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 轟くんには、夏兄以外にも、もう一人お兄さんがいたらしい。いた、ということは。亡くなってしまったようだけど。とうやさん、って言うらしいその人が、亡くなってしまった原因までは分からないけれど、夏兄はエンデヴァーさんが殺した、と思っている。ってことはここもなんかあったんだろう。思ってたよりもずっと、轟家の事情は穏やかじゃないなあ。

「んん……」
「……緩名さん、大丈夫?」
「んー……」
「冷やすか?」

 温かいお茶を啜りながら聞くその内容は、なーんかメンタルが不安定になってる私にはちょっと重かったみたいで。簡単に言うと、胃もたれ、胸焼け、グロッキー。そんな感じだ。食べ過ぎたのはある。仕方ないよねえ。胃のむかつきがまじ鬼やべえので、座椅子をズルズルとズリ下がって、最早横になる。緑谷くんと爆豪くんの間で、こたつに入る猫のように丸くなった。この際スカートとかは気にしない。普通に胃が痛いんじゃあ。

「食ってすぐ横なんな」
「ん〜……気持ち悪いんだもん……」
「アホ、余計悪くなんぞ」
「んんん」

 たしかに。確かにそうなんだけど、一度横になると起き上がるのもめんどくさい。 向かい側、冬美さんの隣に座っていた轟くんが、私の座椅子の裏に回った。ひたり、と額に冷たい手が乗る。冷たい。

「つめたあ」
「吐き気とか、ねぇか」
「ん〜……ちょっと。飲み込んでる」
「きったねェわ!」
「爆豪くんたべる?」
「殴って吐かせんぞてめー」
「へっへへ」

 気持ちは悪いけど、軽口は叩けるみたいだ。うっ、笑ったらなんか吐きそう。いや多分吐かないんだけど、キてる。

「あやば、笑ったら吐きそう」
「ええっ、大丈夫?」
「緩名、起こすぞ」
「んわい」
「大変! お薬とかいるかしら」
「んーん」

 起こすぞ、と轟くんが私の脇の下に手を差し込んで、ずるっと抱き上げるように起こしてきた。あ、引っ込んでった。吐き気が。胡座をかいて座った轟くんに、もたれ掛かるように座らされる。膝の間にすっぽりだ。あー、眠い。

「あいすたべたい……」
「杏仁豆腐どこ行ったンだよ」
「吐きそうじゃねぇのか?」
「ふふっ、磨ちゃんは不思議ね」

 不思議で済ませていいのかなあ……なんて顔を緑谷くんがしている。なんだ、文句なら聞くぞ? 爆豪くんが。ゴツン、と少し強めに頭を後ろに倒すと、ちょうど肩のところの骨に当たったようで、イテ、と轟くんが小さく零した。痛かったらしい。私もちょっと痛かった。

「あっ、アイスならあった気が、」
「そろそろ学校に送る時間だ。……む」
「あ、はい!」
「え〜」

 冬美さんが思い当たったように立ち上がろうとしたら、エンデヴァーさんがひょっこり顔を覗かせた。え〜。

「顔色が悪いな」
「ん、そう?」
「ああ。どうした」
「ん〜……たべすぎ?」

 多分。だいたい。食べ過ぎ、だ。話的な意味も含めて。エンデヴァーさんは一瞬思案顔をして、それからまた私に向き直った。

「丁度いい、少し休んでいろ。どの道全員は乗れなかったからな」
「えっ」

 聞けば迎えの車は最大五人乗りらしい。なんでやねん。車種不足だそうだ。ははあ、なるほどね。うっかりNO.1?

「じゃあ俺も、」
「え〜、先帰ってなよお」
「……なんでだ」

 自分も残ろうとした轟くんを促すと、少し不満げな顔をする。末っ子の顔だ。そのままスリスリと頭を擦り付けてくる。甘えた仕草、かわいいけどくすぐったい。少なくとも身内の前ですることではない。はず。まあいいや。

「え〜……冬美さんと話したいから?」
「俺がいても話せる」
「話せませーん、裸の付き合いしまーす」
「ええっ?」

 冬美さんを口実にしたら驚きの声を挙げられてしまった。まあまあ。



「じゃあ、先帰ってるぞ」
「ほ〜い、また後で」

 なんとか渋る轟くんを先に帰らせて、私はひとりそのまま居間でゴロゴロする。冬美さんはみんなを見送りに行った。ので、他人の家でひとりぼっちだ。特に気まずいこともなく、広い畳の上をごろごろと回る。多分畳の質がいいんだろう、い草のいい香りもするし、柔らかくてめちゃくちゃ寝そう。でも転がってたら気持ち悪くなってきた。一旦ストップ。仰向けに寝転がって目を閉じれば、頭の冷える感覚と、心地よい睡魔が襲ってくる。マジで眠いわ。ふん、とひとつ息を吐くと、暫くしてパタパタ、とスリッパの音が聞こえてきた。

「磨ちゃん、一人にしてごめんねえ」
「冬美さんおかえりぃ」
「ここ寒くない? 大丈夫?」
「いわれてみれば」

 吐き気があったのでブレザーもカーディガンも脱いで涼しくしていたけど、汗も引いてきて寒い気がしてきた。いや、確実に寒いな。冬美さんが慌てた顔でブランケットをかけてくれる。あったかい。しかもめっちゃふわふわ。

「これめっちゃ手触りいい」
「ふふ、でしょう? お気に入りなの」

 もこもこふわふわのブランケットにくるまると、頭痛くない? と蕎麦殻の小さな枕を差し出される。もう至れり尽くせりだ。他人の家最高。ありがたく頭を乗せると、もう溶けそう。とろとろに微睡んでいると、私の頭のすぐ近くの座椅子に座った冬美さんが、なんだかソワソワしていることに気が付いた。どしたどした。

「あのね、聞こうか迷ってたんだけど……」
「ん?」
「ああ〜っ、どうしよう! これ、聞いていいのかな、」
「え、なになに?」

 冬美さんのソワソワは、なんというか、身に覚えのある感じだ。言うなればアレ、三奈とか透が恋バナを振ってくる時のやつ。これは来るぞ、と冬美さんの顔を見上げれば、キラキラした瞳と視線が合った。

「焦凍と付き合ってるの!?」
「くると思った……!」

 やっぱり来た。察知してしまった。まさか父娘揃って同じ質問をしてくるとは。見た目はそんなにだけど、意外と似ているのかもしれない。

「付き合ってないですよ〜」
「ええっ!? 本当に!?」
「ほんとほんと、大マジ」
「うそぉ〜……」

 お決まりの否定を口にすると、めちゃくちゃ驚かれてしまった。リアクションが大きくてかわいい。パーソナルスペースがバリ狭な自覚はあるので、よく誰かと付き合ってるの? って聞かれることも多い。その中でぶち抜け一位は轟くんだ。まあわかる。とはいえ、身内から見てもそう見てるほど距離近いかなあ。ラブラブ雰囲気が出てしまっているのかもしれん。

「焦凍ね、緑谷くんや、飯田くんのこともよくお話してくれるんだけど、磨ちゃんのことが一番多くて」
「え、そうなの?」
「焦凍から聞く女の子の名前って、ほとんど磨ちゃんのことばっかりだもん」

 まあ女子の中では一番仲良い自信はある。なに話されてるかは若干不安さあるな。いい事だけを話してくれてることを願いたい。

「それに……」
「それに?」
「焦凍のあんな顔、初めて見たから……」

 あんな顔、とは。どんな顔だろ。轟くんって、わりといつもあんな感じだけど、やっぱり家族から見るとまた違うんだろうなあ。それに、それを言えば。

「とどろき……あー、焦凍くん、家族の前だと幼くなるんだなって私も思った、今日」
「えっ、ほんとに?」
「ほんとほんと! ちょっとびっくりしたもん」

 喋り方とか、表情とか。ナチュラル末っ子ムーブは最近板について来たところがあるけれど、やっぱり“家族”の前だと少し違う。当たり前のことだけど、冬美さんからしたらちょっとびっくりだったようだ。

「そっか、焦凍が……」

 頬に両手を当てて、嬉しそうに笑った。微笑ましいなあ。この世界で、血の繋がった兄弟姉妹なんてものがいないから、ちょっと羨ましいな、と思う。

「学校での焦凍って、どんな感じなの?」
「どんな……」

 漠然としている。どんな、どんなねえ。

「わりとぼーっとしてる」
「あ、それは家でもそうかも」
「う〜ん、で、構ってちゃん 」
「それ! それがねぇ、びっくりしたの」
「構ってちゃん?」
「焦凍、家では大人しいから……」
「あ〜」

 猫みたいに頭を擦り付けてきていた轟くんに驚いたらしい。あれで付き合ってる! って確信したらしいけれど、付き合ってないんだよねえ。そう言われたら改めて距離感バグってんな、って自覚してきた。

「う〜ん、いやでも、流石に女子にはしないよ」
「磨ちゃんだけ?」
「うん、だねえ」
「磨ちゃんにだけ?」
「うん」

 ……あれ? そういえば確かに、緑谷くんとか相手には接触してるところを見るけど、女子相手だと全然しないな。いやまあ多分、最初の女友達だし、一番仲良いからだろうけど。轟くんちょっと変なとこあるし。これ私が慎みクレバー人間だから助かったけど、そうじゃなかったら轟くんって私のこと好きだ! ってなってたな。あっぶね〜、転生者でよかった。冬美さんがなんか楽しそうな目で見てくるけれど、たぶん違う。たぶん。はず。多分親愛と嫉妬でデコチューもする。知らんけど。たぶん。いやもう最近わからん。わかりやすく恋愛的に好きならLoveの看板でも背負っててほしい。嘘、それはそれで気まずいわ。

「ふあっくしょん」

 脳みそを働かせていると、ゾワッと背筋に寒気が走って、まあまあ大きいのが出た。ア゜〜。ずびっと鼻を啜ると、冬美さんがあわあわしている。

「大変! まだ寒かった?」
「ん〜、ぼちぼち」

 現在シャツ1枚にブランケット。普通に服着ればいいんだけどね。

「そいえば轟家ってコタツとかないんだね」
「あっ、私たち、寒いのが好きだから……お父さんも自分で調整してるし、焦凍も暑い寒いがあんまりないみたい」
「ああ〜なるほど。めっちゃ便利じゃん」

 体温調整バグ一族だ。便利。たしかに轟くんが暑いとか寒いとかなってるところあんまり見ないかも。

「そうだ! ちょっと待ってて」
「うん?」
「いいものがあるのー!」

 そう言いながら、冬美さんがどこかへ消えていった。どこいくね〜ん。大人しそうな感じだけど結構キャピキャピしてるなあ。
 とたたたっ、とすぐに戻ってきた冬美さんの手には、たぶんユニクロあたりのフリースだった。グレーとネイビーの落ち着いた色合いのそれは、たぶんメンズだろう。

「くれんの?」
「ええ!」

 くれるらしい。未使用品くらい綺麗なそれを、ありがたく被る。うわ、めっちゃあったか。裏起毛だ。それに、なんとなく鼻に馴染む匂いがする。すん、と鼻を鳴らして高い襟を引き寄せると、うん、やっぱり。

「焦凍のなの!」

 轟くんが、成長期により、買ったはいいけどすぐに着れなくなったものらしい。なるほどなあ。



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