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 どさり、と少しだけ重い音が響く。今のは、私が尻もちをついた音だ。でも、そんなものよりも。真っ直ぐと私を射抜く紫の視線から、掴まれた手首から、じくじくとその熱が伝わってきて。ひゅ、とか細い吐息が喉を通った。
 好きだ、と耳を震わせた低い声は、たしかにしっかりと温度を持っていて、僅かにだけ震えていた。目を、逸らしたいのに、逸らせない。揺るがない瞳の真剣さが、私を捉えて離さなかった。

「好きだ……緩名が、好き」
「ひ、……」

 今までの人生で、告白されたことがないわけではない。今世なんて、もう数えられないくらい告白されてきたし、言わば慣れっこだ。それでも、その中のどれもが、ここまでの真面目な熱を持っていなかった。そのせい。そのせいだ。そのせいで、心操くんがあまりにも真剣すぎるせいで、移ってしまったのだ。
 耳の奥が痛いほど熱い。きっと今の私は、赤い顔をして、ぽかんと口を開けた間抜けな顔を晒しているんだろう。拳数個分開いた顔の距離を、少しだけ詰めた心操くんが、真一文字に結ばれていた唇を薄く綻ばせた。ふ、と耳につく、吐息のようにはにかむ声。

「なんか、意外だな。アンタこういうの、慣れてるでしょ」
「そ……だけど、さあ……!」

 慣れてる、し、ぶっちゃけ心操くんからの好意にも気付いていたところもある。恋愛か、友愛か、憧れとかから来るものなのか、ハッキリとした区別は付いていなくとも、正直わかる。心操くんも、必死に隠してる感じじゃなかったし。
 尻もちを付いたまま、少しだけ後退りをすれば、心操くんの喉がくっ、と鳴った。

「な、なに」
「いや、よかったと思って」
「……?」

 よかった、とは。発言の意図がわからなくて小首を傾げると、すくっと立ち上がった心操くんが私に手を差し出してくる。まあ、ずっと地べたに座ったままなのもあんまり良くないし、と思って、一瞬躊躇いながらもその手を取った。……あ、あつい。顔も、触れてる手も、全部。ぐっ、と力を込めた手に腕を引かれて、立ち上がる。思ったよりも近い距離に、落ち着いた柔軟剤の香りが鼻に触れた。

「俺なんて眼中にないのかと思ってたから」
「……え、そんなことは」
「でも、うん。……意識してくれそうで、よかった」
「……!」

 真正面からぶつけられるには、少々濃度が高すぎる好意を浴びせられて、ほんの少しだけ引いてきていた熱が再びぶり返す。衝撃に後退さろうにも、掴まれた腕が許してくれない。

「言っとくけど俺、フラれてあげるつもりないよ」
「へ……」

 見つめあったままの発言に、ぽかんと間抜けに口を開いてしまった。

「はは、かわい」
「っ、──!」 

 ほ、ほんとに心操くん!? かわいい、なんて言うタイプじゃなかったじゃん!? 驚きと照れで言葉も出ず、ただ赤い顔でぱくぱくと口を開け閉めする私を見つめて、緩名、と震える声が呼ぶ。

「好きだよ」

 囁くように告げられた声が、耳の奥底に甘い痺れを残した。



 甘ったるい空気を切り裂くように鳴った予鈴に助けられて、それなりに距離のある自教室までの道を急ぐ。走りはしないけど、小走りで。なんとか本鈴前に教室に駆け込んだ。

「あ、も〜! 磨おっそ……」
「磨ちゃんどこ行って……」
「……え? あ、うん、ただいま」
「……」

 三奈と透は、後ろのドアの近くで帰りを待ってくれていたらしい。けれど、なんか様子が変だ。急に黙り込んだ二人に、もしや背後になにかいたりする? と後ろを振り向いて見たけれど、なにもいない。

「どうかした?」
「……いやそれはこっちの台詞なんですけど」
「磨ちゃんが……いつになくかわいい……」
「ハ!?」

 首を傾げた私に、凍りついたように動きを止めたまま二人が言った。かわいい、という言葉についさっきの記憶が鮮明に思い出されて、過剰に声を上げてしまう。ああ、もう、ずるい、授業前にあんなこと言うなんて……も〜!

「なんっ、なんもないけどぉ」
「や絶対なんかあったじゃんその顔」
「きょ、響香まで……!」

 三奈たちと同じように真顔のままにじり寄って来た響香が、じとっと見つめて来る。ハッと気付いたら、クラス中の視線が私に集まっていた。……え? なに、怖いんだけど。思わず怯えたように肩を揺らしてしまった。いや、軽くホラー。なんかこういういじめの漫画あった気がする。

「っも、いいからもうほら授業始まるし!」

 散った散った! と手を叩いて席に着けば、フーン、とジト目の響香たちが帰って行った。

「……どこ行って……、で……、普通科……、」
「あー……やっぱ……、心操……?」

 不自然なほどシンと静まった教室に、響香、上鳴くん、三奈の隣席たちのヒソヒソ話が響いている。聞こえてるんですけど!? なんでバレてんの心操くん。漏れ聞こえる心操くんの名前と、席に戻った今もいくつか突き刺さる視線を追い払うようにぶんぶんと頭を振って、次の授業の準備をした。



 五限、六限と座学が終わって、七限、体育。絶対問いただされる、と思ったのに、意外にも腫れ物を扱うかのようにみんな様子を伺ってくるだけだ。いや、三奈なんかはジッ……と猫のようにまんまるの目をして見つめてくるけど。どこ行ってたんだっけ、なんてしれっと聞き出そうとはしてくるけれど! 確信には触れてこない。正直、まだ自分のなかで整理がついていないのでありがたいところはある。
 ジャージに着替えてグラウンドに。さむぅ、と袖を伸ばして、ふと。手首を握った手の熱さを思い出して、胸の奥がじんわり熱く滲む。『好きだよ』なんて、甘すぎる響きが耳にじっとり残って、思わず庇うように両耳を覆った。

「……磨、磨」
「……え? あ、うん、なに」
「……」
「こわ、こわいんだけど」
「いや……べつに……」
「緩名、引け。早よ」
「へ?」

 引け? 先生の声にパッと顔を上げたら、すぐ近くにくじ引きの箱を差し出されていた。なんのくじなんだろ。チーム分け? 今日なにするんだっけ。

「えっくす」
「ヨッシャ!」
「便利屋来た!」
「?」

 三奈に腕を掴まれて、響香に確保される。胴体に巻きついてくるのは透だろう。同じチームみたいだ。透さんなんで全部脱いでんすか? チームメンバーは三奈に響香に透、尾白くん上鳴くん口田くん峰田くん瀬呂くん切島くんに緑谷くんらしい。

「なにするんだっけ」
「そっからかい」
「説明全部聞いてなかったんだな、緩名……」
「う……」

 だって。それもこれも心操くんのせいである。うう、と唇を突き出せば、切島くんはクッ! と自分の顔を両腕で覆った。なんだよお。瀬呂くんを見上げれば、あーあー、と言いながら私の顔を手で覆ってきた。チーム対抗のドッヂボールだよ! と教えてくれているのは緑谷くんだ。ドッヂかあ……。

「みえない」
「ちょっと待て緩名それは反則だろ……!」
「なんで今日そんななの、おまえ……!」

 そんなってなんやねん。もー、わけわからん。今日。瀬呂くんの手から抜け出して、すぐ側でやり取りを見守っていた三奈の腕に腕を絡めた。

「……聞いてこないんだね」
「イヤ正直めっちゃ聞きたい。……けど、磨の方がまだでしょ?」
「……、うん」

 私の方がまだ、とは。私の心の方が、ってことなんだろう。三奈って、恋バナ妖怪のくせして、こういう時はちゃんと一線引いてくれるあたり、三奈だ。話したい気持ちもあるけど、もう少しだけ時間が欲しい。じゃないと、また爆発しちゃうかもしれないから。ありがと、と肩に顔を擦り付けたら、今日泊まるから、なんて言いながら指先を絡めてきた。



「アタッ」
「緩名ー!?!?」
「なにしてんのおまえ! なにしてんの!?」
「妨害最有力者〜!!!」

 ボカンッ、と頭に当たったボールの衝撃で、ハッと意識を取り戻した。心ここに在らず、のまま作戦会議を終え、コートに入って、あまりにもぼーっとしすぎていたらしい。緑谷くんの顔面にぶち当たったボールが、跳ね返って私の頭にもヒットしてしまったようだ。すごいな爆豪くん、二枚抜き。顔面当てたから退場だけど。

「ごめぇんぼーっとしてた」
「もーいいから冷やしとけ!」
「はぁい」

 ロボから氷嚢を受け取って、外野に出て審判をしている相澤先生の隣に並んだ。威力が削がれたボールだからそんなに痛くないけれど、一応だ。ひんやりと冷えた温度が、心の冷静さまで取り戻させてくれればいいのに。はー、と溜め息を吐き出したら、隣から伸びてきた手が額に触れた。

「っわ、?」
「熱はねェんだな」
「んえ? うん」

 熱? と首を傾げると、先生の眉間の皺が深くなる。あ、こわいやつ。

「体調が悪いなら保健室行け。そうでないなら集中しろ」
「……ごめんなさい」

 ほぼレクリエーションのような体育の授業とはいえ、集中に欠けていたことは事実だ。心を乱されたから、なんて言い訳はヒーローには通じない。気合いを入れ直さなきゃ、とキリッとしたところで、肩に後ろから重みがかかった。

「まァまァ、緩名もなんかあったんだもんな?」
「マイクせんせー」
「いーじゃんなァ? 恋煩いなんてカワイーもんじゃん」
「こいっ……!」

 バッ! と横を向くと、私の肩を組んでいる男が悪ゥい顔をして笑っていた。確実に楽しんでる……! 性格悪くない!?
 訳知り顔のマイク先生、なんで知ってるんだ。って疑問が顔に出てたらしく、ミッドナイトさんに聞いた、と鼻歌を歌われた。クソ〜! 五限ミッナイ先生だったから〜!!

「……恋煩いなのか」
「ちがっ……。……?」
「いや俺は知らん」
「んんんん」

 恋煩い、ではないと思うけれど、完全なる否定は出来ない。恋に関する煩いではある。分からなさに唸り声を上げると、HAHAHAなんて軽やかな笑い声が耳元で響いた。

「う〜ッ」
「マイク、あんま弄ンな」
「へーへー、Sorryな緩名」
「緩名も、授業中は授業に集中しなさい」
「はい……」
「聞いてるか、おまえらもだ」
「ハイッ!」

 聞き耳を立てていたドッヂボール中のみんなにも先生から喝が飛んだ。いつになくご機嫌ナナメな爆豪くんの舌打ちが、やけに大きく響いた。なんかごめん。



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