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「じゃ、共スペで待ってるー!」
「爆豪たちにも声かけとくな!」
「はいよろしく〜またね〜」

 私の鞄も持って帰寮していく三奈や切島くんたちに手を振る。鍋パから数日、週末。明日は日曜日だ。冬休み中みたいに毎日行くことは出来ないので、平日授業終わりだったり休日はミッチリだ。今日の放課後からエンデヴァーさんのとこへ向かう予定になっている。月曜も公休でぶち抜きのインターンへ、火曜は緑谷くんたちは学校だけど、私は病院へのインターンも追加された。病院へのインターンは、お医者さんたち立ち会いでの実践実習だったり、座学があると聞いているので今から恐怖している。治癒個性だからまあ……仕方ない。過密スケジュールのため、今日のうちに少し先の課題までみんなで終わらせちまおうぜ勉強会が急遽決定したところだ。帰ろ帰ろ、となったところで、相澤先生からのお呼び出しがかかった。……怒られることはしてない、とら言いきれないから怖いよね。ミルコのこと、流せたと思ったけどこのインターン行く直前に釘刺されるパターンもあるし。

「コンコンコン、失礼しま〜す」
「……緩名、来たか。そっち行ってろ」
「え、はーい」

 素直にお呼び出しに応じて職員室をノックしたところ、相澤先生に指さされたのは応接室。……ガチ説教? やだ、そんな怒られるようなことはしてないはず。ジーニストの近況がわかったとかなら、多分爆豪くんも一緒に呼び出されるだろうし、なんだろ? 大人しく応接室に入って、パチッと電気をつけた。革張りの、少々おしりが沈みすぎるソファに腰掛ける。手持ち無沙汰なので、スマホでSNSのROM垢を眺めていると、私についてのまとめ記事が流れてきた。話題のインターン生・ビアンカとは? 本名は? スリーサイズは? 彼氏は? 母親は“あの”ヒーロー!? ミルコとは好い仲!? 調べてみました! じゃないんだよ。自分の記事だし少しだけ興味はあるけれど、自分のスマホで広告収入を得させるのもなんとなく癪なので、あとで緑谷くんにでも見させようとブックマークだけしておいた。ところで、ガラッと応接室の扉が開く。

「悪い、待たせた」
「いいよー」

 スマホをスリープモードにして、カーディガンのポケットへ戻す。相澤先生が向かいの席に腰を下ろして、膝の上で手を組んだ。静かな目が、そっと私を伺う。……? なんだろう、怒られる、雰囲気ではない。けど、言いにくそうな、納得していなさそうな空気を相澤先生からは感じる。

「……なんか、真剣なお話?」
「……そうだな。まァ、長引かせても時間が勿体ない。単刀にいく」
「うん?」

 先生の雰囲気に、反射的に背筋を伸ばす。ふかふかのソファに、少しだけ居心地の悪いおしりをもぞもぞと座り直した。暗い瞳が真っ直ぐに私を見据えて、ゆっくりと口を開いた。

「福岡で対峙した、スノーホワイト……、脳無の話だ」
「……っ」

 切り出された話に、ヒク、と喉がなって、呼吸の仕方を一瞬忘れた。
 スノーホワイト。……つまり、この生での、私の母親の話だ。命を失い、死体を弄られたあの、異形の存在。まだ、「アレ」と対峙した時から、2ヶ月も経っていない。あのクソバカ荼毘のせいかおかげか、あそこらへんの記憶が結構曖昧になってはいるんだけれど。忘れるはずがない、けれど、あんまり思い出したくも……正直ないよね。微妙な反応をした私を見ながら、先生はまたゆっくりと、口を開いた。

「黒霧って覚えてるか」
「……ああ、うん。あの、黒いモヤモヤの、慇懃無礼な口調の……男? のモヤの。ワープさせる」
「そうだ」

 実際に会ったのは二度だけだけど覚えている。雄英に入学して初めて対峙した敵。そして、攫われた……苦い思い出の残る存在だ。いつの間にかヒーローたちが捕獲に成功したと聞いていたけれど、その存在がなにか関係あるんだろうか。といきなり出てきた名前に首を傾げていると、ちゃんと説明してくれた。
 曰く。黒霧は、複数の因子が結合され“個性”になった存在、らしい。なんかめっちゃ難しいけど、まあ素体となった人がいて、“個性”同士が反応してあんな感じになったけど、黒霧も脳無の一人……ひとつ? ひとり。らしい。むずい。そんで、通常の脳無よりも、人格や知能が残っていて、意思の疎通も可能だから、素体となった人の近しい人が話したところ、脳波に反応があったようで。
 スノーホワイトの脳無も、USJ襲撃で現れた脳無よりも黒霧の存在に近いらしい。確かに、「私だけ」を執拗に狙ってきたところは、思考能力があるからなんだろう。つまり。

「話せと? ……あれと」
「そうなるな」
「……ははあ」

 詳しい事情を説明されたわけじゃないけれど、敵連合、に対するヒーローや公安側は、かなり遅れをとっているのは分かる。AFOを捕まえたものの、死柄木たちは以前行方知れず。数人は死穢八斎會の時に、接触すらしているけれど、捉えられてもいない。後手後手に回ってる現状、なにか僅かな情報でも喉から手が出るほど欲しいんだろう。だから、私にこの話が回ってきたことは分かる。わかるけどさあ。

「それさあ、でも、その黒霧に話しかけた人がめちゃくちゃ仲良かったとかじゃないの?」
「……どうだろうね」
「ハ〜……」

 背もたれに凭れて、天井を仰ぐ。雄英の部屋は、どこもかなり天井が高く作られていて、開放感は抜群だ。その高さの分だけ、モヤモヤとした思考を積み上げていく。
 母と。仲が良かったかと言われると、「悪くはなかった」とは自信を持って言える。けれど、大手を振って仲良しで〜す! と言えるような関係では、まかり間違ってもない。悲しいけど、これ、事実なのよね。それに、目の前のこの人は、私と母の関係を知っているはずだ。……あー、いや、別に先生が会わせようとしているわけじゃないんだけども。本意じゃない願いなのも、それくらいは分かる。ただちょっと怒りが登ってくると、視野が狭くなっちゃうよね。多分、もっと上……公安とか、その辺から持ってこられた話だろうし、相澤先生はただの中間管理職だ。八つ当たりをしたくはない。

「おばあちゃんには?」

 おばあちゃんも、そんなに母と仲が良いっていう印象はないけれど、私以外に話が回っていくならそこだろう。

「おまえで、ダメなら」
「そっか」

 どうなんだろう。あの母、自分の母に対しての興味も薄かったような気がする。多分、家系的なものじゃないかな。親子間の関係がだいぶドライなのは。実際人間は、自分の親と自分の子では、「子」を優先する率の方が高いしなあ。

「おばあちゃん、別に、あの人……お母さん、と、そんなに仲良くはなかったんだよね」
「……そうか」
「だから、おばあちゃんに持ちかけるのも、あんまり意味ないとは思う……」

 それに、自分の子どもの死を何度も実感させるのって、流石に酷だし。ってなると、やっぱり私が引き受けた方がいいんだろうなって。わかるんだけど、わかるんだけどさあ。
 でも。もう一回、会えと? ……あれと? 脳裏に思い浮かべた、面影すらも塗り潰す対敵した姿に、ギリリ、と手を固く結んだ。整えた薄い爪が、手のひらの肉に柔く食いこんで、フツフツと湧き上がる何かが少し冷えていく。

「……ちょっと、考えさせて」
「……ああ」

 握りしめた手を解いて、視線を落とした。フー、と細く息を吐きながら、手持ち無沙汰に目に付いたスカートの皺を伸ばす。話は、終わりかな。スカートの端っこを摘みながら、ソファから立ち上がった。じゃあ、と先生に背を向けて、扉に手をかける。

「緩名」
「ん?」
「無理はしないでいい」
「……うん。ありがと」

 軽く笑って振り向くと、先生は緩く首を振った。暖房の効いていない廊下は、ひんやりとして頭を冷やしていく。
 未成年に、被害者に、こういうことを求めるほど、先生を通して私に「おねがい」をした「上」が酷だとは思っていない。さすがにヒーローだし。そこは信じたい。でも、実際こうやって、学校を通じて私へ話が来たってことは、それくらい焦る局面とか、なにかしらの意図があるんだろう。情報って、聞き出せるなら多い方が多いだけ、味方の生存率が上がるからね。

「ふー……」

 靴を履き替えて、トントン、と踵を合わせた。そのまま前のめりになって、靴箱に額をくっつけると、無機質な冷たさが伝わってきた。ゾワ、と肌が粟立っていく。
 多分、なにかが、はじまろうとしている。もしかしたら、もう始まっていて、既に渦中にいるのかもしれない。嫌な予感が足元に纏わりつく感じがして、振り払うように足を進めた。



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