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 私一人にいいことがあろうと、悪いことがあろうと、そんなの関係なく世界は回るし、変わりなく生活は続いてく。夢見が悪くても、眠りが浅くても、しばらく続くとどうにも慣れてしまうみたいで、ヒーロー活動に関してだけはバッチリ奮ってしまっていた。寝不足気味なのがいいのか、変に冴え渡った頭で迎えるインターンは、なにかがピッタリはまったかのように絶好調で。敵を引き渡した直後、ネット記事のインタビューに笑顔で答えれるくらいには、それはもう好調だった。

「大丈夫なのか」
「ん〜?」
「芦戸」
「……大丈夫、ではないけど、大丈夫だよ」

 エンデヴァー事務所の食堂で、轟くんと向き合って本日のお弁当を食べる。ロースカツ丼のカツを半分轟くんの唐揚げ弁当に乗せると、お、と一言こぼして受け入れてはくれる。追加でざるそばも食べてるんだから、食べ盛りの男子高校生の胃は底知れない。

「ちゃんと食えよ」
「……食べてまぁす。ていうか、あなたのお父様が餌付けしてくるんですけどぉ」
「……その言い方は気に入らねェ。が、食は大事だぞ」
「わかってるし。あ、お蕎麦ひとくちちょうだい」
「いっぱい食っていいぞ」
「ありがと」

 ひとくちでいいんだけどね。轟くんから差し出されたざるそばを遠慮なくいただく。……うん、美味しい。なんか、カツ丼もめちゃくちゃ美味しいし、そもそもエンデヴァー事務所のケータリング類超美味しいんだけど、蕎麦だけレベチなところある。エンデヴァーさん、やったか? 息子贔屓とかじゃなきゃいいんだけど。いや、いいけどさ、贔屓しても。

「仲直りって、難しいもんな」
「んぐ」

 あったかいお茶を口に含むと、轟くんがしみじみそんなことを言うから吹き出しそうになってしまった。しみじみ言わないでよ。
 三奈との喧嘩、というには一方的だけど、気まずくなってから、早数日。結局、あの日泊まりに来ると言っていたのももちろんなくて、それから気まずい空気が漂っている。三奈も、怒っている雰囲気はもうないし、やっぱり心配してくれてるところが大きいんだろうけど、声をかけては来ない。……私も、轟くんとの時みたいに、自分からいけるほど自分に自信がなかった。自信、っていうか、なんていうか。どの面下げて!? ってなるじゃん。

「……ほんと、難しいよねえ」

 きゅう、と目を細めると、轟くんも同じように目を細めた。それから、少し低い温度の指先が、目の下を薄く撫でていく。……パウダーで抑えてるから大丈夫だけど、コンシーラー付いちゃうよ。ぷにぷにぷに、と轟くんが私のほっぺたを揉んできて、そのあまりの無心さになに? と首を傾げた。

「ほっぺ痩せちゃう」
「ああ、悪ィ」

 と言いながらも揉む手は止まらない。まあいいか、好きにさせとこ、飽きるやろ。ファットさん心の俳句を読んでいると、ふ、と轟くんがはにかんで、俺も、とぽつりと零した。

「緩名が元気ねぇと、寂しい」
「……うん、ごめんね」
「……謝ってほしいわけじゃねえんだけどな」

 謝ると、轟くんは難しいな……と呟く。難しいよねえ。

「……君たち、人目があるってこと忘れてない?」
「え?」
「? 忘れてないです」
「あ、そう……」

 一般通過バーニンさんには、なんやこいつら、みたいな顔をされた。




「“スノーホワイト、再臨”ねえ……」

 嫌なことって、重なるものだ。
 インターンが明けて登校日。やっぱりまだ仲直りもできていないし、なんなら話すらできてない。このまま気まずい雰囲気を続けるのは嫌だし、私と三奈という二大ムードメーカーが仲違いしてると、教室の雰囲気もめちゃくちゃ気遣われてんな〜……って感じに陰がかかっている。申し訳ないよねえ。先日のインタビューを受けた記事の、なんとも大袈裟かつややセンシティブな見出しを見て、へっ、と笑いが出た。スノーホワイトを継ぐヒーロー! なんて期待をかけられるの、まじで全然嬉しくないな。轟くんの気持ちがちょっとわかった気分になる。

「あ、緩名ちゃん!」
「インターンの記事見たぜ〜」
「ほんと? ありがと〜」

 ひとりで抜け出したお昼休み、無意識にヒーロー科から離れていたようで、帰り道が普通科の教室の側だった。The陽〜みたいな男子生徒たちに声をかけられて、足を止める。ヒラヒラとスマホの振られたスマホの画面には、先程のネットニュースの記事が載っていた。

「ひとりでいるの珍しくね?」
「ね、ね、連絡先教えて」
「え〜どしよっかな〜」
「いいじゃん。……つかまじかわいいよなー、緩名ちゃん」
「そうでしょうとも」

 名前も知らない人たちに連絡先を教えるのもめんどいので、適当に受け流しておく。先輩らしき人たちも、多分そこまで本気じゃなくかわいい私とちょっと接触したいだけだろう。普段は基本的にA組の誰かしらと行動してるから、あんまり声かけにくいんだろうし。じゃ写真撮ろ、と持ちかけられるのにいいよ〜と返して、目を伏せてピースで隠した。

「ギャルじゃんうける」
「つか顔映さんのかい」
「昔のキャバ嬢の宣材みたいでしょ〜」
「? あーね」

 あーね、って言われたけど絶対わかってねえなこれ。いらんとこでジェネギャが出るのが今世の切ないとこだ。あ、記念にこれあげるわ、と先輩から購買で売ってるちょっといいチョコ(未開封)を貰って、じゃあね〜、と二人に手を振って踵を返して歩き出した。ら。

「!? わ、」

 ドンッ、と後ろから結構な勢いでぶつかられて、ここ最近の寝不足も祟ってか、普段ならパーフェクトな体幹で耐えれたはずなのに、少しぐらついて傾いた身体は軽く壁にぶつかった。まあまあ鈍い音したんだけど、なに?

「ヘラヘラして気持ち悪」
「……ハァ?」

 衝撃の元を振り向けば、私よりも少し背の低い女子生徒。制服から、ヒーロー科ではないだろう。顔も知らないし、まあ覚えてないだけかもしれないけど、知り合いではない、と思う。そんな存在からかけられる言葉ではない。普段なら相手にもしなかったかもしれないけど、今、このグズグズの時にこうやって喧嘩を売られたら、流石に温厚な私でもカチンときてしまった。睨みつけると、負けじと、と言うよりも、かなり苛立った様子で睨み返される。なんなん。

「あんた、ムカつくんだよ……!」
「えっ、いや、急になに。そもそも誰」
「ねえ、やめなよお……」

 今にも私に飛びかかってきそうなその人に、彼女の友達らしき女の子二人が止めようとオロオロしていた。正直、同性に羨望を向けられることは今の私では慣れっこだ。否応なしにモテるので、悪意を向けられることも度々にはある。とはいえ、ここまで敵意剥き出しなのは流石に初めてで、少々面食らってしまう。さっきまでの瞬間的な怒りより、困惑の方が大きくなってしまった。……まじで誰なんだ。

「あんたのせいで……!」
「……私のせいで?」

 好きな子を取られた、とか、彼氏にフラれた、とか、そんなかわいい思春期な悩みだったらいいのに。

「あんたのせいで、スノーホワイトが……っ!」

 その一言、だけなのに、ガツンと殴られたみたいな衝撃に襲われて。向き合った彼女の苛立ちを、悲嘆の色が覆い隠した。
 私がいなかったら、私がいなかったら、お母さんが。……助かってたかもしれないし、そもそも、あのテロすら起こらなかったかもしれない。いや、目当ては「私」だとあの日荼毘に教えられたから、ほぼ確実にテロすらなかっただろう。そんなこと、わかってる。だって、タイムリーにもここ最近、ずっと考えていたことだ。彼女も、見たんだろうか。握られたスマホで、あの記事を、見出しを。

「なのにっ、あんたはヘラヘラ笑って……っ、男に媚びて、ッ平気な顔して! スノーホワイトは、そんなんじゃなかった……!」

 一部は完全に彼女の思い込みだ。けれど、他者から見たらそう見えるのかもしれない。弱いところを見せたくないわけじゃない、けど、だってそんな部分、わざわざ他人に見せるものじゃないじゃん。心配されるのは嬉しいけど少ししんどいし、私だってべつにいつも平気なわけじゃない。私だって、「お母さん」が死んで、「お父さん」が後を追って、何も気にせずいれるほど、心が強くも図太くもなかった。母の、あとを継ぎたいなんて、今も思ってもない。
 パニックを起こしたように、とうとう堰を切った涙を零す彼女を見つめる。きっと、この人は、ヒーロー「スノーホワイト」が大好きだったんだろう。チャートも上位で、多くの人を救ってきたヒーローだ、当たり前にファンだっている。……そんなこと、わかってはいたつもりだったんだけど。

「……私がいなかったら“スノーホワイト”は助かってたって?」

 熱の抜け落ちたように冷えた頭で、熱の通っていない皮肉をぶつけた。「私がいなければ」。そんなこと、私が一番わかっている。
 半狂乱になって息を乱していた女生徒は、私の言葉にハッとした顔をした。きっと、そういうことを言いたいんじゃないんだろう。怒りのやり場がないだけなんだろう。それを私にぶつけるのは、理不尽だし……正しいよなあ、と思ってしまう。出生事態が間違いとは言わない。「緩名磨」に罪はない。……でも、中身の「私」にはうまれるのかなあ、なんて。誰に望まれて生まれてきたわけでもなく、自分の生命が多くの悲しみの上に成り立っていることを考えると、なかなかにグロくて気持ち悪いかった。

「……はは、きも」

 思わず自重の笑みと一緒に、心底の気持ち悪さを呟いた。それが、今対峙してる相手には煽りに聞こえてしまったんだろう。勢いよく振りかざされた手のひらが見えて、来る、とわかってしまったので、振り下ろされたそれを、少しだけ身体を後ろに引いて避けた。けれど、鈍った身体は避けきれなかったみたいで、私たちヒーロー科よりも長い彼女の爪が、私の頬を掠めていった。……うーわ、地味に痛いやつ。暴力はダメでしょ。さっきぶつかったのはたまたまと言えても、今回のは違う。明確な悪意を持ったものだ。私が悪い、悪くないは置いといて彼女が明らかに非がある。

「いった……」
「避けてんじゃ、」

 再度振り上げられた手。何度でも避けたるが? 今度は油断しないし。いくら落ち込んでるからって、無条件に殴られるほど甘くもない。彼女のお友達たちが必死に押さえ込もうとしてるけれど、怒りのパワーの方が強かったらしい。また振り下ろされた手。次はしゃがみで避けたろか、なんて思っていたら、少し後ずさった私の後頭部は誰かにぶつかり、目の前の手も、私の背後にいる人に受け止められていた。鼻先に当たる、ふわ、と香る優しくて、少しだけ甘いウッディな柔軟剤の匂い。

「それを、緩名にぶつけるのは違うだろ」

 耳よりも少し高い位置から、普段よりもさらに低い、かなりお怒りの声が聞こえてきた。声色には怒りが乗っているけれど、よく聞きなれた声。いつの間にか集まっていた野次馬と、向かい合う少女の視線から守るように肩を抱かれて、強ばった身体から少しだけ力を抜いた。



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