【背中に、黒。】09(10/16)
あの後駆け付けた教師に事情を説明し、その場を後にしたシンマは、未だに先程見たものを受け入れられずに居た。
「マジか、初めて見た……」
屋上へと続く階段で隠れるように腰を下ろして、今更バクバクと喧しく感じる鼓動と共に思考の整理を始めた。
シンマが見た衣服の下のタカミの背中には、『刺青』が刻まれていたのだ。
漫画や任侠物で見るような、目を張る黒い龍だった。シャツの柄かと勘違いする程鮮やかな黒一色で鱗一枚一枚も細かく描かれた、思わず目を奪われる美しさを秘めたものが、恐らく腰辺りから項(うなじ)までまるで上っていくように生き生きと描かれていたのだ。
「……ああ、だからか」
この事で、漸くシンマの中で引っ掛かっていた事が繋がった。
日直の時にタカミの背に回った時の視線、暑い中一人だけ長袖で授業を受けている事、そして一人外れるように影に居た事、そしてさっき「シャツの下に何かある」だなんて直球的質問は、完全にタカミの図星を突いたものだったのだ。
――なんであんなのがあんだろう。
不思議とシンマが思ったのはそれがある理由だった。
恐怖は一切感じず、かと言って今までのあの態度に対する怒りも無い。純粋に好奇心が沸々と湧いて来たのだ。
「変なの」
一方タカミはというと、出来るだけ背中を隠しながら教室へ戻り鞄を取るなり早々に学校を後にした。
もしもの為に薄手のパーカーを鞄に入れてある為それを羽織り、早足で帰路を歩く。
「初めてこんな事で早退した」とイラつきながら歩くタカミの顔は変に強張り、擦れ違う通行人が思わず驚き避けてしまう程だった。
「見られた……アイツに、コレを、見られた」
無事家に着き自室に足を踏み入れた途端、漸くシンマに背中の刺青を見られた事実を受け止める。
――見られた、見られた、見られた、見られた、見られた。よりによって、アイツに、一番見られたくないアイツに、見られた。
髪を掻き毟るように頭を抱え、その場に蹲り唸る。
「どうする、口外されたら、家の事が公になる」
「――それは寧ろ都合が良いじゃねぇか」
「っ!?」
どうするか脳をフル回転させて思考錯誤していると、不意に後ろから少ししゃがれたに声を掛けられる。
「こんな時間に帰って来るたぁ、何か遭ったかと思って来て見れば……遂に見られたか」
「お爺様っ……」
勢い良く振り向けばそこにはタカミの祖父が風格ある佇まいでタカミを見下ろしていた。
「何が遭ったかは知らねぇが、これでお前の通う学校に圧力を掛けやすくなる」
「なっ……俺は、そんなの望んでいない。それに、入学する際言った筈です。跡を継ぐ代わりに、俺の私生活に一切足を踏み入れないと」
「ああ言ったさ、俺もそれを誓った……だがそれが今、『お前』の不注意で、崩れそうになっているわけだ? お前の証であるその美しい黒龍が、時に足枷にもなる」
「っ……」
「扱いに注意しろと、背中に刻んだ時に言ったはずだ」
「『刻まれた』が、正しいですね」
「ハハハッ! 確かにそうだ。お前の意思等、関係無いからな」
背中に刻まれた時の痛みが、つい先程の事のように思い出せる程、タカミは背中の刺青に恨みを抱いている。
タカミの背中の刺青は、物心が付き始めた頃に刻まれたもので、幼かったタカミにとってそれは恐怖でしかなく、痛みで失神した程だ。
その刺青を有無を言わさず強制的に刻むよう指示したのは、他でもない家のトップである祖父だった。
父は婿養子で、自分の父である前にトップである祖父の部下である。上の命令は絶対で、泣き叫ぶタカミに父は手を差し伸べず、失神して刺青を刻まれる様を最後まで見ていたのだ。
唯一の心の支えであった母は、病弱故に刺青を刻まれる前に他界してしまい、タカミの家に女性は居なかった。
「――それで、家の者以外に決して見られない、お前の背中を見る事が出来た『幸運な奴』は、誰だ? 必要なら部下を貸してやらんでもない」
祖父のその言葉にタカミの顔が強張る。
シンマの事が祖父に知られたら、何をされるかわかったものではない。
過程はどうあれ、自分の不注意が招いた結果だ。祖父とシンマを接触させる事はどうしても避けたかった。
「必要ありません。これは自分のミスです。自分で片付ける事が、お爺様の望む事でしょう」
「さすが俺の跡取りだ」
すぐさま思考を巡らせ、祖父が納得する返答をすれば案の定祖父は満足したように笑い、「なるべく早く片付けろ」とだけ言って部屋を後にした。
――何が『幸運な奴』だ。
祖父の言葉を思い出しタカミが眉を顰める。
恐らく喧嘩を見ていた野次馬には見えていないはずだ。例え見えていたとしても、黒のインナーと見間違うはず。しっかりと見たのはシンマだけだ、逃げて行った彼はこちらに背を向けていたわけだし。
「……『不幸な奴』はアイツだけか」
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