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 薄曇りの空に、猫の爪みたいな三日月がぽっかりと浮かんでいた。

「寒くねぇか」
「うん、へーき」
「そうか」

 寮への帰路、を少し外れた、人気の少ない散歩道。雄英の敷地は広大なので、ランニングコースとか、公園のような広場とか、学園系乙女ゲーかアイドルプロデュースアプリでしか見ないような噴水まであったりする。体育館にはほど近いけれど、本校舎や寮からは少し離れて奥まった場所にあるので、内緒話にはもってこいだ。ベンチに腰掛けると、太ももにひんやりと木の冷たさを感じる。

「……」
「……」

 隣に並んで座った轟くんを見ると、私から見えるアイスブルーは、どこか遠くを眺めていた。黄昏てる、って感じよりも、縁側で呆けてるような、どちらかと言うとそんな感じ。
 雄英に戻ってきてから四日の、放課後。つまり、私が轟くんに荼毘を重ねてから、四日経った。……正直、気まずかったのは最初くらいで、クラス対抗戦の時に壁をぶちこわしに行ってから以降は、こう、まあ普通に接していれるんだけど。それでも、ベンチで並んでいる距離は、以前より、ほんの少しだけ、離れている気も、してしまう。んー、仲違いしてるわけじゃないんだけどな。……難しいな。とはいえ、黙り込んでいたって、なにかが進むわけではない。今日の目的は、轟くんと仲直り、いや、前よりもっとスペシャルフレンズになろう、だ。口内にちょっとだけ溜まった唾液を飲み込んで、口を開いた。

「なにかある?」
「……ああ、いや。なんか、腹減る匂いしねェか」
「んえ? ……ほんとだ?」

 くん、と鼻を鳴らすと、たしかにどこかで焚き火の匂い。焦げくさい、とまではいかないけれど、落ち葉の焼ける匂いだ。それから、ちょっと甘い……ん、これ、焼き芋だな。どっかで誰かが焼き芋を焼いてる。多分。まじか、雄英。たしかに木も多いし水辺もあるけど、まじか、雄英。

「焼き芋?」
「ぽいな」
「学校敷地内で焼き芋焼くんだ……」

 っていうか轟くん焼き芋に気を取られてたんだ……。ほんの少しでも緊張してた私、滑稽か? 焼き芋に負けてしまった。そら芋は美味いからな。

「……お腹すいてるの?」
「かもな」
「轟くん前よりさらに食べるもんね、最近」
「緩名は食わなさすぎじゃねえか?」
「そんなことはない。ふつうふつう、平均だよ」

 轟くん、成長期なんだろうか。成長期だな。入学当初より、縦にも伸びてるし筋肉もさらに付いている。わりと元々出来上がっていたけれど、ますます仕上がってるなあ。

「八百万とか食うだろ」
「百は個性の性質上だもん」
「……手首とか、細すぎねえか」
「っ、」

 伸びてきた轟くんの手が、そっと私の手首に触れる。怖いわけじゃない。けど、あの日を思い出して、一瞬反応に困った。接触が急なんだもん。少しだけ、眉尻を下げた轟くんが、それでもやんわりと手首に長い指を回した。整った顔に、ちょっとだけ不似合いな骨張った固い指。

「……怖ェか」
「ううん」

 怖くはない。だって、緑がかった青の左瞳は、たしかに私を燃やした男と色彩は同じだけど、荼毘ではなく轟くんだ。あの時は、薬や熱の影響で頭が回っていなかったから、ちょっとおかしくなっていただけで。色こそ似ていても、そこに灯る炎の色は、全く違っているのを私は知っている。

「怖くないよ」
「……うん」

 掴まれた右手を動かして、一回りも大きい手と繋いだ。緩く力を入れると、少し強め、ほんの少し痛いくらいに、握り返された。頬を撫でる風は冷たいのに、触れているところだけ、じっとりと汗が滲んだ。イケメンに手汗を擦り付けていることにもなんか罪悪感が湧いてくる。

「ごめんね」

 その言葉に、轟くんの目がキュウ、と猫の様に細まった。

「えっ、ぐえ」

 はあ、と息を吐いた身体が脱力して、手は繋がれたまま、一気に私に凭れかかってきた。上背も筋肉もある轟くんは、普通にかなり重たい。座ってなかったらぺしゃりといきそうなくらい。

「まって、おも、」
「怒ったわけじゃねえんだ」
「え、……あ、うん」

 続けるんだ。このまま。話を。私潰れそうなんだけど。肩に頭コツン、くらいのかわいい感じならわかるんだけど、こんなダイナミックにのしかかられるのは想像出来なかったな。少女漫画的な慎ましさが全くない。かなりぐいぐい来られている。

「怒ったわけじゃねえ、けど」
「うん」
「悲しくなかった……わけでもねえけど、」
「うん」
「……なんだろうな?」
「……うん?」

 私が今見えるのは、間近に迫った首筋くらいだけれど、轟くんが首を傾げたのが気配でわかった。わかる、言語化って難しいよね。言葉を探してるんだろうな、っていうのはわかる。

「……寂しかった?」
「……そうだな。それもあるかもしれねえ」
「うん」
「アイツに……荼毘に、抱えられてるおまえを見た時。頭が真っ白になったんだ」
「うん」

 それは多分、いろんな人に、めちゃくちゃ心配をかけただろうな、っていう自覚はある。轟くんなんて、肉親のエンデヴァーさんに続いて私の惨状だ。頭が真っ白にも、そりゃあなる。

「だから、寮でおまえを見た時、安心した」
「うん」
「……俺を見て、蒼褪めた時はそりゃあ、ショックだったけどな」
「ん、」
「けど、それ以上に、おまえをそんな目に合わせた荼毘に怒りが湧いたんだ」

 目の前にある、浮き出た喉仏が、ゆっくりと上下した。死にかけた友達にフラバされたら、嫌だよなあ。

「……親父にもな」

 それは巻き込み事故である。たしかにあの場にはいたけれど、エンデヴァーさんだってめちゃくちゃ活躍したし、私の怪我は敵、それから私自身の責任だし。関係改善の兆しは見えているといえど、やっぱり仲良しとかではないらしい。轟くんらしいや。

「……あと、先生とか、爆豪とかには頼ってんのも、腹立った」

 なるほど。ゆっくりと轟くんが、ほぼ45度くらい傾いていた身体を起こしていくのに合わせて、私もしっかり座り直す。ちょっと腰が痛い。やっと向き合えた轟くんは、相変わらず表情は薄いけれど、以前よりもずっと感情が出るようになった顔に、拗ねたような様子を浮かべていた。

「怒ってんじゃん」
「……ああ、たしかに。そうかもしれねえ」

 怒ってる、というより拗ねている、かな。でも、私の状態が普通ではなかったのは分かっているし、自分の中での落とし所もなくて戸惑った、って感じだろうか。
 思えば、入学して以来、ここまで饒舌に自分の心情を話す轟くんは、初めてかもしれない。いっぱいいっぱいだったとはいえ、轟くんの心に傷を残す行為をしてしまった罪悪感はあるんだけど、正直、こうやって思ったことを素直に伝えてくれるのを、少し嬉しく思ってしまう。だって、なんか仲良くなれたような、そんな気がするんだもん。

「思ったんだが」
「ん? うん」
「俺は緩名に、頼って欲しいのかもしれねえ」
「……なるほど」

 なるほど。轟くんは私に、頼って欲しいのか。……なるほど? わりと頼っているような気もするんだけど、今以上に、ってことだろうか。微妙に察しが悪くてごめん。

「俺もおまえも、ヒーローになる。だから、怪我すんなとか、そういうことを言いたいわけじゃない。……が、……そうだな」
「ん」

 轟くんの手が、制服の上から私の二の腕掴んだ。自身の中で答えを探すように伏せていたまぶたが、ハッと持ち上がって、オッドアイの目が強く私を見た。

「緩名の一番になりてえ」

 ……え? それは、告白と言うんでは。告げられた言葉に、シン、と一瞬、時が止まった。



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