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 今年のバレンタインは平日である。とはいえ、週末のためインターンで不在だ。そのため、今日は前倒しのバレンタイン第一弾! である。

「んしょ、……」
「ちょっとかたい? 大丈夫?」
「だい……じょうぶ!」

 お昼休みに仕込んでいたクッキーの生地を、エリちゃんと一緒に型抜きでくり抜いていく。味はプレーンとバレンタインらしくココア味の二種。定番のハートや星型、猫さん型、は比較的簡単だけど、やたらに凝ったオールマイトの型は微妙に難しかった。型の元になった本人は、「いやあ、こんなグッズもあるんだねえ」なんてほのぼのしながらエリちゃんの型抜きを見守ってくれている。本日は午後から夕方頃まで相澤先生が不在なので、保護者担当はオールマイトなのだ。とはいえ、教員寮のキッチンを借りてるから見守りの目は十分すぎるほどあるんだけども。

「さ、あとは焼き上がりを待とうね〜」
「うん」

 予熱しておいたオーブンにぶち込んで、様子を見ながら焼き上がりを待つ。その間に、先生や諸々に配る用のマフィンの生地を作る。エリちゃんはオールマイトに音読の宿題を見てもらうようだ。かわいい。

「エルフのことを、話します」

 エリちゃんが読み出したお話に、加齢と共に弱くなった涙腺を持っていかれてしまった。



「Ah……? なんだこの地獄絵図」
「あ、おかえり」
「……なにがあった」

 ず、と鼻をすすって、用事帰りのマイク先生と相澤先生を出迎えた。潤む目を擦ると、怪訝そうに眉を顰めた先生が、私の目尻に触れる。滲んでいた雫が弾けて、先生の指に吸い込まれていった。
 犬と人間の子どもの愛を描いた超有名絵本によって、私とオールマイト、それから通りがかった愛犬家のブラド先生が巻き込まれてダダ崩れになってしまったのだ。おかえりなさい、と一緒に出迎えに来たエリちゃんの持つ教科書を見せながらかくかくしかじか、と説明するとなるほどなァ、とマイク先生が納得したように頷いた。

「教科書で泣くなよ」
「いや、先生も聞いたら絶対泣くから! これ」
「泣かん」
「泣くもん」

 泣いてるとこ想像できないけど、相澤先生も動物好きだし、絶対泣く。意外とマイク先生はこういうの平気そうだけど。今度読み聞かせてやる、と心に決めながら、とりあえず今日の目標はクッキー作りである。オーブンを覗き込むと、綺麗に……ココアの方はあんまりわからないけど、まあ、いい感じなんじゃないだろうか。

「よし、エリちゃん焼けたよ」
「わあ!」
「熱いから気をつけてね〜」
「うん」

 あ、オールマイトちょっとデブになっちゃった。まあいいか。鉄板を取り出して、キッチン台の上に置く。広いキッチンって便利でいいよねえ。おまけに設備も整ってるし。

「おー美味そう」
「でしょ〜」

 甘い匂いが濃厚さを増して、空腹にチクチク刺激してくる。先生に抱っこされたエリちゃんが、キラキラした目でクッキーを覗き込んでいた。味見する? と言いたいところだけど、まだもう少し、冷ましておきたいから我慢だ。真冬だし、三十分もない程度でも大丈夫でしょ。焼きたてはちょっと柔らかくて崩れやすいし、時間おいた方が美味しいし。

「冷めたらデコってこ〜」
「でこる」

 コク、とエリちゃんが先生の腕の中で頷いた。デコ道具はいろいろ買ってあるし、……あ、チョコペンって使う時湯煎しとかないとなんだっけ。すぐ乾くタイプのやつを買ってはいるけど、あんまり使った記憶がないから使い方に自信がない。説明だしとこ。あとは、とマフィン型に流し込んだ生地を、クッキーに変わってオーブンへぶち込んだ。よし。
 冷蔵庫からデコレーション用のカラースプレー等を取り出して、テーブルの上に並べていく。その内のひとつ、アラザンを手に取って、エリちゃんが首を傾げた。

「これ……」
「ん? 食べてみる?」
「たべ……られるの?」
「うん、一応」
「いちおう……」

 銀の玉だもんなあ。硬いし、めちゃくちゃ美味しい! ってわけではないけど。封を切って、エリちゃんの手のひらに二粒程乗せてあげた。ついでに私もひょいっと口の中につまみ入れる。

「ど? おいしい?」
「……? ……甘い、気がする」
「あはは、ね、あんまり味ないよね」
「うーん……?」

 あくまでも飾り付けようなので、そこまでしっかり味があるわけではない。ほのかに甘いかな? って程度だ。あとかってぇ。歯欠けるかと思った。
 先生たちもキッチン近くのソファに腰を下ろして、なにをするでもなくぼんやりしている。エリちゃんのさんすうドリルを流し見したり、どこか遠くを見つめたり。……ここ最近、こうやって遠出? 用事? のあとはお疲れの様子なんだよねえ。

「コーヒーでも入れようか?」
「……ああ、頼む」

 カウンターから声をかけると、少し鈍いお返事が。エリちゃんと自分用にはココアだ。お盆にのせて、先生たちのいるテーブルへ運んで行った。

「お砂糖いる?」
「いや、大丈夫だ」

 ありがとう、と言いながら先生が私の手からマグカップを受け取った。どういたしまして。もとから悪めな顔色も、やっぱり疲れてる……それも精神的な疲弊の方、に見える。心配されたくないだろうけど、ちょっと心配だ。先生の座るソファの隣、お盆を抱えて見上げていたら、「……幼妻?」なんてポロッと零したマイク先生が、ブラド先生に口を塞がれていた。



「オールマイトって何色だっけ」
「え〜っとね、ちょっと待ってね」

 平和の象徴 カラー 自分で検索。
 マツコ会議風に目の前の現象を述べてみた。冷めたクッキーをひとつ味見して、今現在、エリちゃんと一緒にデコレーション開始である。焼きあがったマフィンはオーブンの中でそのまま冷ましてる感じだ。オールマイト型のクッキーに、どうせなら実物風に色乗せていこう! としたわけなんだけど、これがなかなか難しい。セーラームーンみたいな色味だったことしか意外と覚えていないのだ。オールマイトってコスチュームたまに結構変わってるし。

「エリちゃん、それはなに?」
「猫ちゃん、の、まつ毛」
「猫の、まつ毛」

 相澤先生がエリちゃんの手元を見ながら、そうか……と頷いた。猫にまつ毛、あったっけ? ってチラ見したら猫は猫でもGANRIKIの方だったからそっとしておく。雌の方にはたしかにあったね。

「ッハ〜、飽きてきた、オールマイトパス」
「ええっ!? ……よし! 私の芸術センスを見せる絶好の機会じゃないか!」
「アンタそんなのあるんスか」
「マイク! オールマイトは以前チャリティーの博覧会も行っているんですよ!」
「「へえ〜」」

 オールマイトの熱心なフォロワーセメントス先生の解説に、へえ〜、と気の抜けた声を上げるとマイク先生と被った。オールマイトの手元を見ても、絵心を感じ取れはしないけれど。きっと緑谷くんとか緑谷くん向けの、オールマイトッ! って感じの博覧会だったんだろうなあ。想像出来る。
 猫型のクッキーを引き寄せて、黒のチョコペンで半分ほどを覆っていった。皿のような目を書いて、仏頂面に近い「へ」の字の口。それから点々と髭を描けば、

「先生!」
「せいかい〜」

 相澤先生猫の完成である。エリちゃんが嬉しそうに見てくるので、チョコが乾いたらこれはエリちゃんにあげよう。
 それからいくつかデコを施して、百均のクラフトボックスにだいたい五つほと詰め、ラッピング袋に入れていった。口をリボンで結べば、完成だ。出来上がったそれを嬉しそうに手にして、バスケットにそっと丁寧に入れるエリちゃん。あとは配るのみ! である。

「これは、相澤先生に、……です」
「うん、ありがとうね」

 作成の一部始終を見ていた相澤先生に、ラッピングされた袋をエリちゃんが手渡す。先生もそれを受け取って、エリちゃんの頭を優しく撫でた。それを見ながら、私も自分の焼いたマフィンを型から外していった。軽く洗って、食洗機に入れておけばあとは先生が直しておいてくれるらしい。
 なかなかいい感じに焼きあがったマフィン。ラッピング……は一応しとくか。袋とかせっかく買ったし。

「はい、先生。これは私から〜」
「おまえもあるのか」
「ん? 作るって言ったじゃん」
「……そうだったな」

 それなりに量産したマフィンは、先生たち用だもん。まあ、ありがとう。と受け取ってくれた先生に、ついでにこれ渡しといて、といくつか他の先生たち宛のものも渡した。マステで宛先書いてるから、多分わかるはず。

「パシられんのか」
「パシっちゃいま〜す」

 最悪共有スペースに置いといてくれてもいいしね。これはマイク先生、はいオールマイト、とその場にいる人たちに渡していったら、「流れ作業だなァ……」とマイク先生がしみじみと呟いた。

「んじゃ、行こっか、エリちゃん」
「うん!」

 夕飯の時間も近いけれど、今から三年生の寮に行って通形先輩たちに渡して、からのA組の寮で一緒にご飯だ。やることは多い。相澤先生も今日はクラスの寮で食べていく流れなので、ささっと早めに行っちゃおう。

「マフラー巻いとこうね」

 まだまだ外は寒い。寮間の移動だからそこまで距離があるわけではないけど、防寒大事。エリちゃんの首に、今日のスカートと同じ赤チェックのマフラーを巻いて、手を繋いで教員寮を出た。



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