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「あ、先輩。エリちゃんどう?」
「やっ、緩名さん! うーん、ちょっとは落ち着いたと思うんだけど……」

 教員寮に着くと、通形先輩と天喰先輩がいた。エリちゃんのとこへ持っていくお茶淹れのタイミングらしい。

「今は波動さんとイレイザーが見ている……」
「……まあ、先生いるなら大丈夫かなあ、とは思うけども。これエリちゃんたちのだよね?」
「ああ」

 急須に淹れようとしているのは普通のお茶だ。お茶もいいけど、やっぱり泣いてる女の子に大してならココアとかの方がね、いいよね。エリちゃんもココア好きだし。

「ココアにしていいかな?」
「それはもちろん! いいと思うんだよね!」
「だよね〜」

 問題はココアの材料があるかだな。エリちゃん用に置いていた粉はあるけど、牛乳あるかな。冷蔵庫を開いたらブラド、と書かれた牛乳が数本。うん、大丈夫だな。拝借しよ。後で返す! 天喰先輩が。いや、ブラド先生こんなことで怒んないけどね。

「緩名さん、あの、それ……」
「ん〜?」
「……ブラドのテプラが貼っているが、大丈夫なのだろうか」
「大丈夫大丈夫」

 日にかけた粉を練り練りして、水を入れて混ぜていく。砂糖と牛乳を足して、あ、茶漉どこだっけ。

「はい、これちょっとずつ足して」
「……あ、はい」
「ちょっとこれ沸騰しないよう混ぜといてくーださい」
「了解!」

 ココア作り……って言っても後は混ぜるだけだ。を先輩たちに任せて、茶漉の捜索とマグカップを取り出した。そういえば13号先生が自由に使ってください、と置いてたはず。エリちゃんと遊びに来たり、いろいろと教員寮は遊びに来ているので、学生寮とは微妙に違う作りではあるが勝手知ったる、って感じだ。

「はい、ありがと〜」

 先輩たちから鍋を返してもらい、濾してココアを注いでいく。大人用マグカップ二つと子ども用の気持ち小さなマグが一つ。全然残ってるから先輩たちの分もとぱっと注いだ。あとソファでなんか死んでるマイク先生の分も。WOW! いいのかい! なんてオーバーリアクションの通形先輩にちょっと笑う。

「これそこの人に渡しといて。ちょっと行ってきま〜す」
「ああ」
「ありがとう!」

 あんまり人数が多いとエリちゃんも休まらないだろう、ってことでおふたりはここで待機しているらしい。トレイを持ってエリちゃんの部屋へ、気持ち早足で急いだ。
 目的の扉は、完全に締め切らず少し開いていて、中の様子が伺える。エリちゃんを抱っこするねじれちゃん先輩と、その前にしゃがむ相澤先生だ。一応とんとんとん、と軽くノックをして、入室した。

「やっほ、エリちゃん」
「緩名」
「磨ちゃん!」

 へんにょり下がっていたねじれちゃん先輩の眉毛が、嬉しそうに持ち上がる。トレイをローテーブルに置いて、膝立ちになってエリちゃんに近付いた。

「おねえちゃん、」
「うん、よしよし、おいで〜」

 緩く手を伸ばすと、エリちゃんの手がそっと触れてきてくれたので、そのまま脇を抱えて優しくねじれちゃん先輩から受け取った。ポロポロと涙を流す目が赤くなってて痛ましい。大丈夫、と声をかけて、細い銀糸をやわく撫でた。ぎゅう、と小さな手が背中に回って、カーディガンに皺を寄せる。角から少しズラして、丸い額に額を合わせると、銀色のまつ毛がパチパチと瞬いて、数滴また涙を落としていった。

「怖いこと、なーんにもないよ。大丈夫」

 先生もいるし、力不足かもしれないけれど私もいる。ここにはいろんなプロのヒーローがいるからね。エリちゃんを抱えたまま、ラグの上にゆっくり横たわると、リンゴみたいな赤い瞳が、少しだけ不思議そうに細まった。ふわふわなところに寝転ぶと、なんとなく気持ちの昂りがちょっと落ち着く感じ、ない?
 言葉は一種の魔法で洗脳だ。人間の脳は意外と単純だから、先の見えない不安に襲われた時、「大丈夫」と口ずさむだけで、ほんの少し不安が解消されていく、なんてこともある。

「いっぱい泣いたねえ」

 ぷに、と両手で頬を挟むと、くすぐったそうに微睡む瞼。うん、ちょっとは落ち着いたかなあ。タオル、と手を伸ばすと、ねじれちゃんパイセンが引き出しから新しいハンカチを取ってくれた。ぽんぽんと頬を伝う水滴を拭っていく。安堵した様子のねじれちゃん先輩はゆっくり部屋を出て行こうとしたので、ココアを指差してジェスチャーで伝える。オッケー、と指で作ってかわいく笑ったねじれちゃん、今日もかわいい。ジェスチャーだけで伝わるの、絵しりとりの効果出てんじゃん? って気になるよね。

「ココア作ってきたけど、エリちゃん、飲む?」
「……うん」
「よかったあ」
「ふふふ」

 あ、でもしまった。水分補給ならスポドリとかの方がいいよね。後で持ってくるか持ってきてもらうかしよ。エリちゃんを胸に乗せたまま、起こして、と先生に腕を伸ばせば、小さくふー、と息を吐いて私の腕を取った。……なんだろう、なんか、先生もちょっと変な気がする。なんだろ。目元の気力が死んでいるような。生気のない瞳はいつもだけど、そこにドロっとした暗さが混じっている気がした。うーん、わからん。

「おっとっと、……あはは」
「ふふ」

 ぐいん、と引き起こされる感覚がちょっと面白い。エリちゃんも同じだったようで、胸元で小さく微笑んでいる。うさぎの描かれたマグを引き寄せて、ほい、と膝に乗せたエリちゃんに手渡した。と言っても、まだちょっと熱いので私も一緒に支えている。フーフーしてね、と言えばエリちゃんはうん、と頷いた。

「おいしい」
「うん、よかった」

 ブラド先生の牛乳パクった甲斐があった、って言ったら先生から教育的指導が入るから言わないけど。ブラド先生の牛乳も報われるよ。ありがとう、僕らのブラキン先生。

「あ、先生もはい」
「ん、……俺のか」
「ん、そだよ」
 
 あれ、先生寝てた? みたいな反応だ。いや、起きてるのは知ってるんだけども、エリちゃんが落ち着いたからかさっきから置物みたいだったから。……やっぱりなんか変だ。マイク先生も死んでたし、教員寮集団食中毒とかだったりする? 促されるままマグカップを取った先生は、ひとくち飲んで甘ェ、と呟いた。そりゃココアだからね。

「今度作る時はマシュマロ浮かべちゃおっか」
「マシュマロ?」
「うん。もっと甘くておいしいよ〜」
「もっとあまい……」

 楽しみ、とエリちゃんが白い頬を赤く染めた。
 


「熱出なきゃいいけど」
「どうだろうな」

 寝落ちてしまったエリちゃんを、先生が私の膝から抱き上げてベッドへ寝かせた。いっぱい泣いたし、“個性”の兆しも見えているし、体調崩しちゃいそうだ。あと普通に寒いのもある。少し乱れた銀の髪を指先で梳いて、邪魔にならないよう枕に流した。膝立ちになると腰と足がちょっと痛かった。ぐーっと腕を伸ばして、同じ姿勢で固まった筋肉を解す。

「で、“個性”の訓練、始めるの?」
「エリちゃん次第ではあるが、そうだな。俺が見れる間に制御を身に付けた方がいいだろ」
「そりゃねえ」

 物間くんのコピーの実験で、エリちゃんの“個性”は溜め撃ち系のだって確定した。八斎會での事件で、すっからかんまで使用した“個性”のキャパが、また溜まって来たんだろう。角も結構伸びきっている。だとしたら、そろそろ。エリちゃんが雄英で預かられている要因のひとつ、「“個性”の制御」だ。ここなら、抹消の先生もいるし、デバフできる私もいる。エリちゃんが私に懐いてくれているのも、まあ私の人柄も大いにあるが、いざという時、エリちゃんの“個性”を抑え込めるのが一つにあるんだろうな、と思う。訓練が始まっても、できるだけ最初は付き添うつもりだ。“個性”の威力を弱めれるので、出力調整には持ってこいだと自負してる。
 ま、あとは先生の言うとおり、エリちゃん次第だ。すうすうと穏やかな寝息を立てるエリちゃんにお布団をかけ直した。まだ夕方、もうすぐ夜だけど、これはエリちゃん起きないかもしれない。

「……なんかあった?」

 隣で同じように眠るエリちゃんを見ている先生が、やけにぼんやりしてて。この人には珍しい様子に、思わず口をついて出た。

「……そうだな」
「あれ、肯定するんだ」
「隠しても仕方ないだろ」
「そうなんだけどさ!?」

 まさか素直に肯定されるとは思わないじゃん。相澤先生が、生徒の私に対して弱みを見せるとか、まあしないし。びっくりして見上げると、短いまつ毛が伏せた瞳を隠して、先生の表情はいまいちわからなかった。フー、とまた息を吐いて、胡座をかいた先生が片手を身体の後ろについた。やっぱり疲れてる。

「おまえにも、言わなきゃならんことがある」
「……え、なに?」
「それはまた今度、話すよ」
「ええ〜。……今度っていつ」
「近い内」
「近いうち?」
「ああ」

 近い内、ねえ。先生はそれ以上答えてくれなくて、気になる話の切り方をされてしまった。また話す、って言ってるんだから、タイミングが今じゃないだけなんだろうけど、普通に気になっちゃうんだけど。

「ほら、今日鍋すんだろ」
「あ、そうそう。そうだった」

 ほんのちょっと前、三奈から鍋パの準備開始してる、ってメッセが飛んできてた。そろそろ帰らなきゃ始まっちゃう。けど、やっぱりちょっと心配だ。

「……あんまり無理しないでね」
「ああ。善処するよ」
「絶対だよ」
「わかったわかった」

 シッシッと追い払うように手を振られる。全然約束してくれる気がないじゃん。も〜、とわざとらしく頬を膨らませると、頭に軽く手が乗って、くしゃ、と二、三回かき混ぜられる。

「なんか、旦那と子どもを置いて同窓会に行く主婦の気持ち。今」
「アホだろ」

 率直な感想だったんだけど、アホの一言で一蹴されてしまった。追撃のようにはよ行け、と促されるので、空になったマグカップを二つ持って、立ち上がった。

「じゃあ、また明日」
「ああ」

 部屋を出る直前、やっと私の方を見た先生の目には、僅かに気遣わしげな色が宿っていた。



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