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「……あ」
「どうした」
「見てえ、あれ」

 車の窓から指さした外には、キラキラのイルミネーションと、女の人がたくさん。仕事帰りの人も多いようで、すっかり暗くなった夜だと言うのに賑わっているお店があった。

「チョコレート屋さんめっちゃ並んでる」
「そうか」
「あ〜、バレンタインか……」

 エンデヴァーさんの、興味が薄そうな相槌を聞きながら、バレンタインに思いを馳せる。きっと行われるであろうデパートのチョコの祭典には、外出許可が出ないかもしれない。ていうかたぶん無理。なんか、きな臭〜い感じがあるのだ。まじで敵許さん。

「エンデヴァーさんチョコいる?」
「いや、俺は」
「あ、車田さんもあげるね〜!」
「オウ、いいのかい俺まで」
「いいよ〜! 送ってもらってるし」
「む……」

 少し身を乗り出して運転席に話しかけると、危ないからきちんと座りなさい、とエンデヴァーさんに肩を引かれた。パパかよ。スルーしてしまったにも関わらず優しい。パパだわ。

「緩名、……少し痩せたな」
「んえ?」
「キエー!! セクハラだぜエンデヴァー!」
「む、すまない。そういうつもりでは」
「や、それはいいんだけど」

 元から細身なほうだけれど、最近いろいろとあってちょっと痩せてしまった。のが、バレるみたいだ。

「きちんと食事を摂れ。おまえは軽すぎる」
「はぁい。じゃ〜チョコ食べよ」
「間食も悪くはないが栄養のあるものをしっかり食え。ヒーローは身体が資本だぞ」
「はぁーい」

 ちょっぴり怒られた。今日は病院の方のインターンだったけど、昨日のエンデヴァーさんのところではまたしてもエンデヴァーさんにぶん投げられたもんな。あげる、とおっきすぎるの手の甲にも焼きチョコをバランスよくおけば、ちょこんと乗ったそれがめちゃくちゃ小さく見えた。

「バレンタイン、か……」
「エンデヴァーさんもだれかになんかあげたりする?」
「いや……そもそも男から贈るものではないだろう」
「えー! そんなことないよ! ねえ?」
「おーそうだなァ」

 そもそもバレンタインなんてお菓子を作る企業の戦略が大きい。海外の有名チョコ屋さんも、この時期になると日本の催事に挙って参加してくれるし。チョコレート最高だから最高。

「海外では男の人から女の人にあげる方が多いじゃん」
「だが日本では逆が主流だろう」
「最近は流行ってるよ〜! フラワーバレンタインとか」
「……花、か」

 ふむ、というようにエンデヴァーさんが顎に手を当てた。……あんまり、他人の家庭事情に口を出すのもあれだけど、轟くんのお母さんにあげたりするのかなあ。今が、というかそもそもどんな関係なのかを知らないけれど、この人もこの人なりにいろいろと思うところがあるのは見ていてわかる。考え込んだエンデヴァーさんを尻目に、スマホでチョコレートレシピを開いた。手作りと市販、どっちしよ。エリちゃんも甘いもの好きだし、チョコレートチャンスだ。

「……酔った」
「車の中で細かい文字を熱心に見ていれば酔いもする。気を付けなさい」
「はあい」

 エンデヴァーさんに注意されて、スリープボタンを押して、窓に寄りかかった。窓の外は、雄英のひろ〜いでか〜い外壁。ふわぁ、と欠伸を零しながらガラス越しに外の冷たい空気を感じていると、校門に立つ見慣れた先生の姿を見付けた。ゆっくりと車が止まると、顔を上げた先生がこっちを見る。

「送ってくれてありがとうございました」
「ああ。では、また」

 車を降りて、エンデヴァーさんと車田さんにぺこっと軽く頭を下げる。バイバイ、と手を振ってから、先生に向き直った。

「ただいま〜」
「……」
「先生? ぅえ、」

 並んで見上げると、先生が無言でジッと見つめてくる。なんだなんだ、と思ったら、口元をグイッと拭われた。え、なに?

「おまえね、菓子ばっか食いすぎだ」
「え、チョコ付いてた!?」
「ああ」
「うそ、はず〜!」

 呆れた視線の原因は、口元についたチョコらしい。ウケる。そんな爆食いしたわけじゃないけど、説得力がなさすぎた。

「エンデヴァーさんがコンビニ寄ってくれたの」
「何しにインターン行ってんだ」
「えっへへ」

 昨日まではエンデヴァーさん、今日は病院へのインターンだったのだ。帰りはたまたま顔の怪我の検診に来ていたエンデヴァーさんが送ってくれて、ついでにコンビニでお菓子を買ってくれた。みんなで食べなさい、との事だけど、ほぼほぼ轟くん宛な気もしている。まあ貰えるもんは貰っとけの精神だ。でもインターンはしっかりこなしてした。やっといつもの調子が戻ったので、その分、ってわけでもないけど、なんかアゲな感じだったので。バイブスあげてこ。

「ね〜、先生はバレンタインなにがいい? 手作り?」
「いらん」
「いる」
「いらん。なんも返さねェぞ」
「いいよそれはべつにぃ」

 どうせクラスに配るし。手作りか市販かは多数決を取るつもりだけど、たぶん手作りの方が支持されそうだし。んでたぶんエリちゃんとも作ると思うし。先生たちにお返しは期待してない。

「これとかね、めっちゃ美味しそう」
「おい、ちゃんと前見ろ」

 歩きながらスマホをすすすとスワイプして、さっきまで見ていたページを開いた。チョコテリーヌ、オシャレだし美味しいし意外と簡単だしよくない? 他にもマフィンやフォンダンショコラのページを開いて、基本的に相槌はあんまり返してくれない先生に一方的に喋りかける。これでも一応聞いてくれてるのを知ってるからこそのマシンガントークだ。あとこの人、味にあんまり興味がないから反応がうっすい。

「量産するならやっぱりクッキーが楽かなって、あ、」
「おい」

 コツン、石畳の僅かな隙間に靴の先がハマって、上半身が傾いた。そう短期間に何度も画面バキバキにしたくないと、投げ出しそうになったスマホをぎゅっと握って、転ぶ勢いのまま側転したらセーフ、と構えようとすれば、ぐんっ、とお腹に衝撃が。ぐえっ、と締めあげられる勢いのまま潰れたカエルのような声が出ちゃったけれど、お腹に回った腕によって抱き上げられて転倒は回避出来た、みたいだ。

「……あ、っぶな! セーフ!」
「だから転ぶっつっただろ」
「ね、転んだ」
「歩きスマホは危険だから辞めなさい」
「はい……」

 まったく……とティーチャーなトーンでお叱りを受けると、素直に謝るしかなくなる。今日なんか叱られがちだな。しかもヒーロー関係ないとこで。浮かれてんのかも。首だけを振り向かせて仰ぎ見ると、黒い瞳に見下ろされていた。降ろすぞ、との声と共に手を離されて、すとんと足が地面に着いた。林間の時もか問答無用で崖から突き落としたのに、こういう時はなんか丁寧だ。

「飯は」
「ちゃんと食べてきた! かぼちゃ」
「素材だろ、それ」
「おいしかった」

 今度はスマホではなくすぐそこに見えてきた寮の明かりを見つめながら、少しだけ歩く速度を遅くした。なんか、名残惜しさあるじゃん。遅くなるから、とほぼ座学な雑談ついでに晩ご飯食べたけど、頭パンクしすぎてかぼちゃの味しか覚えてない。あとウナギパイ。

「今日から実務もあるんだったか」
「うん。実務っていうか、実験……治験? に近いけど」

 骨折や擦過傷、打撲や捻挫に火傷、一般的なあらゆる怪我を治していき、個性の効き、まあ回復力の強化との相性を調べていった。だいたいどれもいいんだけど、やっぱりある程度出来ることを把握しておいた方がいいからね。自然治癒との比較なら、火傷が一番相性がいいことになって、なんとなく福岡で負った怪我のことを思い出したりもしたものだ。インターン先の病院が、結構大きくてヒーロー事務所との連携も多いところなので、怪我人は耐えず訪れる。前世が平和ボケした日本人の経験からすると、戦いで傷を負う人が多いのにまだ微妙に慣れないよねえ。

「ふわ〜あ」
「塞げよ」
「へへ、それ爆豪くんにも言われたあ」

 おっきい欠伸が零れていく。“個性”まあまあ使ったから、ちょっと眠い。身体が回復を求めてるみたいだ。目を擦ると水滴がついて、無言で先生の服で手を拭いた。寮に到着だ。

「オイ」
「……。じゃあまたあした!」
「……おまえね、……まァいいか。ああ、おやすみ」
「おやすみ〜」

 注意を面倒になった先生に受け流された。この人こういうとこある〜。バイバイ、と手を振ると追いやるようにシッシッと払われるので、少しだけお見送りして寮の中へと入った。

「お」
「ん〜……轟くんただいま」
「ああ、おかえり。遅かったな」
「うーん」

 ねむ〜い。寮に入ると暖かくてもっと眠くなっちゃった。

「ん」
「? なんだ」
「ん!」
「? ありがとう」

 手に持ったエンデヴァーさんが買ってくれたお菓子郡の袋を、ん、と轟くんに差し出す。頭上にハテナを浮かべながらも受け取ってくれた。ぐりぐりと轟くんの肩に頭突きをして、眠たいアピールをしてみる。

「カンタかよ」
「四十秒で支度しな〜」
「それドーラ」
「掠ってもねぇんだよなァ……」

 ソファに並んだ賑やかし派閥からツッコミが入った。あ〜、猫の恩返し観たい。猫バスに乗りたい。……百って猫バス作れるのかな。命があるものは作れないんだっけ……でも猫バスって命なの? 轟くんに手を引かれるまま、瀬呂くんたちに勉強を教えていたのかペタンと濡れてワカメ減量中になっている緑谷くんの隣に座った。

「おかえり、緩名さん」
「ねー、妖怪って命だと思う?」
「……それは難しい問題だね」
「緑谷ー、そんな真剣に答えなくていいやつだぜソレ!」

 ソレ扱いされた。ひどい。上鳴くんが……と指を指して轟くんにチクると、「妖怪も命じゃねえか?」と返してくれた命かあ……。

「チョコ手作りと市販どっちがいい?」
「手作り!」
「くれんの!? ヨッシャー手作り!」
「また思考飛んだなあ……んじゃ俺も手作りで」

 切島くん、上鳴くん、瀬呂くんから即レスが来る。まあそうだよね。中学の時もそうだった気がする。市販の方が安定するのに女子の手作りを求めるの、男心なんだろうか。

「チョコ?」
「バレンタインの」
「ああ……。くれんのか?」
「うん」
「……じゃあ、緩名が作ったのが食いてぇ」
「おけい」

 轟くんに目を向けると、チョコ? と首を傾げられたけれど、もう2月だというのにバレンタインが思い当たらないあたりが轟くんらしい。中学とかでもめちゃくちゃ貰ってそう。流石にバレンタインって行事は知ってたみたいだ。次に緑谷くんに目を向けると、今度は別の意味ではてなというか、!? が浮かんでそうな様子だった。

「え……ぼっ、僕にも、その、バレンタインの……貰えるの……!?」
「もちろん」
「ワッ、うわぁ……! バレンタインに、っていうか、その、チョコレートとか自体をじょっ、女子に貰えるのが初めてだから僕はその、なんでも、緩名さんがいいのならご好意でなんでも……! 大丈夫です……!」

 ばりキョドるじゃん、とか一瞬ちいかわ憑依したな、と思ったけど、言ってはいけない。轟くんを除く私たちの、生暖か〜い視線が緑谷くんを見守った。バレンタインにチョコ貰うの初めてなんだ……なんか分かってたけど、かわいさが溢れるので大丈夫。きっと緑谷くん、将来人気のヒーローになってチョコいっぱい貰えるよ! 差し入れ飲食物禁止だろうけど。愛いやつめ、と緑谷くんを肘でグリグリしながら、スマホでさっきまで見ていたページを開く。ワッ、ワッ、と隣の少し高いところからテンパった声が聞こえるけれど、いい加減慣れて欲しいものだ。嘘、慣れたら面白くないから一生慣れないで。

「な〜に作ろっかな」
「つーか緩名それなに?」
「ん? ああ、エンデヴァーさんがみんなでおたべって買ってくれた」
「へー!」
「……親父からなのか」
「選んだのは私ぃ」

 緑谷くんの肩を枕にして、轟くんに向かってニコッと微笑む。自分をアピールするように両手の人差し指を顔に向けるのも忘れない。食べていーよ、といえば上鳴くんが袋を漁り出した。

「ていうか眠い」
「寝なさいよ」
「うーん……お風呂に入るのがめんどくさい……」
「寝落ちる前に入って来いよー」

 切島くんはそう言うけれど、お風呂って入るまでが長いじゃん。もはやこれは様式美みたいなもんだ。女子がいれば引き摺って行ってくれるんだけど、残念ながらみんな部屋に引っ込んでるみたいで誰もいない。

「ああ〜……お風呂めんどい……」

 でもお風呂入りたい。でもめんどい。貴族になりたい。このまま寝たい。お金持ちになりたい。八百万家の犬になろっかな。褒められてぇ〜。

「ちょっとみんな私を褒めて」
「は?」
「またこの子は……」
「緩名のめんどくさいモード来たな」
「ひど!」

 このひとたち酷くない!? 超絶美少女に向かってなんてこと言うんだ。美少女だからお風呂に入らなくてもお花畑の香りがするんだぞ。

「緩名はかわいいぞ。すげえんだ。なんか……すげぇ」
「いや語彙力」
「轟文系強いのにな」

 轟くんだけがしっかり受け取って、ものすごく大雑把に褒めてくれる。全然褒められた気はしないけど、なんか……まあ、いいか。今度緩名磨ちゃん褒め上手選手権を開催しよ。

「……よし! お風呂入って来る」
「お」
「今日はわりと早かったな」
「な」

 バチッと立ち上がって、バチッと軽く頬を叩く。起きる時とお風呂に行く時って、人生で一番気合いが必要な瞬間だよね。銀魂のタイトルみたいだな。



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