぽいので除外なんだろう。
 サラッとした概要くらいしか聞かされていないけれど、今回ヒーローは、“敵連合”改め、“超常解放戦線”の一斉掃討にあたる。全国のヒーローたちが総力戦で出動し、京都に位置する蛇腔病院、またそこから80km程離れた和歌山県群訝山荘の二班に分かれて一気に叩き打つ。学生たちまで動員するって言うんだから、本当に全勢力を上げた作戦なんだろうなあ。少しの翳りを心に覚えて、真っ白な視聴覚室の机に視線を落とした。

「緩名」
「ん、はい?」
「ん」
「ん〜」

 相澤先生に名前を呼ばれて、ハッと顔を上げる。ん、と視線だけで呼び出された。……雑じゃない? 呼ばれたってことは、たぶん私も、上鳴くんたちと同じように、違う役目があるんだろう。磨、と心配そうに眉を下げる三奈にヒラヒラ手を振って、相澤先生と別室へ移った。



 それから一夜明けた今日。突然にしていよいよ、突入である。昨日説明を受けた私の役目は二つ。ズバリ、蛇腔病院へ突入する先生たちやエンデヴァーさんたちのバフ係と、病院から避難してくる方たちの回復力の向上だ。蛇腔病院はそれなりに大きな地域密着型の病院のため、入院している患者さんが多い。基本的には重病の人ほど近くの病院へ移ってもらう手筈になってはいるけれど、長く延命機器から離れるほど命やその後の危険に繋がる。その方たちに“個性”を使い、病状の進行を遅らせたり、治癒力を底上げするのが私の役割である。やることは単純だし、難しいことも危ないこともそこまでない。なのにいやに胸騒ぎがして、手汗の滲む焦燥に駆られるのはなんなんだろうね。シックスセンスに目覚めたのかも。
 無理矢理眠りについたせいで、眠気の残るまぶたを持ち上げて、揺れるガラスへ頭を押し当てる。車内から見る風景は、のどかで平和、ちょっとだけ田舎の、どこにでもある街並みだ。

「おにぎり食う?」
「しゃけがいい」
「おっ、あるぜェ」
「ありがと〜」

 私が目を覚ましたことに気付いたようで、助手席に座っていたマイク先生がガサゴソと袋を漁り始めた。はいよ、と振り向いて私へとおにぎりを渡してくれる。もう数十分後には突撃するのだ。腹ごしらえ大事〜。

「先生の何味?」
「知らん」
「おにぎりの味見ないとかある!?」
「腹に入れば一緒だろ」
「し、信じられない……」

 隣に座る相澤先生もモソモソとおにぎりを貪っていた。もっと美味しそうに食べなよ。なにあじ? と再び聞けば、少し置いてから、……ツナマヨ? と疑問形で返ってきた。ツナマヨはわかるだろ!

「んあれ? ……あ!」
「どしたー」
「ねえ見て、味付けのりだ!」
「WOW! マジじゃん!」
「凄くない!?」
「地域差だなァ」
「……」

 おそらくこっち、関西のPAで買ったんだろう、おにぎりが海苔が味付けのりだった。レアである。私とマイク先生ではしゃいでいると、食への関心薄澤先生がくだらねェ……みたいな目で見てきた。気がする。
 ある程度の腹ごしらえをしていれば、遠くに見えていた山が迫ってくる。あの麓に、今回の目的地、『蛇腔病院』がある。あそこに、脳無の生みの親が。そして、大量の脳無が“備わっている”可能性がある。

「……」

 目を瞑ると、瞼の裏に否が応でも浮かぶ姿。私が、対峙することから逃げた、お母さんの、変わり果てた姿が過ぎる。ぎゅう、と握りしめた手のひらを、心臓に押し当てた。

「緩名」
「……うん?」

 顔を上げると、先生の目が私を見ていた。

「気負えよ」
「おっ、おお」

 いやめっちゃ圧かけてくるこの人。鬼? いや、そう。そりゃあ、役目は後方支援とはいえ、ヒーローとして戦場に立つのだ。変わり果てた母の面影、あけすけに言うと『過去』の悲劇で頭がいっぱいになって、『今』を生きる誰かや私自身を救えない、なんてことになった目も当てられない。だから、今からはヒーローとして気張っていかなきゃいけないのはそうなんだけど。普通に大丈夫、緊張するな、とか優しい言葉をかけられるのかな〜ってちょっと期待したからすっ転びそうになった。座ってんのに。逆に力抜けるわ。
 ふぐ、と睨みつけると、先生は口元を僅かに緩めた。なにわろてんねん。

「ま、気負いすぎるな」
「いやどっち!?」

 珍しく相澤先生がなんか、なんかそんな感じだ。なに!? と思えば、マイク先生までもが笑っている。なんなん!? わけわからん。……くはないけれど。ポン、と相澤先生が、私の肩を軽く叩いた。全力を出せないのは良くないけれど、だからといって力が入り過ぎるのも、それはそれで良くない。特に私みたいな経験の少ないペーペーは。だから、肩の力を程よく抜かせてくれたんだろう。って、分かりはするけれど!
 そうこうしている内に、車はデカイ施設の駐車場へと入っていく。

「ビアンカ」
「はあい」

 早朝雄英を立った車から降りて、辿り着いたのは警察署。ここが蛇腔病院突入班の作戦本部らしい。ぐっ、と身体を伸ばせば、数時間座りっぱなしで固まった関節が伸びた。相澤先生に呼ばれるのに続いて、黒い背中を追いかけていく。警察署に入れば、既に多くのヒーローたちが待機していた。その圧に、ちょっとだけうへえ、になる。聞いてはいたけどね、ヒーローの数がすごいんだ。



「殻木球大……こいつが、AFOの懐刀」
「怪人脳無を作った、マッドサイエンティストて訳ね」

 ロックロックにマンダレイ。今回の突入に参加するヒーローたちと並んで、作戦の詳細を聞く。スクリーンに示される情報の中で、一番の目的となる殻木の詳細や、病院の内部地図までを頭へと叩き込んだ。私が突入するわけではないけれど、一応ね。それから、私が“個性”を使用した方がいいだろう人たちのリストを警察の方に渡される。説明を受けながら、ザッと目を通していく。うん、まあ問題なさそう。
 塚内さんからの説明が終わり、いよいよ病院突撃に向けて出発だ。でもその前に。

「は〜い、いきますよ〜」
「……緩ィな」
「性分なもんで」

 ぎゅぎゅっとヒーローのみなさんにはできるだけ寄ってもらい、“個性”と身体能力を向上するようバフをかける。う〜ん、多い。別に私のバフが必ずしも必要なわけではないけれど、特にここ病院では、脳無との交戦が予想される。身体能力あげちゃえば、怪我だって普段よりは治りが良くなるし、備えあったら使ってこ! な感じだ。うーん、身体からぐんぐん力が抜けてく感じする。そりゃこんな大人数に“個性”使ったらそうなるわ。

「はいおっけーで〜す」

 と軽い疲労を感じながら声を上げると、ガシッと首根っこを捕まえられた。ムキムキの褐色の腕が私の首に回っている。

「よォ磨」
「ぐえっ、ミルコぉ……?」
「おまえほっせェな。鍛えろ!」
「ひーん、いじめだあ」

 ミルコに首を捕まえられたまま、護送車へと向かった。え? 私ずっとヘッドロックされたまま? こんだけヒーローいるのに誰も助けてくんないの!? と見渡したけれど、普通に皆それどころじゃない。粛々と車に乗り込んで、ミルコと並んで座る。後ろには相澤先生とマイク先生が座った。とはいえ、ここから病院へは五分もかからない。実際そんなことはしないだろうけれど、放っておけば一人で突入でもしそうな勢いのミルコを私という役目のほぼ終わった玩具で宥めておけるなら好都合なんだろう。

「どうぞ」
「ありがとうございます」
「鼻クソみてぇだな」
「失礼すぎる」

 車の中で、警察の人から極小のインカムを渡された。ほんとにちっちゃい、けれど、めちゃくちゃ優れものだ。こんなにちっちゃいのに全体、グループ、個別通信をすぐに切り替えられるし、高性能らしい。自分の耳へと装着し、ついでに差し出されたミルコの耳にも装着する。ふわふわでぽわぽわの耳の毛がかわいいけれど、インカム付けるには確かにちょっと邪魔かもしれない。っていうかウサギの耳ってこんな感じなんだ。かわい〜! やっぱりミルコめちゃくちゃ美人だ。眼福。こんな状況じゃなかったらもっとはわわしてた。

「怪我しないでね」
「甘ェこと言ってんなー、おまえ」
「甘いことでも! 難しくても、全員なんかいい感じに無事でいてほしいもん」
「フーン」

 フーンて。怪我する気満々……いや、まあそりゃあとんでもない理想論をお願いしてはいるけれど、こんなん願掛けみたいなもんだ。
 車はすぐに到着して、早々に降り立った。どこにでもある、一般の病院。その前に、険しい形相で並々ならぬ数のヒーローたちが並んでいる。私は、救護者の傍で待機だ。

「……気を付けて」
「……ああ」

 行ってくる、と告げる相澤先生が、くしゃりと私の頭を一撫でした。



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