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「ん……」

 なんか首が痛い。角度が変……? バキボキになりそうな首を触るべく手を上げると、膝の上からなにかが落ちた。……あ、クッションか。そうだ、私、みんなを待ってるうちにソファで寝てて……。

「んん……んーっ、」

 ぐぐぐっ、と伸びをする。手の甲でぐしぐしと瞼をすれば、寝起きで滲んだ涙が肌を濡らした。ぐっ、ぐっ、と瞼に力を入れて、それからゆっくり目を開く。いまなんじ……、

「わあっ!!」
「うおっ!? あっ、あぶねー……」
「もー! 上鳴なにしてんの!」
「いや今の俺悪くなくね!? なんもしてなくね!?」

 パチッ、と目を開けたら、顔の少し前に上鳴くんの生首が。反射的に繰り出した拳は上鳴くんの鼻を掠めていく。よかった、私の拳無事だった。

「び、びっくりしたあ……」
「びっくりの仕方過激すぎね?」

 そうは言われましても。瀬呂くんの声に、あれ? 瀬呂くん? と辺りを見渡せば。

「ヒッ」
「な、だから俺やめようって言っただろ」
「や、でも起こすのも可哀想だし……」
「だからって全員で囲むのは怖ェだろ!」

 砂藤くん、その通り。いつの間にか共有スペースのソファで寝落ちしてしまってたみたいだが、まさか起きたらクラス全員に囲まれて寝顔見つめられてるとは思わんのよ。ミッドサマーかカルト宗教みたいな光景だからね、これ。
 上鳴くんは落ちていった私の抱えていたクッションを拾ってくれたらしく、ほい、と膝の上に置いてくる。気ィ効く美容師か。

「おはよう、緩名」
「え、あ、おはよ」

 ばくばくうるさい心臓を落ち着かせようとしていると、右隣に座っていた轟くんが少しだけ覗き込んできた。呑気な起床の挨拶に、少しだけ気が抜ける。数度瞬きをすると、寝起きなせいでじわっと滲んだ涙を轟くんの指が拭っていった。そのまま、まだ重たい感覚のする目尻を温度の低い手が冷やす。

「……腫れてんな」
「ん、ぅ」

 スリスリと目尻を優しく擦られると、心地良さに反射的に片目をつぶった。痛ェか? と聞かれるのにだいじょーぶ、と首を振れば、そうかと零した轟くんが、身を乗り出して距離を縮めて来た。……なんか、久しぶりにちゃんと見る轟くんの顔面、眩いな。そういえば昨日PTSDっちゃってたから、ちょっとだけ気まずい気がする。少しだけ距離を取ろうと、膝を立てて体育座りをすると、轟くんは膝の上に顔を置いてきた。いや、近いって。

「……」
「……」
「ラブラブするの禁止」
「お」
「わっ、コワ」

 でも助かった。至近距離で轟くんと見つめあっていたら、左隣に座っていた三奈がお腹に腕を回して来て、ぎゅっと引き寄せられた。ころん、と転がった私の上半身は、三奈とその隣にいた百の膝の上に着地する。見上げた百は、いつもは凛々しい眉尻を下げて、心配そうな顔をしていた。

「……朝、眠っている磨さんを見て」
「……うん」
「大丈夫だと聞いて、安心しましたけど……やはり、心配でしたの」

 私たち、と呟いた百の声が、少しだけ震えていて、罪悪感がチクチクと胸を責めた。心配しないで、って思ってるところもあったけど、弱っていく同級生とか、私が百たちの立場でもそりゃあ心配になる。

「ごめ、もがっ」
「謝るの禁止!」
「んんっ」

 ごめんね、と謝罪の言葉を口にしようとすれば、三奈の両手が私の口を塞いだ。

「磨がっ、……あんまりアタシたちに、気にかけて欲しくないのもわかった」
「……」
「話せないこととか……いっぱい、あるのも……だから!」

 ぎゅう、と私の口を塞ぐピンクの手に、力がかかる。息苦しい、けれど、見上げた三奈の表情に、なにも言えなくなる。眉間に皺を寄せて、真剣な瞳を私に向けていた。

「だから、隠してもいい……ほんとは話してほしいけど! ……でも、磨は隠し事、多いから」

 潤んだ瞳を隠すように、三奈が一度長く目を閉じた。……隠し事、多いつもりはなかったんだけどなあ。でも、人に言えないことは、たしかに他の人より少しだけ多かった。生まれのこととか、前世のこととか。
 ふー、と息を吐いた三奈が、伏せた瞼を持ち上げる。金色の瞳孔が、感情の昂りと共に揺れていた。ぼんやりと、思考にモヤがかかる。

「隠してもいいから、無理、しないで……」

 縋るように、願うように震えた唇に、胸がじわじわと熱くなった。ボー、と頭まで、その熱が登ってくる。パチ、パチ、と瞬きをして、三奈の真っ黒な瞳がブレた。

「……芦戸、緩名死ぬ」
「……え? あ、わーっ! 磨ごめん!」
「磨さん!」
「ッハ、っは、は……や、だいじょ、ぶ……」

 瀬呂くんの声に、私の口と鼻を塞いでいた三奈の手が退けられた。なんか苦しいな、と思ったけど、感極まったのの他に物理的に呼吸を塞がれていたかららしい。ゲホッ、と急に肺へと入ってきた空気に噎せると、轟くん腕を引かれて引っぱり起こされた。トントン、と背中を叩くのは三奈と百の手だろう。死ぬ。

「ごほっ、はーっ……」
「……なにやってんの?」
「いや、ほんとね」
「まじでごめーん磨〜!」

 呆れた響香の声と、同意する瀬呂くんの声で少しだけ張り詰めていた雰囲気が胡散して、ゆるゆるっと解けていく。うん、なんか、締まんないなあ……。むしろ私らしいかもしれない。

「いや、はは、あー……ありがとね、三奈」
「っ!」
「みんなも……心配……あー、かけて、その、えー……」

 ありがと。とどもりながらも零せば、私たちのやりとりを真面目な顔して見つめていたみんなが、優しく笑った。……一部真顔の人もいるけど、まあ、それは置いといて。この見守られてる感、なんか今更ジワジワ恥ずかしくなってくる。きた。マジで。

「磨ちゃん、もう大丈夫なん?」
「ん、うん、大丈夫」
「……何があったのか、俺たちが聞いてもいいか?」
「あー……」

 轟くんの質問に、言葉を詰まらせる。何があったか。

「や、いいんだけどさ、なんというか、……あんまり聞いても面白い話、ではないよ」

 マジで面白い話ではない。から、話してもいい……というか、きっと共有する人がいる方が、人間心理的には楽になるんだろうけど、共有された側が重たく思っちゃわないかが心配だ。人のドロドロ話が好きな人は稀にいるけど、A組の子たちにそんな歪んだ癖はあんまりいないだろうし。

「嫌ならいいんだ」
「でも、磨が、話してもいい……話して、楽になるなら、……聞きたい」

 轟くんと三奈が、まっすぐな目で語りかけてくる。……そんな顔されたら、ねえ。一緒に、背負ってもらってもいいんだろうか。
 そっと握られた三奈の手に、ぐるっと辺りを見渡す。……改めて、A組ってみんないい子だよなあ。お手上げだ。

「ええと、……んー、あー、ん、なんというか……えー……なに、なにから話せばいいの?」
「スピーチ下手か」
「ケロ、ゆっくりで大丈夫よ」
「んー……」

 なにから話せばいいんだ? こういう話、整理するの苦手なんだよねえ。注目を浴びてる自覚はしながらも、んん、と言葉が出てこない。困りに困って、視線は私の事情をたぶんなんとなく知ってくれている爆豪くんへと行き着いた。

「……」
「……」

 見つめ合う。けれど助け舟はない。っていうか昨日……今日の夜中? の私、話が支離滅裂だった自覚はあるけど爆豪くん、もしかしたら全然理解できてなかったかもしれない。

「あー……一回持ち帰ってパワーポイント作ってきていい?」
「いや斬新すぎんだろ」
「大学生の研究報告か」
「だって! 話したいけどなにから話せばいいかわかんないんだもん!」

 パワーポイント作るのが一番合理的でしょ。学級新聞でもよし。あまりにも私のプレゼンの下手さを見兼ねてか、爆豪くんがハー……と大袈裟にため息をはいた。それから、「発端」と一つ呟く。

「発端? ……は、ちょっと前、あの……タルタロスに行って……」
「タルタロスゥ!? あの監獄の!?」
「うん」
「それは……俺たちが聞いてもいいものなのか?」
「うん。先生はいいって」
「そうか。ではぜひ教えてくれ」

 先生からの許可は出ている。どうせ脳無のことも、そんなに長く世間に伏せていられるものではない。

「あー……の、福岡で、私が対敵した脳無が、いたんですよ」
「……大怪我した時のやつか」
「そ。……で、それが、あー……」

 やっぱりまだ若干言いにくくて言葉に詰まる。と、繋いだままの三奈の手が、励ますように力を増した。……うん、大丈夫。

「えっと、私の母親……『スノーホワイト』だったらしく」
「!」
「……えっ!?」

 息を飲む音と、驚愕の声が響く。まあね、そう言う反応になるよね。

「で、まあ……対面して、いろいろと……メンブレしたというか……」
「いやおまえそりゃあ……」
「そんっ……ええ……!」

 それはもう、とことんメンブレした。今世で一番くらいには病んだ。三奈の手が、痛いくらいに力んでいた。

「母娘で対峙させた、という訳か」
「悪趣味な……!」

 驚愕、からの戸惑い、からの怒りだろうか。場の空気が移り変わっていくのを感じながら、苦く笑いを零す。あんなに自分を追い詰めたけれど、なんとなく、スッキリしちゃってるところがある自分への笑いだ。

「で、福岡の時の記憶があんまりなかったんだけど、ちょっと……衝撃で、荼毘に言われたこと思い出して、よけいに病んだっていう……」
「……何言われた」
「ん、あの……」

 ともすれば入学当初の冷たさを通り越して、絶対零度の怒りに燃えている轟くん。本気で怒ってるところ、初めて見たかも、ってくらいの顔にちょっとだけビビるけど、美形の怒り顔ってめちゃくちゃなんか……いいな、と思うくらいにはいつもの調子を取り戻してきてしまっている。

「テロの……お母さんが殉職したやつの、狙いが、私だった……って、」
「!」
「それで、まあ……責任っていうか、罪悪感っていうか、なんていうの、上手く言えないけど……そういうので凹んでたっていうか……」
「そんなの! そんなの、磨が悪いわけないじゃん……!」

 そう、三奈が力いっぱい否定してくれるけれど、今まともに戻ってきた頭でなら確かに私別に悪くないんよな〜! になるんだよね。そりゃあ全く責任を感じないわけではないけど、生まれ持った力も、誰が望んだわけでもないし、そもそも犯罪を起こすやつが悪い。そう。わかる。

「……もう、大丈夫なのか?」
「うん、今はもう、……まあ、うん」

 へへ、とふにゃりと笑みをこぼすと、轟くんの顔が歪んだ。それから、両隣りから衝撃が襲ってくる。

「ォゲッ」

 両刀ピッチャーのストレート並みの速さで突っ込んできた身体にプレスされて、中身が出るかと思った。お腹には三奈の腕が回って、背中には轟くんの腕が回って、ちょっとかなり痛い程に抱き締められている。

「笑いたくねェときに笑わなくていい」
「磨っ、磨、っ、ぅ、」
「ちょ、三奈、いたいいたい、っ、……っ、!」

 ぎゅううう、と私のくびれたウエストが更に括れさせられる。……爆豪くんといい、三奈といい、轟くんといい、物理的に泣かそうとしてくるのはどうにかしてほしい。でも、おかげであんなに枯れるくらい泣いたって言うのに、まだまだ涙は出るみたいだ。

「ぅ、っ、……ふ、」
「磨さん……!」
「磨ちゃん、」
「ぅげっ、ぅぅ、」

 急にダムが崩壊したように、ぼろぼろと零れてくる涙に、百やお茶子ちゃん、女の子たちがぎゅうぎゅうと隙間なく抱き締めてくる。かなり圧迫されてるし、泣きじゃくって息苦しいし、涙は止まらないのに、なんかそれでも嬉しくて笑えてきた。
 ひぐっ、としゃくり上げると、誰のかわからない手が優しく私の頭を撫でる。

「おーい、緩名死ぬて」
「うぇえ、緩名……っ」
「おまえも泣くんかい」

 瀬呂くんと上鳴くんの気が抜けるやりとりを聞きながら、気付いたら意識が遠のいていた。



「寝ちゃったね、緩名さんたち」
「上鳴と轟はいいとして、女子全員は運べないな」
「流石に男だけで女子寮入んのはねー」

 微睡んだ意識の中で、心地よいだれかの話し声を聞いている。人の話し声って、安心して落ち着くよね。モゾ、と身動ぎをすると、肩から何かが滑り落ちていく。

「ああ、緩名、起きたか」
「んん……」

 たぶんブランケット、を拾おうとして薄く目を開けると、障子くんが目の前にいて拾ったブランケットをまた私にかけようとしてくれていた。

「目が腫れているな」
「しょうじくん……」
「どうした」
「あつい……」
「……暑そうだな」

 三奈に響香にお茶子ちゃんに百に透に梅雨ちゃん、あと轟くんと上鳴くんまで私の周りで寝ている。なにこれ。なんか皆で、いや轟くんは泣いてないけど、なんかほとんどが泣いて寝落ちしてたみたいだ。そりゃ暑い。んん、と手を伸ばすと、障子くんが周りを起こさないようにゆっくりと抱き上げてくれる。

「甘えたさんネ」
「ん〜……」
「……すっげえ目腫れてんなあ」
「氷持ってくる」

 瀬呂くんに尾白くん、あと口田くんと常闇くんと砂藤くん。共有スペースに残っている男の子たちだ。

「飯田は緑谷寝かしつけに行った」
「ん、ふふ」
「切島も男泣きして風呂行ったよ」
「んー」
「峰田はどさくさに紛れてソコ飛び込もうとしたから隔離してる」
「ふふ、ぽいなあ」
「で、青山も風呂。爆豪は……知らね」

 爆豪、らしいな。緑谷くんも涙腺弱いし、とはいえ女子の密集体に近寄れないから部屋に帰ったんかな。ぽい。それより、さっきからゆらゆらしている。

「……障子くん?」
「なんだ」
「あやしてるでしょ」
「バレたか」
「……バレるもん」

 赤ちゃんでもあやすみたいにユラユラされていたからわかる。大号泣したけど、別に赤ちゃんなわけでもない。ぷくっ、と頬を膨らませると、すまない、なんてちょっとだけお茶目に障子くんが謝った。

「ま、目冷やしなさいよ」
「氷持ってきたよ」
「あ、スポーツドリンクもあるよ」
「ん、ストロー……」
「はいはい、ちょっと待ってな」

 障子くんに抱えられたまま、ソファに座る。尾白くんが目元にタオルに包んだ氷を宛ててくれて、口田くんがスポドリを差し出してくれた。ストロー、と言うと砂藤くんが取りに行ってスポンと差してくれる。

「……甘やかし艦隊?」
「最近緩名甘やかされたなかったしいいんでない」
「磨元気ナカッタモンナ」
「あ、ダークシャドウくん」
「黒影も心配していた」

 そっかあ。心配、されてたんだなあ、って思うとムズムズする。スポーツドリンクをちゅうう、と吸いながら足をムズムズ動かした。

「……心配、かけてごめんね」

 そう呟くと、瀬呂くんが呆れた顔をした。なんなん。

「緩名」
「ん」
「……心配をかけるのか心苦しいというのは、俺にもよくわかる。このクラスは良い人ばかりだからな」
「うん」
「だが、」

 障子くんを見上げると、鋭い目付きが和らいで、汗で張り付いた額の前髪を、そっと拭われた。

「次からは、素直に心配させてくれ」
「……っ、うん」
「おいおい、また泣かすなよ〜?」
「む、そうだな、悪い」

 うるっとして障子くんの首に抱き着くと、そっと腰を支えられた。ぎゅうぎゅうに抱きつくと、気が抜けたように優しく笑う声が聞こえてきて、安心する。

「……俺は、変なのかもしれないな」
「?」
「おまえもヒーローなのに、緩名を守りたいと思う」
「!」

 障子くんの、そっと包むような言葉に、胸がどきどきと痛いくらい高鳴った。

「変じゃないよ」
「そうか」
「じゃあ、ずっと私を守ってね」
「……そうだな。そうしよう」
「ふふ」

 ほんのすこし目の縁から落ちた涙を、太い指に優しく拭われる。くすぐったい感触に、自然と微笑みが落ちていった。

「……二人の世界作んなー」
「あ、瀬呂くん」
「すまない」
「おまえらね……」
「障子は緩名さんに甘すぎ」
「そうか?」
「そんなことなーいよ」
「いや、あるから」
「ふふふ」

 私にベタ甘な障子くん、いいじゃんね。少なくとも私にはめちゃくちゃいい。っていうか、言いながら瀬呂くんも尾白くんも私の世話を焼いてるんだから、A組のほとんどが私に甘い。

「あっ、緩名さん! おはよう」
「ああ、緩名くん、起きたんだな! もう夜だが、おはよう!」
「おはよお、飯田くん」
「さあ、もうすぐ夕飯にしよう」
「あー、だな」
「起こすかあ……」

 またウトウトしてきていたけれど、飯田くんと飯田くんに寝かしつけられていた緑谷くんが降りてきた。そっか、まだ晩ご飯食べてないわ。そういえばちょっとお腹減った気がする。

「ケーキ食べたい」
「ないもの言うなー」
「瀬呂くんママみたい」
「……緩名の復活祝いに作るか?」
「わーい! 砂藤くんのケーキ!」
「……えっ!? 砂藤のケーキ!?」
「うう……砂藤くんのケーキ」
「おまえらそれで起きんの?」

 魔法の呪文、砂藤くんのケーキでリビングデッド甘いものモンスターたちが起き出した。
 さて、久しぶりのみんな揃っての晩ご飯だ。



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