155



「あれ、磨そんなアクセしてたっけ」

 隣で買ったお弁当を食べていた三奈が、何気なく私の頭を見た。視線の先、さっき一度外して確認したけれど、鈍いゴールドの、羽型のバレッタだ。最近こういうの結構流行ってるよね。跳ね出した毛先は、抑えがあるからか少しだけ大人しくなった。にしても、さすが三奈。よく見ている。

「ん〜? うん、ちょっとね」

 なんとなく視線から隠すようにそのバレッタを手で抑えた。外の寒さで冷やされたせいで、金属の冷たさが伝わってくる。三奈と透が、目を見合わせた。

「……ラブの予感!?」
「だれ!? だれ!? だれ!? 私たちの知ってる人!?」
「あっはっは」
「今までにない誤魔化し方〜!」

 さすが常に恋バナアンテナマックスの女子高生達だ。ラブ、ではないと思うけれど。ホークスの私に向ける感情、あれはどちらかというと、うーん。憐れみ、同情、罪悪感、から生じる親愛……とか、そういうものじゃないかなあ。まあ、額へのキスの意味はわからないけれど。

「気になる〜っ!」
「磨が……ハア……磨が教えてくれなかったら……」
「おっ、どーなんの?」
「脱ぐ」
「いいじゃん」
「うそうそうそ! 磨はアタシが公衆の面前で脱いでもいいの!?」
「あ、どうぞ……他人のフリするんで……」
「磨〜!」
「私もちょっと距離取るかも!」
「葉隠〜!!」

 どんな脅しだよ、と笑うと同時に峰田くんいなくてよかったね、となった。まあ峰田くんいたらそもそもこんな脅しはしてこないだろうけど。

「っていうか貰い物だよね? リアルに誰?」
「ん〜……」

 透と戯れていた三奈が、バッ、とこっちに向き直った。どうなんだろう、たぶん隠してはなさそうだけど。まあ……いいか。口止めされなかったってことは他言しても問題ないってことだし。

「ホークスがね」
「「ホークス!?」」
「声デカ」

 そう、ホークス。三、四限と私が不在だったし、先の事件からまだそんなに経っていないこともあって、なんで雄英にいたのかは言わずとも分かってくれると思う。まあ二人にとっての問題は、ホークスが、私に、なんの意図で、自分を想起させるようなアクセを贈ったのか、ってことだろう。なんせ女子高生なので。そう、女子高生だから、さすがに額とはいえ、完全に触れた唇については、もの思いすることもある。キス、キスなあ。唇じゃなければいいんだろうか。外国でもないし、生娘ぶるつもりもないけれど、流石にちょっとは意識するよねえ。本当に、どういうつもりなんだろう。

「……なんかあった?」
「ん?」

 ぢゅー、とパックからジュースを吸い上げながらちょいちょいと前髪の下、もう熱の余韻を引き摺っていない箇所に触れていると、さっきまでの興味津々、な顔から、真剣な顔付きになった三奈に尋ねられた。変な顔してたかなあ。あったといえばあったし、なかったといえばなかった。

「……いや、校長室からおまんじゅうパクってきたなって」
「出して」
「ジャンプして」
「俺らのもある?」
「小銭じゃないから音ならんし」

 あえて誤魔化した返答をすると、三奈も透も、それから教室にいつの間にか戻ってきてた瀬呂くん達にも集られた。あるけどさ。



「やっべ俺の小テ死んでるんだけど」
「元からだろ」
「アタシもやばいー!」
「三奈もいつもやばいじゃん」
「助けて磨大明神さま……」
「あ、パスで」
「卑怯者ー!」

 放課後の共有スペースはそれなりに賑やかだ。課題を個人でやるか、みんなでわいわいやるかは結構タイプが分かれるけれど、三奈や上鳴くんは個人だとたまに行き詰まるらしく、結果共スペで勉強会みたいになることも多い。今日も半ば無理やりな講師役の爆豪くんキレ散らかさせている。うるせ〜。多分もう少ししたらキレすぎて一周回って凪豪くんになるし、それを超えたら超レアな憐れみ豪くんになるのだ。その前に百や飯田くんを呼び出しとこ。

「む」

 ぐりぐりと額の真ん中を押しながら二人を呼ぼうかとアプリを開いたら、ジャストなうでメッセージ受信した。瀬呂くんだ。対角線上の真向かいに座っているとはいえ、声の聞こえる距離なのに、こうやってわざわざトークアプリで飛ばしてくることが稀にある。チラ、と目線を送ると、あっちも私を見て、少しだけ口角を上げた。小テストどうだったん、と聞かれるのに、天才なので、とスタンプで返した。

『俺も今回よかったぜ』
『めずら!』
『ほらやれば出来るタイプだから』
『えらみざわじゃん。爆豪くん手伝ってあげたら?』
『大変残念ながら俺では力及ばず、、』
「ふふ」

 プリンの犬が尻を見せているスタンプが送られてきて、毎度ながら瀬呂くんとこれ系スタンプのギャップに笑ってしまう。シャーペンの腹(ノックする方)で爆豪くんに頬を抉られている三奈を横目に、クラスのグループに爆豪くんがキレそう、と送っておいた。勉強を教える度にマジギレしかけてるのウケるよね。Study Equal Mazigireだ。
 目にかかる髪を払って、おでこをかいた。かゆい。それから、すぐに向かう! という飯田くんと緑谷くんに、緑谷くんは来ない方がいいんじゃないかなあ、と思いながらも放置して顔を上げると、瀬呂くんからの視線に気付いた。

『課題しろ〜』
『緩名こそ教えてやれば』
『だるいっす』
『あーね』

 気分が乗った時しか教えたくないよね。ウガーッ! となるので。そうこうしていると、飯田くんと緑谷くんと轟くんまでぽわぽわしながら降りてきた。一緒に勉強してたのかな。

「あ、ヘルプきたよ。よかったね爆豪くん」
「クソナードの助けなんざいらねェんだよ俺ァ……!」
「ええ」
「謎の意地じゃん」
「ハハ、かっちゃんらしいや……」
「助かるー!」

 爆豪くんの緑谷くんへの反発は未だに根強いらしい。爆豪くんらしいや。ひゅぽん、と通知音こそならないものの、開きっぱなしだったスマホに新しいメッセージが。

『ホークスにさ』
『うん?』

 急なホークス。なんだろ、意外と瀬呂くんもホークスに憧れとかあるタイプなのかな。なにか聞きたいことでもあるんだろうか。空中戦……個性柄出来なくはないだろうけど、またベクトルが違う気がする。ホークス、と名前が出るとどうしても数時間前の出来事を思い出してしまって、指の腹でくるくると熱の触れた跡をなぞる。

『チューでもされた?』
「……ハッ!? ……あ」

 ポップアップに表示された文字に、思わず声を上げてしまった。当然、なにごと、とでも言うように視線を集める。

「なに、磨どしたの」
「どうした〜?」
「や、なんでもない」
「なに、磨どしたの」
「いや同じセリフやめい」

 三奈が私の膝に顎を乗せて真顔で見つめてこようとする。恋バナの気配を敏感に察知してる。同じことをしようとした上鳴くんは無言で払い除けた。また続いてポコポコと通知がくる。瀬呂くんの顔は、俯いてて見えなかった。

『ビンゴだ』
『なあ』
『ホークスのこと好きなの?』

 そういうわけじゃないけど。嫌いじゃない、それだけだ。パチン、と合った瀬呂くんの真っ黒な目は、やっぱり何を考えてるのか分からなかった。



「どうかと思うよ、瀬呂くんは」
「そりゃ私もどうかと思うよ……」

 トップヒーローが未成年仮免ヒーローの額にキス! は、写真とかに残っていたらまあまあ燃えそうだ。未成年だからね。見上げると、冬の濃紺の空にチカチカといくつも輝く星が見えた。星の見え方は前世とそう変わらないなあ。は、と吐き出した息が白くて、昼間は比較的あったかかったのに、夜はもう12月を感じさせる寒さだ。はー、と長く息を吐き出して白く染めると、立ったままの瀬呂くんも真似をして同じように息を吐いた。真っ白。

「これ、空気汚いから白くなるらしいよ」
「マジで?」
「や、真偽は知らないけど」
「知らんのかい」

 眉唾物だ。知らないけどそうなんじゃない? 手に持ったマグカップの中身が冷えてしまう前に、ずず、と音を立てた。あち。落とさないように両手で包んで、膝の上にぽんと置く。

「熱そうね」
「うん、あついわ」
「はは、ちゃんとふーふーしろよ」

 寮の前の階段は、こうやって秘密……ってほどでもないけど、こっそり話したい時にちょうどいい。

「で」
「で?」
「どーなん、ホークスは」
「ああ……」

 もう終わったかと思ってた。まだ続いてたんだ。

「べつに、どうもこうもないけどなあ」
「キスさせといて?」
「……おでこだし」

 私からして! って強請ったわけでもない。ジロ、と睨むと、鼻を鳴らして瀬呂くんが笑った。
 言われた通りに、ふーふーと息をふきかけて熱くて甘い液体を冷ましていると、目の端で骨張った手のひらがギュ、と握り締められたのが見えた。見上げると、瀬呂くんはジッと私を見下ろしていて、少しだけ居心地が悪い。

「なに、」
「俺でも、させてくれんの? それ」
「え?」
「キス」
「……は?」

 またなんの冗談を、と言おうとして、潤したはずの喉が急に渇いた。あんまりにも、真剣な目をされたから。息を飲む音が聞こえて、瀬呂くんがゆっくりと隣に腰を下ろした。細長い指が、髪に触れて。頬を滑る、親指の感触。暗い中でも、緊張にか強張った顔が、赤みを帯びているのが分かった。触れてしまうんだろうか。嫌なわけではないけれど、少しだけ、惜しいな、と思った。……一度そうなってしまうと、もう戻れないから。
 どれだけ見つめあっていたか、思ったよりも短かったかもしれないし、想像以上に長かったかもしれない。でも、ふ、と空気が緩んで、頬を支える手が離れていった。お手上げ、のように、パッと手が上げられる。

「なーんてな」
「ん」
「悪い、冗談」
「んん」

 冗談、ねえ。冗談なら、冗談でいいんだけど。私のこと好きなの? って、聞いてあげたら、それはそれで簡単だ。……親愛か、友愛、恋愛の、どれかまではわからないけど、ここまでされて向けられている好意に気付かないほど鈍感でもない。と思う。たまに自信はない。
 じいっと、今度は私が見つめる番だった。瀬呂くんが、気まずそうにう、と息を詰める。

「ごめん、ごめん、悪かったって」
「ふふふ」
「……あー、もー、緩名相手だと、なんっか格好つかないんだよな」

 ハア、と今度こそ大きい溜め息。それから、瀬呂くんが頭を抱えた。おお、悩め悩め青少年。

「……俺、かっこ悪ィ」
「ふふふ」
「……笑うな」
「あっはっは」

 ただ、瀬呂くんがこうやって誤魔化してくれるから。もう少しだけ、気付かないフリをしていようと、心地好いこの距離を、楽しませて欲しいと思った。



PREVNEXT

- ナノ -