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 サアサアと降る雨の音で目が覚めた。カーテンも閉めていないけれど、あたりは夜と変わらないくらい薄暗い。窓から見上げた空は真っ暗で、雲に覆われてどんよりとしている。……あたま、いた。

「ッハ〜……」

 この五日間、止む時間帯はあれど毎日長時間降る雨のせいで、気圧にやられてる。目の奥がズキズキと痛むのも、寝不足と気圧のせいだろう。枕元に置いていた鎮痛剤をプチプチと手のひらに出す。身体を起こして、室内に置いていただけなのにキンキンに冷えている水と一緒に飲みこんだ。ぐっ、と喉の辺りでつっかえているような違和感がして、追加で水を飲む。

「けほっ、……はあ」

 噎せるしさあ。重力が倍になったような重さがある身体は、まだ寝たいと訴えて来ているけれど、振り払ってゆっくりとベッドを降りた。スマホを照らすと、起きるには早すぎる、深夜とも早朝とも呼べる時間で、チカチカする目を細める。……あの日から、ずっとこうだ。
 嫌な夢を見る。具体的にどんな、と言われると覚えていないけれど、ぼんやり嫌な夢を見たなあ、と覚えているから、たぶん嫌な夢なんだと思う。寝汗も酷いし、目が覚めた瞬間の血の気の引く感じ、不快すぎて最悪だ。そのせいで、眠りにつくと魘されて、浅い眠りを繰り返し、碌に眠れもしない。ハハ、ストレス過多で自律神経がバグってんだな〜とは自覚できるくらいには、不調だ。忌々しい“個性”の影響で、有難いことに身体の不調はそこまで出ていないけれど。

「……」

 あの日。過呼吸で倒れた私に、周りにいた大人たちは、それはもう痛々しそうに何度も謝罪を繰り返した。気が付いた時には先生に運ばれて、タルタロスの救護室に寝かされていて、一応の検査もしたけれど体調には異常なしだ。酸欠と混乱でボヤボヤする頭では、繰り返される謝罪と気遣いの内容を受け流してしまっていたけど、いやに冷静な大人の自分が、「ちょっと混乱しただけだから大丈夫ですよ〜!」なんて笑顔を振りまいて、なんとかカウンセリング等の手配から逃れて。なのにこのザマ。全然大丈夫なんかじゃない。インターンでもなかなか奮わず、叱責どころか気遣わしげな視線をエンデヴァーさんに投げかけられて、いたたまれないどころじゃなかった。怒られるのは嫌いだけど、まだ怒ってくれた方がマシだもん。……学校からなんか聞いてるんだろうなあ。ウワ、やだやだ。被害者ぶりたくないのに、楽な方に逃げたい自分が悲劇のヒロインムーブをしてしまう。マジでヤダ。
 吐き出したい溜め息を飲み込んで、手持ちぶさたにスマホをスワイプする。こういう時、言葉にして吐き出した方がいいのを、知っている。一度どこかに心情を吐き出すと、ある程度整理がつくからだろう。メッセージアプリを立ち上げ、既読のつかないベストジーニストのメッセージ画面を開いて、取り留めもなく愚痴をツイートした。



 憂鬱な気分とまとわりつく怠さを振り払うために、軽くシャワーを浴びた。けれど、鏡に映る顔色は最悪で、うーわ、と引いた声が出た。吹いたら飛んで行きそうな薄幸の美少女って感じ。顔整っててよかった〜。
 薄く浮いた隈に、コンシーラーを乗せていく。睡眠不足は美容の大敵だ。若い時の生活が、歳取ってから影響すんだから、なるべく規則正しくしたい。まだ薄い青クマは、とはいえ日に日に少しづつ濃くなってきている。このままじゃ、心操くんのコスプレを目元メイクなしで行えてしまう。……そういえば心操くんのクマは眼球のデカさとかの影響なのかな? コンシーラーにパウダーまで乗せたので、ついでに軽くメイクをする。全然気分ではないけど、顔面装甲だけは輝かせていきたい。ラメ……気分じゃないけど、輝かせよ。うん。キラメキを止められないみたいなこと、うちのクラスに言ってる子いるし。

「うーん……」
「あら、磨さん。おはようございます」
「あ、おはよー百」
「悩んでいたようですが、どうかされましたか?」

 まぶたに細かいラメを乗せて、ホットビューラーでまつ毛を上げながら唸っていたら、早起きの百が顔を洗いに降りてきた。女子で一番の早寝早起きガールだ。最近は私の方がちょっと早いけど。ぽんぽんとチークを頬、鼻先、耳の上部に乗せていく。血色、完璧〜。

「いや、心操くんのクマって自前なのかなって」
「心操さん……骨格や肌の薄さの影響でしょうか」
「ね〜、ちょっと気になってさあ」

 なんて会話をしながら、今日は普通に実技があるので、髪はアップだ。百とおそろのポニテだけど、華やかさがもうちょい欲しいところだ。

「……百巻く? オソロする?」
「まあ! 素敵ですわ!」
「よっしゃ、巻いちゃお〜」

 せっかくだし、と結んだ毛先を、温めたアイロンでくるくると巻いていった。



「え、バッチリじゃん」
「あー! おそろだ! ずる!」
「おはよ〜」
「おはようございます」

 百の髪を巻き終えて、演習だし一応スプレーで固めたところで、寝癖を付けた響香と三奈が洗面所へやって来た。

「ええー、アタシもおそろいしたかったぁ」
「早起きの特権でーす」
「ねえちょっとアイシャドウ零したでしょ」
「百でーす」
「えっ!?」

 腰に巻き付いてくるピンクの腕をぽんぽんと叩いて宥めながら、しれっと響香に嘘をつく。洗面台がちょっとキラキラになるくらい、ね、いいじゃん? オシャレオシャレ。ヤオモモに押し付けない! と軽くぷっすりされたせいで目がしょぼしょぼになった。

「おっ、緩名はよ」
「おはよ」

 共有スペースに出るとまだノーセットの切島くんとほぼ寝てる上鳴くんたちがいて、見慣れた朝の景色に少しだけほっとする。私もなんか食べよ。なにあったかなあ、と冷蔵庫を開けると、緩名! と書いたテープの入ってるイチゴがあった。……あ、常闇くんのお土産か。ホークスにもお礼言っとこ。洗えば誰か食べるでしょ、と冷蔵庫の二パックとも開けて、洗ってお皿に盛る。

「なに、いちご?」
「ん」
「食わして」
「ほい」

 瀬呂くんが肩腰に覗きこんでくるので、ヘタを摘んでひとつ差し出した。パコンっと中身を出したヨーグルトをお皿に盛って、ドバっと砂糖をかける。うわ……、と背後から引いた声が聞こえたけれど、甘いのは正義だから。シュガーマンもそう言ってるよ。数個つまんだイチゴを適当に切って、ヨーグルトの中へ入れた。

「え、少なくね?」
「そんだけで足りんの?」
「バナナ食っとけバナナ!」
「うるさ」

 朝ごはん食べてるだけマシだし、別に少なくもない。朝からトースト三枚たまごにハムに、みたいな男子高校生の方が食べ過ぎなのだ。切島くんに差し出されたバナナは大人しく受け取って、カーディガンのポケットに入れておく。ヨーグルト、うま〜。いちご絶対高いやつだこれ。最高。
 ヨーグルトを堪能していると、隣にドスンっ、と爆豪くんが座った。ちょっと跳ねるじゃん、やめてよ。むっとしたまま爆豪くんを睨みつけると、知らんぷりでトーストを齧っている。ムキー。

「歯型付けたろ」
「やめろボケ」

 ムカついたので爆豪くんの膝に少し身を乗り出して、一口齧ってトーストに綺麗な歯型を付けると、軽く脳天にチョップが落とされた。グリグリと首の付け根を押されると地味に痛い。やめれ。

「……? なに?」

 身を引こうとすると、爆豪くんの手がうなじを抑えてくる。それから、ジッ、と見下ろされて、なんなんだ。謎。

「イタッ」
「熱はねえな」
「?? なんなの」
「バァーカ」
「はぁっ?」

 首を傾げたら、額にペシッと音を立てて、爆豪くんの手が離れていく。なに、なんでペシされたん。意味の無い罵倒が私を襲う。もちろん抵抗するで、拳で。と思ったけど、爆豪くんはもう私に見向きもせず、とっとと食え、といちごを摘んで行った。なんやねん、構ってちゃんか。



「……」
「……もー、なにい」

 ジッ、と三奈からの視線が熱い。それも無言の。焼ける焼ける、と手で振り払う真似をしたら、訝しげに黒い目が細まる。なんなの。

「ほんとに大丈夫なんだよね?」
「なにが?」
「……」

 ぷくっと三奈の頬が膨らむ。思春期の女の子、難しい。今日のランチは鯛だし茶漬け(すくなめ)だ。あとポケットに入れっぱのバナナがあるけど、まだ食べる気にはならない。インターンを挟んだので三奈とご飯を取ったのは昨晩と今、お昼ご飯くらいなんだけど、微妙に食が減ったことが気がかりなんだろう。別に普段でもたまにあるくらいだけど、聡い……のか、私のことをよく見てくれてるからなのか、三奈はずっと疑いの視線を投げかけてきてる。

「磨さあ、ダイエットしてないよね?」
「え、うん。必要ないし……」
「うわ、ウザ」
「ウチに理性がなかったら殴ってた」
「そこまで!?」

 とはいえ事実だ。別に太っちゃった〜、とかは思ってないし、ダイエットのつもりもない。ただ、ちょっといろいろあれで食が進まないだけで。あと少し、時間をくれたら解決……したらいいなあ、って感じだ。自分のことだし、自分が一番分かってる。……これもつもり。

「……まあ、大丈夫だよ。ちょっと、たまに、ほら、センチメンタルなだけ」
「……なら、なにも言わないけどさあ……」

 大丈夫大丈夫、と笑って流すと、三奈も、響香までもがなんとも言えない表情をした。



「先生、バナナいる?」
「なんでポケットにバナナ入れてんだおまえ」
「いや、所用で……」

 ポケットにバナナ入れる所用ってなんだ、とは思うけれど、まあそれはおいといて。数日ぶりエヌ回目、もはや恒例と言っていいほどの応接室へのお呼び出しだ。ホームルーム終わってからちょっといいか、って呼び出すのやめてほしい。特に今日とか、三奈が変な目で見てたから。

「……寝れてるか? おまえ」
「まあ、ぼちぼち……」
「ぼちぼち?」
「多少アレではあるけど、まあ、ギリ大丈夫な範囲ですよ」

 ぼちぼちはぼちぼちだ。なにも今ぶっ倒れるほど眠れてないとか、そこまででもない。とはいえ、隠したところで無駄だろうし、そこそこの情報開示はしておく。無駄に隠す方がさ、拗れちゃうから。

「寝れてないように見える?」
「少し」
「そっか」

 クマ、とだけ言って、先生が私の目元に手を伸ばした。片目を閉じて軽く笑うと、先生の下唇が突き出される。なに?

「手にラメ付いちゃうよ」
「……学校に華美な化粧をして来ない」
「そんな華美じゃないよお〜」

 専門の人からのカウンセリングを拒んだといえど、相澤先生は私が倒れたあの場にいた人で、しかも私の担任、橋渡し役までしていたんだから、こうやって様子見が行われるのも当然だった。すっと遠ざかる先生の手に、今日一日踏ん張っていた身体から少しだけ力を抜いて、ソファの低い背もたれに頭を乗せる。横向きになって目をつぶれば、閉じたまぶたの裏でぐるぐると回るような感覚になる。……まあ、わりとキてはいる。

「おまえあの時」
「ん?」
「なに言ったか覚えてるか」

 ちらりと薄く目を開けると、射抜くように真っ直ぐな視線と合って、腹の底を探られている言いしれない不安とか、不快とか、そういうものから逃げるよう目を閉じた。ひとつ、落ち着くために、静かに深く息を吸って、吐く。それから、一度ぎゅっと固くつむった目を開いて、んーん、と甘い否定の言葉を吐き出した。

「私、なに言った? ……恥ずかしいこと言ってた? え、はず〜」

 フワフワ浮かぶ雲みたいに軽い口調で嘘を吐く。意識が混乱してたのは本当だけど、覚えてないのは嘘だ。……でも、説明するのも嫌で、わざとらしいまでに誤魔化した。嫌、っていうか、だって、混乱してたのはあれど、あんな自罰的な思想、誰にも知られたくはないじゃん。前世のこととか、話すつもりもないしね。ヘラ、と口の端を吊り上げると、先生の眉間の皺が深くなった。本当なら、溜め息のひとつでも吐きたいだろうに、先生は直ぐに表情を戻して、私に向き直る。

「言いたくないならいい。溜め込むなよ」
「……うん、ありがと」

 ぽん、と頭に乗った手は優しいのに、なんだか責められてるみたいで、どうしようもなく胃が気持ち悪かった。



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