154



 ホークスが私に用事らしい。大したことではないらしいけど、何用だろ。

「なに?」
「いやいや、ちょっとした確認確認」
「かくにんん〜?」
「そう、確認です」

 寄ってきたホークスが、あーんして、って言うので首を傾げながらもパカッと口を開けた。なんかくれんのかな。

「うん……うん、うん。見ても分かんないけどもう大丈夫そうやね」
「わあらんのかい」
「俺医者じゃないんで〜」
「い」

 口を閉じようとすると、グローブ越しの指が口の端に置かれて、閉じきれなくなる。ごわっとした感触。頬をさすさすと撫でられているけれど、なんの意味があるんだ。

「こえ、いんこーじゃない?」
「う、ウーン……」
「ホークスも君が心配だったのさ!」
「そうそう、心配してたんです」
「ほ〜ん」

 場所は未だに校長室だ。私たちのやり取りを眺めているオールマイトと校長に淫行だー! と訴えかけたけれど、にっ、と胡散臭く笑ったホークスに誤魔化された。まあいいけど。

「磨ちゃん、髪ちょっと伸びた?」
「うん? うん。ほら、個性で髪伸びるの早くできるって」
「ああ、言っとったね」

 首元で切りそろえられていた髪は、肩につくくらいまで伸びた。ちょうど跳ねる長さだよね。朝必死にストレートアイロン当てたけれど、そろそろ毛先が暴れ出しそうだ。私のように。へえ、と感心したようにホークスが毛先を弄んでくる。邪魔。

「ね〜、これ食べていい?」
「もちろんさ! 君のために用意した物だしね」
「やった〜校長ラブ」

 ぺい、とホークスの手を退けて、校長室のソファに再び腰掛けた。お茶請けに出されたお饅頭があるのに、当たり前だけど誰も手をつけてなかったから狙ってたのだ。黒糖まんじゅう、しかもなんかめっちゃ良さそうなやつ。パチって帰ろ。

「ここのソファ沈みすぎてやだ」
「こらこら、緩名少女」
「ハハ、磨ちゃん自由っすね〜」
「だれも私を縛れないからね」

 ゴロン、と上半身を倒すと、オールマイトに控えめに注意されるけれど、相澤先生ほどの矯正力はないのでスルーしてそのまままんじゅうを齧る。上品なあんこの甘さと、口の中に皮の張り付く感じ。うま。もう四限目が始まってしまっているし、今から戻るのも微妙なので五限から参加しなさい、ってことらしい。自由な学校だ。ヒラヒラと三枚飛んできた羽が、私の背中に滑り込んで、支えるように身を起こさせられた。あ、この羽生意気。

「あはははまってくすぐったい」
「元気そやね〜」
「くすぐったいんだってばか」

 ぐわしっ、と羽を掴むと、手の中で動き回って手のひらを擽られる。さらに数枚飛んできた羽が、首元や膝をこしょこしょと撫でてきた。くすぐったい。三対の目は微笑ましいものを見る様をしている。和んでんじゃないよ。はー、笑いすぎて疲れた。

「緩名くんにもこれを渡しておこうと思うのさ」
「んえ」

 目尻に浮かんだ涙を指で拭うと、なにやら作業をしていた校長から数枚のレジュメを手渡される。なんだ? と思って目を通すと、今回の事件で被った医療費や補填の要項だった。おばあちゃんには先に説明しているらしい。へえ、公安からもお金出るんだ。それだけ連合関係はいろいろ複雑なんだろうな。

「本当は説明した方がいいんだけどね。君はこういうの嫌いだろうと思ってね」
「お気遣い感謝です〜」

 まあ、見たらわかることをわざわざ口頭で説明されるのは、苦手な人が多いと思う。分からないことがあればいつでも聞くのさ! と校長が言ってくれたけど、多分だいたい大丈夫。なはず。大事そうなところにはマーカー引いてくれてるし。校長がさっきしてたのこれかな。

「んじゃ、これで要件終わりですか?」
「そうだね。お手数かけたのさ」
「いえいえ」

 大事だもんね、こういうの。別に私が重要視するかどうかじゃなくて、対外的にもこういう対応をしました、って発表はしないまでも必要だろうし。はあ〜、大変だなあ。ふぅん、と息を吐いてちょっと苦いお茶を飲むと、まるで慰めるかのようにオレンジの羽が頬を撫でた。一枚一枚をこんな器用に動かしてるのすごいよね。

「ホークスって今日飛んできたの?」
「いや、流石に地上からだよ」
「あ、飛んだら撃ち落とされる? 雄英ガードで」
「対策は口外出来ないけれどそこまで物騒ではないのさ!」

 そこまで物騒ではない対策はしてあるんだな。許可証があれば飛び越えても大丈夫らしい。雄英のシステム、本当にすごい。

「ね〜、ホークス」
「んー、どうしたの」
「空を飛ぶのってどんな感じ? こわい?」
「あれ? 磨ちゃんも飛べない?」
「や、私のは落ちてるだけだもん。ほら、Gのつく虫とかと一緒」
「ハハ、嫌な例えするねー」

 私のは滑空で空を自由に飛べるわけじゃない。誰でも子どもの頃一回は考えるじゃん。そーらーをじゆうにーとーびたーいなーって。ちょっと怖そうだよね。余ったお饅頭をこっそりポケットに直していたら、ホークスが少し思案顔をして、それから思いついたようにポン、と手を叩いた。

「じゃあ磨ちゃん、飛んでみる?」
「……んえ、飛ぶ?」
「そう、俺と一緒に。結構気持ちいいよ」
「え〜」
「校長、磨ちゃんお借りしていいですか」
「え、ちょっと」
「次の授業には間に合うようにお願いするのさ!」
「了解っす〜」

 私置いてけぼりで許可が出てしまった。窓に近付いたホークスが、ガラ、と大きく窓を開けた。え、まじ?

「本気?」
「飛んでみたいんでしょ?」
「まあ……」
「じゃ、ほら。おいで」
「う」

 窓枠に乗ったホークスが、私に手を差し伸べてくる。うわ、アラジンみたい。

「……僕を信じろって言って」
「? 僕を信じろ」
「ふふふ、うん、じゃ、行ってみよっかな」

 差し出された手に手を重ねると、ぐっと引き寄せられて、ホークスに抱えられた。ふわ、と浮かぶ感覚。校長とオールマイトが窓の近くに寄ってこっちを見てるので手を振ると、振り返してくれたのが遠くに見えた。

「うえ、ま、はやいはやい」
「ハハ、そんなにスピード出してないよ」
「いや、まって、ちょっとやっぱりこわいって」
「あら、そーですか?」

 密着したところは暖かいけれど、空は結構寒い。ただでさえ寒い季節だもん。うわ、下見れない。羽ばたきの音と、かすかに感じるホークスの吐息。それから、風の反発が凄い。ねえ私の前髪どーなってる? これ。崩れるところじゃない気がするんだけど。

「……ねえ、下見れない、こわい、さむい」
「寒い? じゃ、もっとくっつこうか」
「言い方卑猥〜!」
「ハッハッハ」
「ハハハじゃなくて、ぇえ!」

 ホークスが急にちょっと下降したから、タワテラ状態になった。いや、こわいんだって。今の私には個性があるから、この高さから落ちても個性を駆使すれば普通に助かるけれど、それとこれとはまた別だ。ひい、とホークスにきつく抱き着くと、潜めた笑い声が耳に届いた。

「……なんでわらうの」
「いや、いやいや、磨ちゃんがかわいくて」
「バカにしてるじゃん」
「してないしてない。本気でかわいいって」
「ぶう」

 むすくれると、耳元でホークスの喉がクッと鳴った。どこへ向かってるのかは分からないけれど、進む速度はわりとゆっくりだ。高度も、普段ホークスが飛んでいるような高さではないだろう。そりゃそう。飛翔個性みたいな身体の作りをしていないから、急に上昇されたら普通に気圧でやられてしまう。そうして、ゆっくりゆっくり、空を飛んでいるうちに、段々と慣れてきた。しっかり抱えられているし、この腕は私を落とさないだろうな、っていう、謎の安心? 信頼? が出てきた。安心を感じると眠気が出るのはこの女、緩名ー磨。レッドカーペットのキャッチコピーか?

「磨ちゃん、怖くないから見てみなよ」
「ん……わあ」
「ね、結構いいもんでしょ」

 おそるおそる、顔を下に向けると、立ち並ぶ街並みが見下ろせた。すごい。雄英は山の上に立っているから、そこから飛び立ったおかげか、街が一望できる。まだ昼間だけど、見渡す限りの街並みはため息が出るほど壮観だった。

「……夜ならもっと綺麗そう」
「おっと、そりゃ夜にもこうしてデートしたいってお誘い?」
「ちがいまーす。ただの感想だし」
「っと、一回降りようか」
「うん?」

 トン、と降り立ったのは、多分テレビ塔の上の方。うわ、ここの方が怖い。風が吹いたらぐらつくんだけど。ひゃあ、とホークスにしがみつくと腰に腕が回されて引き寄せられる。命綱〜。ボサボサに乱れた髪を、ホークスが手ぐしで整えてくれた。今自分の命助けるのに両手塞がってるから助かる。

「……磨ちゃん、最近ジーニストさんとどうです?」
「え? ……ジーニスト? なんで?」
「いや、仲良いって聞いたんで」
「ええ〜……別に、仲良いとかではないけど……ま、普通だよ。あの人もなんか、いろいろと大変そうだし」

 そんなに連絡を取るわけじゃないけど、たまにたわいも無い内容のメッセージを送りあって何かあれば報告するくらいだろうか。職場体験でも、神野の件でも……昔のことでも、お世話になったし。

「あ、あの人さあ、なんかやたら貢物贈ってこようとすんの」
「ヘー、いいじゃん」
「よくないの! 高いものばっかだし……ありがたいけどさあ」

 定期的に謎にサイズピッタリのセンスのいい洋服とか、マフラーとか手袋の小物類とか、みんなでお食べなさい、って高級なラスクとか果物とか。たまに爆豪にも、と贈ってくるから爆豪くんも一方的に貢がれんのは癪に触るらしくキレていた。私のこと孫かなんかだとでも思ってんのかな。

「あれやめさせてよ〜」
「まァ、貢ぎたくなる気持ちはわかるんでね……」
「ええ〜」

 貢がれるのは好きだけど、不相応な物にはいつか対価がくるって知ってるからあんまりなんか……あれなんだよねえ。なんかあれ。うん、言い表せないけど、なんかあれなのだ。まあ物はいいので貰うし使うけど。

「……磨ちゃんは、」
「ん?」

 ホークスを掴んだまま、ぼーっと街を見下ろしていると、少し上から声が降ってきたけれど、びゅうびゅうと吹く風の音でかき消されて聞こえなかった。ん、結構風が強くなってきたな。そろそろ戻りたいかも。

「なに?」

 見上げると、いつもはヘラヘラとしている唇がキュッと真一文字に結ばれていて、鋭い目はどこを見ているのか、問いかけているはずなのに私に焦点が合ってはいない。ホークスらしくない不安定なその表情が少し怖くなって頬に手を伸ばせば、虚ろな瞳が私を見た。

「ヒーローのこと、憎くなったりせんと」

 今度は、風の音に消されずに聞き取れた言葉。思いがけないそれに、思わず目を見開いた。
 ヒーローのこと、憎くないのか。って。そんなの。

「憎む理由がないよ」
「え?」
「だって、私ヒーローになにかされたわけじゃないし。今回のことも、むしろ助けられた……は違うかもだけど、神野でも、私はヒーローに助けられてるし」

 私自身がヒーローに傷付けられたわけでもない。私を傷付けたのは、まず間違いなく、敵だ。だから、加害してきた相手に憎悪が向くことこそあるかもしれないけれど、助けてくれたヒーローに何かがあるわけでもない。そこらへんの分別は付いてるし。ホークスが言いたいのは、多分そっちじゃないんだろうけど。

「……お母さんのこと、気にしてる?」

 そう聞くと、ハッと目を見開いた。ホークスの様子、おかしかったからなあ。今の問いも、無意識に零れてしまったのかもしれない。若きNo.2ヒーローも、いろいろとあるんだろう。

「ごめん、俺、」
「や、いいんだけど……うん、そうだよねえ」

 時期的に、ホークスがヒーローになったのはお母さんの殉職後だけど。気にはなるのかもしれない。……福岡でのも、ホークスが呼ばなければ私があの場にいることはなかったから、負い目、とかだろうか。

「多分、世の中が思うほど私、お母さんと不仲だったわけじゃないんだよね」

 スキャンダルや悲劇を狙っているのか、未だにどこからか母と私の捏造記事が湧いては潰されて消えていっているけれど。ネグレクト……は、まあアキネーターなら部分的にそうみたいな感じではあるけど、虐待されてたわけじゃないし、見捨てられたわけでもない。あと、私の精神は一度大人を経験してるから、ってのもあるけど。説明が難しいな。

「あー……うん、安心してよ。私、ヒーロー憎むことって、今のところないし」
「今のところなん」
「ふふ、そりゃ先のことはわかんないから」
「……そっか」
「お」

 ぽすん、とホークスの頭が私の肩に乗った。ハア〜……とクソデカため息が落とされる。心配もあったのかなあ。背中に腕を回して、羽根の付け根あたりをポンポンと撫でた。手の甲にそよそよと羽が触れて、少しくすぐったい。小さく笑いを零すと、腰から背中にホークスの手が登ってきて、そのままきゅっと抱き締められた。うーん、大人とは言え22歳。22歳なんて、まだまだ悩むことの多い年齢だよなあ。甘え上手に見えるけど、実際のホークスって甘え下手そうだし。なんか、勝手な印象だけど、いろいろ抱え込みそうにも見える。結論、よくわからんけど大変なんだろうな。

「……磨ちゃん、やっぱ声かわいかね」
「いや急になにぃ」
「髪ちょっと跳ねてんのもかわいい」
「ええ」
「もう、本気で結婚しよ……」
「こら、淫行」
「まだなんもしとらんし」
「まだて」

 手を出したらガチ淫行No.2ヒーローになっちゃう。ほらほら、と背中を叩くと、名残惜しげにゆっくりと離れていく。あ、待って、流石に完全に離れるのは無理。今どこいると思う? テレビ塔の上なんだよね、まだ。揺れる。
 そろそろ帰ろうか、の声と共に、横抱きにされてバサッと飛び立った。あ、雄英あんなとこに。結構近いじゃん。五分もかからずに雄英の屋上、立ち入り禁止ではないけど人はほぼこない場所へ下ろされる。あー、やっと地上。安定感が違うね。地面最高。

「磨ちゃん」
「んー?」

 ぐーっと伸びをしていたら、ホークスに名前を呼ばれて振り返る。わ、思ったより近くにいた。びっくり。目を丸くして見上げると、鷹みたいな目がふにゃと緩んで、ホークスが少しだけ屈んだ。額にかかる髪をそっと持ち上げられ、柔らかいものが触れる感触。パチン、と耳の近くで金属音が鳴った。

「またね」

 ……淫行〜!
 金属音の正体が、羽をもしたヘアクリップが付けられた音だと気付いたのは、ホークスが飛び立って暫くしてからだった。




PREVNEXT

- ナノ -