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「……え……? 俺にも?」
「わあ! これ友チョコでしょ? だよね! 嬉しい〜! ホワイトデーにお返しするね! 楽しみにしててね!」
「楽しみにしてまぁす」

 エリちゃんと一緒に訪れた三年生の寮で、通形先輩や天喰先輩、ねじれちゃん先輩にもラッピングしたマフィンを渡した。エリちゃんからのチョコを、涙を浮かべて喜んでいる通形先輩にもらい泣きしそうになれば、なんでだよ、と先生にこづかれてしまった。だって……ねえ? なんか……はじめてのおつかいとか、泣いちゃうじゃん。

「おまえが泣くと心配するのが多いからやめとけ」
「あっはは、んふ、最近は特にね」

 “あの”一件以来、クラスのみんなの過保護が加速していく一方だ。まあ仕方ないよねぇ。なんか、最近改めて思ったんだけど、この世界の「緩名磨」の経歴って、傍から見ると結構悲惨なんだよね。主観の中心にいる私からははっきりそこまで見えてなかったけど、外側から見れば幼い頃に両親から育児放棄に近い状態で、存在も隠されていて、少し成長した暁には誕生日に母親が目の前で殉職。同日に父親は母親の後を追い、更には親から受け継いだ“個性”故敵に狙われていて、しかも死んだはずの母親が改造されてそれを自分の手で迎え撃っている、っていう……てんこ盛り悲劇! みたいな。たしかにこれが仲良い友達だったら、めちゃくちゃその子の精神状態が心配になるのも無理がない。

「しかも、私ってとびきりの美少女じゃん」
「……あ?」
「あ? ってなに!? がらわる!」
「いや、おかしくなったのかと」

 失礼だ。この担任、失礼である。ねじれちゃんパイセンにクッキーを手渡してぎゅっとされているエリちゃんを眺めながら物思いにふけっていたのに、失礼かつ柄の悪い先生を怒りの表情で見上げた。ら、膨らませた頬を片手で挟まれてぷきゅう、と空気が抜けていった。扱いが雑。片眉を軽く上げて、先生は呆れを存分に顔に押し出している。そのまま親指と人差し指で頬骨を揉むように圧迫された。

「あいたたた、ほね、頬の骨いたい」
「……」
「んねぇ、いたいって」
「……」
「……?」
「……あ、の、イレイザー?」

 強くはないけれど、弱くはない力で掴まれているので、ちょっとほっぺが痛い。いつもならすぐ離してくれるのに、先生はジ……、とそれこそ猫のように黙って見つめてくる。え、なに? わけがわからなすぎて、助けを求めるために近くにいた天喰先輩の服を掴んだら、天喰先輩も違和感があったようで、首を傾げていた。ほんとになに。
 
「……おまえ、顔がうるさいな」
「失礼すぎない!?」

 最後にもみ、とやわらかい私の頬を一揉みして、先生は手を離した。ほんとに失礼。許さん。プリプリ怒ったろうとしたけれど、「お姉ちゃん!」と駆け寄ってきたエリちゃんによって中断された。ナイスタイミング。
 その後、エリちゃんたちとA組の寮に戻って、エリちゃんのわくわくファーストバレンタインはちょっと早めの閉幕を迎えた。楽しかったようで何より。



「磨〜!」
「すぐ戻るって〜」

 日が変わって、お昼休み。着いて来ようとする三奈やA組の面々を上手く巻いて、早歩き……スキップくらいの小走りで、目的の教室へと向かう。ヒーロー科って教室とかも基本孤立してるから微妙に距離あるんだよねえ。あ、でも教室にいるかな? 一応LINEしとこ。ポケットから取り出したスマホで教、室、い、る、? と送ったら、すぐに既読がついて、『いる』とだけ。よかった、いるみたいだ。普段あまりこっち来ないから、ちょっと迷いそうになる。ジロジロと、伺うような視線がいくつも投げかけられていた。微妙に鬱陶しいけれど、つい最近、ここらへんで一悶着あったとこだから、まあ仕方ないところもある。

「あれ」

 ブ、と震えたスマホに目を落とすと、『こっち来ようとしてる?』『俺が行くよ』『どこ』って通知が続けて来た。どこ……って言われても。もう着いちゃった。

「!」
「わ、」

 目的の教室の扉を、ノックしようとしたら扉が開いて、人の胸板を叩きそうになる。あぶな、セーフ。驚いて見上げると、目的の人物、心操くんも少し驚いた顔をして私を見下ろした。

「俺が行くって言っただろ」
「え〜、もうすぐそこだったんだもん」

 ぷくっと頬を膨らませるけれど、心操くんは眉間に皺を寄せて、私の周りを見渡している。なに?

「……緩名ひとりで来たの」
「え、うん」
「ハァ……」
「えっ、なんでなんで、だめ?」
「だめ、っていうか危ないでしょ」
「学内なのにぃ?」

 A組の子たちが過保護になっているのは感じていたけれど、まさか心操くんまでとは。そんなに心配かけてたかなあ? まあ、たしかに私のメンタル大崩落のひとつに普通科の子、……お母さんのファンに絡まれたこともあるけれど、もう過去のことだし。もっかい絡まれたりもしないでしょ。

「あ、すいません」
「あ、あ、どうも、あ、私こそ、あ、すみません」
「ええへへ、めっちゃどもるじゃん」

 なんて思っていると、扉を防いでしまっていたせいで通行人の邪魔になっていたことに気付く。めっちゃどもる女の子にぺこっとして、心操くんの手を掴んで廊下の端へと寄った。

「で、なに。どうしたの」
「ん? ああ、これね、バレンタインだから」

 ちょっと早いけど、と心操くんにマフィンとおまけでクッキーも押し付けると、紫の目が瞬いた。それから、首元に手をやって、少しだけ視線が外れる。これは。

「……あー、ありがとう」
「ふふん、お返しも待ってる!」

 心操くん、絶対照れてるな。これ。背高いしかっこいいからモテそうだけど、あんまり慣れてないのかな〜。“個性”のこともあってセンシティブだから聞かないけど。かわりに、どやっ、と胸を張っておいた。ところに、「緩名ちゃ〜ん」と私を呼ぶ声。声の方を向くと、知らない顔の男子生徒が三人。心操くんと同じクラスの子かな。

「ん?」
「それ手作りー?」
「そだよ〜」
「えーっ心操ズッリィ!」
「俺らには!?」
「え〜?」

 ダル絡みをされている。彼らも本気じゃないんだろうけど、あわよくば、ってところだろうか。生憎余ったマフィンは昨日の内にクラスでいる人〜、って聞いたら速攻はけてったから既にない。クッキーならあるけど、これは私のおやつだ。知らない人に譲ってあげる気もない。カーディガンのポケットを探ると、指先に小さな四角がぶつかった。あ、購買でいつか買ったチロルだ。

「十五倍返しくらいは請求するけどいい?」
「うわっ」
「かわいいのに悪魔だ……」
「だがそこがいい……!」
「いいんかい」
「ふふ」

 小悪魔さま! お恵みを〜! と土下座でもせんばかりの勢いでじゃれている男の子たちに、思わず笑いが零れてしまった。心操くんを見上げると、恥ずかしいとでも言わんばかりに顔を覆っている。あはは。うちのクラスの女子はくれねんだよー! なんて叫んで悲嘆に暮れている。

「そうなの?」
「……さァ」
「え〜、じゃあ、」
「え!?」
「なんかくれるの!?」
「うわ怖」

 ポケットのチロルチョコを取り出して撒き餌のようにあげようかな、と思ったところで、その手を心操くんに取られた。

「もう構わなくていいから」
「え〜、でもちょっとかわいそう」
「いいから! 行くよ」
「え?」

 ……どこへ?



 連れてこられたのは、普通科棟の視聴覚室だった。お昼は自由に解放されているらしく、たまにここでご飯を食べたりするんだって。青春〜って感じだ。視聴覚室、いくつかあるからここは来るの初めてだな。

「ごめん、アイツらアホで」
「いや、高校生男子だな〜って思った」
「なにそれ」
「ふふ、必死さが」

 恥を捨てて女子からのチョコを懇願するあたり、男子高校生の必死さが出てていい。うちのクラスにも上鳴くんとか峰田くんとかのタイプがいるし、慣れっこだ。机に腰掛けて思い出し笑いをしていると、心操くんがひとつ、息を吐いて私の隣に並んだ。

「……何あげようとしたの」
「え〜? なんかね、ポケット入ってたチョコ」

 取り出して心操くんに見せると、ホッとしたような微妙な顔をされる。いつ買ったかわかんない、って言ったらもっと微妙な顔をされた。まあそう。

「チロルでも十五倍返しならちょっとはグレードアップするでしょ」
「鬼?」
「ぶー」

 いうても五百円にも満たない。心操くんのてのひらに、食べていいよ、と小さな四角を置いた。私の体温で微妙に溶けてるけど、味に支障はない、はずだ。マフィンのおまけ。てのひらに置かれたそれを、心操くんがギュッ、と握りしめた。え、溶けちゃう。

「……あんま、こういうのやらない方がいいんじゃないの」
「こういうの?」
「バレンタインとか、……男と二人になるのとか」
「……え、なんで?」

 なんでぇ? と頭の中でハチワレたんが疑問符を浮かべて回転していた。なぜ? 首を傾げてると、心操くんは自分の握りしめた手元から視線を上げず、言葉を続けた。

「彼氏、出来たんだろ」
「……え?」
「この前見たよ。スーパーで」
「…………え?」

 な、なに……え? なんのこと? 誰!? スーパー!?!? てっきりまたしてもホークスの時みたいに撮られでもしたのかと思ったけれど、そうでもないようで。混乱に混乱が重なっていく。勘違いしてるのかな、と思ったけど、告げられた日にちも時間も、確かに私がスーパーに買い出しに行ってる時だった。

「す、スーパー……?」
「……背の高い、優しそうな男と腕、組んでただろ」

 背の高い優しそうな男。……背の高い優しそうな男? 思い当たる人物像が脳内にいない。障子くん? だとしたら心操くん知ってるはずだし……背の高い優しそうな男。通形先輩とか? だとしても腕組んでスーパーにいた記憶がない。ワンチャン私のドッペルゲンガー説。

「……ヒーロー科の人?」
「いや、もっと上だと思……え、なんで緩名が知らないの」
「やあ、思い当たる人がいなくて……」
「……は?」

 困った顔で心操くんを見上げると、心操くんも何言ってんだこいつみたいな顔をした私を見る。いや、そんな顔されても。わからんもんはわからん。スーパー、背の高い、優しそうな……それでいて年上……。

「ん、んん……それ、ほんとに男だった?」
「た、ぶん。俺より背高そうだったし」
「はえ〜……。……ん?」

 心操くんより背の高い、優しそうな人。男、という条件を除けば一人思い当たる人がいる。スマホを取り出して、アルバム欄をスクロールして……。

「もしかしてこの人?」
「……ああ、うん、そう」

 写真を見せると、気まずげに頷かれる。たぶん、心操くんもうすうす私と付き合ってるわけではないんだろう、ってことを気付き始めているっぽかった。十中八九……いや、今確定したけど、完全に心操くんの勘違いだ。

「この人、13号先生だよ。女の人」
「……へえ」
「かっこいいよねえ」
「……そうだね」

 ズルズル、と力をなくして足元にしゃがみ込んだ心操くんに、ふふっと笑みが零れた。心操くん、大人っぽいけどメラメラだし、こういうとこ、めちゃくちゃかわい〜! になっちゃう。口元を抑えてなんとか笑いを噛み殺そうとすると、足元から「ごめん……」とか細い声が聞こえてきた。

「っふ、はは、ほんとに、なんか記憶抜けてるのかと自分を疑ったよね」
「悪い」
「っはー、なんか、誰かと付き合ってんのって聞かれるの、多いけど、今回初パターンだわ」
「ごめん」

 膝に立てた心操くんの腕の隙間から、真っ赤な耳が覗いていた。そういえば、いつかもこんな風景見た気がする。心操くんって結構照れ屋さんなのかも。
 心操くんの向かいに、同じようにしゃがみこんで、膝の上で頬杖を付いた。見た目よりも少し硬い紫の髪をふわふわと撫でた。

「心操くん、かわい〜」
「……緩名」

 抵抗がないのをいいことに、ゆるく頭を撫でていると、心操くんが少しだけ顔を上げて、私を見た。まだ薄く赤みの残る頬がかわいい。ふ、と笑みが零れるのと同時に、心操くんが私の腕を取って、

「好きだ」

 さっきよりも固く、強く握り締められた手首から、熱い、温度が伝わった。



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