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 寝すぎと泣きすぎで頭は痛いのに、気分はどこかすっきりしていた。ぱた、ぱた、手を動かしてスマホを探る。目がねえ、全然開かないの。涙で張り付いてる。しかも絶対これ鬼のように腫れてる気がする。……あれ、スマホ、ないんだけど。
 そういえば、私昨日どこにスマホやったっけ。昨日……お風呂に入る前は、たしか、共有スペースに放ったままだった気がする。で、夜中、爆豪くんと……あああああ、すっきりはしたけど、思い出したらあんな爆泣きして意味不明に縋り付いてたの、恥ずかしくなってきた。なんも考えずにただ思い浮かんだことをポツポツ吐き出してた私の話は、半分も伝わってないんじゃなかろうか。うわ、本気でガチ恥ずかしい。死ぬ。顔から火が出て人体発火現象イタコのいずなで死ぬ。

「ぅあれ? ……けほっ」

 馬鹿なこと言ってないで起きよう。薄く開いたカーテンから差し込む光が、どう足掻いても絶望レベルに太陽がバリ高ポジ取っている。絶対昼じゃん。今日普通に学校なんですけど? 誰か起こしてくれてもよくない? ていうかまじでスマホが見つからない、から、ちょっとだけ勢いを付けてよっ、と起き上がったら、テーブルの上で充電器に繋がれていた。……なんか久しぶりにスマホの存在見た気がする。

「えほっ、ごほっ」

 風邪ってわけじゃないと思うんだけど、水分不足のせいかカラカラの喉が気持ち悪い。咳めっちゃ出る。スマホを充電器から外すと、時刻は正午の少し前を表した。数件ラインが入っていて、その中のひとつをタップする。
 相澤先生からのメッセージは、シンプルに「今日は休め」「起きたら連絡入れろ」「熱計っとけ」だった。ああ、たしかにこのおもだる〜い身体の感じは発熱してるんだろう。……ここ最近の心労とか、睡眠不足とか、自律神経の不調とか、雪の中ノースリーブで外でたこととか……あと、泣きすぎとか。いろんなものが重なった結果だ。

「え、既読はや」

 おきました、と送った瞬間に既読付いた。連絡事項にはしっかり返事くるけど、それでも鬼の早さだ。びびる。「行く」とだけメッセージが来た。

「来るんかい」

 まあ、体調不良の生徒の様子見は担任のお仕事か。教師って大変だなあ、なんて苦労をかけておいてる身で言えたことではない。言われた通りに体温計を脇に挟んで、着替えを出す。実は倒れて女子に服を着せられた時のままだから、穿いてないのだ。なにをって、なにかを。……わりと真面目なお話をしてたはずなのに、なんか、ノーパンだと思うと間抜けと痴女さが一気に出てくるな。痴女の極み乙女だ。いや、しかたないんだけども。青少年の健全な育成に微妙に悪影響な自覚はある。
 上下の下着を着けて、と言ってもブラはまだ楽なワイヤーレスのだけど、キャミソールにもこもこのショートパンツ、もこもこもこもこのカーディガンを羽織った。外だと寒いだろうけど、室内は暖房が効いてるのでこれくらいでちょうどいい。少し寝癖のついた髪をくるっとまとめて、共有スペースへ降りていった。

「あ〜、ごはん……」

 顔を洗って、化粧水を塗り込んでいるとぐう、とお腹が鳴る。そういえば昨日晩ご飯も食べてないや。え、おなかすいた。すくじゃん、そりゃあね。胃の元気が微妙にない、けどお腹空いた。そんな時はやっぱり、うどんかな。油揚げ……あ〜、お餅もある。この寮無限にお餅湧いてくるな。キツネにしようかと思ったけど、餅巾着にしよう。油を切って、餅を入れて、爪楊枝で塞いで、煮る、の段階で来客が来た。寮に入ってすぐ、私の姿を見付けた先生が、長い足でスタスタと距離を詰めてきた。

「熱は?」
「ん、ななどさん。微熱くらい」
「体調は?」
「体調……は、特別いいわけではないけど、気持ちは……スッキリした」

 そういうと、少しだけほっとした顔をして、そうか、と頷いた。連日の寝不足や自律神経のイカレがちょろっと寝た程度で治まるわけではない。けれど、メンタルが戻っているので、もう後は治るのみ、だと思う。あからさまに安心した様子の先生に、ちょっとだけ恥ずかしくなる。……いろいろと、いろいろな姿を見せちゃったし、いろんなことを、ぶつけてしまった気がするから。

「あの、……」
「ん」
「……その、いろいろ、ごめんなさい」

 自分自身に制御不能だったとはいえ、ぐっちゃぐちゃになったところを見せたことも、八つ当たりをしたことも。いっぱい迷惑をかけたな、と思って、これはけじめだ。

「おまえが謝ることじゃない」
「うん、……でも」
「気にするなら」
「……?」
「これから、立派なヒーローとして成長してくれ」

 それでいい、なんて言われたら、もう、頷くしかない。頭に乗った手が、なんだか懐かしい感じがして、大きな手のぬくもりに安堵してしまう自分がいた。

「……こっちも、すまなかった」
「え? ……ああ、それはまあべつに、もう、いいよ」

 この前、倒れた時も散々に謝られたけど、それはもう今更だ。気にしてないといえばまだ嘘になるけど、少なくとも先生に謝ってもらうようなことじゃない。

「先方も、無理にまた会う必要はないと言っているが、おまえがもしやり直したいなら、歓迎するとも言っている。……おまえは、どうしたい」
「……」

 もう一度、あの脳無と会うか。それについても、少しプレッシャーだった。だって、情報を引き出す必要があるなら、多少の私情は惜しまず協力すべきだから。自分一人が押し殺せば、可能性があるなら。今度は、いけるかもしれない。肉親なんだから、向き合わなきゃ!
 ……なんて、少し前までなら、きっと、思っていたかもしれない。でも、今は。

「ごめんね。私、もう、会わないよ」
「……そうか」
「うん、……」

 この選択を、逃げだと思う人も、きっといるかもしれない。戦うことが正義、っていうのは、それはそうだと思う。でも、正義はひとつってわけでもない。……綺麗な想い出として、「お母さん」を残して起きたい気持ちに、もう、嘘はつきたくなかった。

「それでいい。……無理を、するようなことじゃない」
「……ん」

 見上げた先生の目元が、少しだけ緩んだ。……ああ、この人のこの優しい顔、好きだな。夜中に大泣したからなのか、ゆるゆるになったらしい目の縁から、ぽろっと涙がこぼれていった。

「どうした」
「ん、いや、たぶん癖」
「……癖で泣くな」
「ふふ、ほんとにね?」

 馬鹿になった目からぽろぽろ流れる涙を、手が油揚げの私に代わって先生が拭ってくれる。キッチンペーパーに染み込んでいく涙を見ると、なんだか笑えてきた。ちょっと滑稽。

「ありがと。っはー、泣いた」

 ようやく止まった涙を、肩でグイッと雑に拭う。……まあ、ストレス解消には泣けた方がいいっていうし。

「緩名」
「先生うどん食べる?」
「いや、」
「いらない?」
「……じゃあ、食ってくよ」
「うん!」

 昨日のおかえし、ってわけじゃないけど、まあそんなものだ。わりとこの人は本気でウィダーだけで済ましたりするからね。一緒の食事はレアだ。



 餅巾着に、落とし玉子、かまぼこを乗せて、欲張りうどんセットだ。私流甘やかしうどん。テーブルに運んで、先生と向かい合って座る。

「いただきます」
「はい、どーぞ」

 ちゃんと手を合わせる先生、かわいい。うどんのサイズは二玉分入ってるからあんまりかわいくないけど、かわいい。あ、かまぼこ美味しい。

「あ」
「ん?」
「そういえばおまえ、夜中に寮から出るな」
「……んん?」
「しかもあんな薄着で」
「んんんん……?」

 夜中のことを言われてるのは理解した。けど、なんで先生が知って……。……? ……あ!

「監視カメラあるもんねえ」
「そういうことだ。……悪いが、爆豪との話も少し聞かせてもらった」
「あ、ああ〜……なるほど……やけに会話がスムーズだと思った……」

 そっかそっか、そっかあ……。天下の雄英さま、敷地内の至る所に管理ロボがあるし監視カメラもある。とりわけ寮の玄関は、いろんなことへの対策に指定時間外に開いた時には担任教師への連絡が行くのだ。そういえばあったね、そんなの。すっかり忘れてたよね。ぼやっと薄い記憶で、そういえば爆豪くんが窓開けてくれてたのを思い出した。先生、いたんだろうか。あそこに。

「夜中に起こしてごめんね」
「全くだ。もう二度とすんなよ……と言いたいところだが、もし今度、連れ出されたくなったら、連絡してこい」
「……え!?」

 一瞬言われた意味がわからなかった。……え、それは、先生が攫ってくれるからみたいな……? 月影のナイト様みたいな!? と禁断ラブの予感に密かにテンションを上げていると、めちゃくちゃ白けた目で見られる。そんな、私の内心見透かさんでもいいじゃん。

「教員寮では数人宿直している。……寝付けないほど深刻な悩みなら、話を聞くくらいならできる」
「なあるほど。そういうね?」
「推奨はされないが、夜中にほっつき歩かれるよりマシだからな」
「そりゃそう音頭」

 当たり前体操すぎた。……まあ、寮生活だもんなあ。環境が変わったり、思春期特有にいろいろ思い悩むこともあるか。深夜の散歩とか、明け方の散歩、好きなんだけど雄英にいる間はしばらくご法度だな。……いや、そうか。先生に聞かれてたのか。昨日の、昨日の……。

「……ううううあああああ!」
「食事中に大声を出すな」
「ぐうううう……」

 いやそう、そうなんだけど、食事マナーは大切なんだけどさ!? 聞かれてたんだ……と思うとめちゃくちゃ恥ずかしさが、なんか、もう、ほら、ね!? 思わず過去の恥ずかしい記憶が蘇ってきて転げ回りたくなる時とかあるじゃん! 今世では前世の経験活かしてあんまりまだその暗黒時代を作ってなかったのに、今まさにもうそれで、さあ! 久しぶりの感覚にぐうううう、と唸り声を出してしまう。……あ、めっちゃ呆れた目で見られてる。

「騒がしいな、おまえは」
「……まあね。かわいいでしょ」

 もうやけくそである。やけくそでお餅をのびーっとしていると、先生がふ、と笑みを零した。

「そうだな」
「……」
「……なんだその顔」
「……」

 先生の笑顔、レア〜……。



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