【背中に、黒。】06(7/16)
心配はどうやら杞憂だったようで、タカミは一先ず撮ったデータを保存してその場から立ち去ろうとした。
「――おい」
「……まだ何かあるのか。そろそろ昼休みも終わるんだぞ」
不意に呼び止められて怪訝に振り向くと、シンマがバツが悪そうに頬を掻いて続けた。
「朝の事だけど……こっちこそ悪かった。事情はわかんねぇけど、怒らせる気は無ぇよ」
「……」
一瞬己の耳を疑ったタカミは暫く思考を巡らせ、一つ頷いて改めてシンマを見やった。
「お前の口から謝罪の言葉を聞く日が来るとは思わなかったな……こんなにも気色悪いものなんだな」
「お前ちょっと面貸せよクソ真面目」
タカミからすれば純粋に思った事を言葉にしただけだが、シンマの気に障るのは予測出来た。案の定青筋を浮かべて拳を握るシンマはというと、先程の躊躇いはどこへやら。完全に殴る体勢を取っていた。
そんなシンマにタカミは呆れたように肩を竦めた。
「もう一度言うが、そろそろ昼休みが終わる。お前の腹癒せ如きで単位を落としたくないんだが」
「チッ……やっぱりウッセエじゃん。口も」
「どういう意味だ」
少し眉を顰めた後、妙に納得したように言うシンマの言葉にタカミが疑問符は無いものの問い掛ける。挑発ではないが、気を良くしたシンマがニヤニヤと笑ってタカミを指差した。
「なんだっけ? 目は口ほどにものを言うってやつだ。アンタはそれがピッタリだ」
「良かったじゃないか。具体的に表現出来る言葉を知っていて」
「……言うんじゃなかった」
「ああ、それが賢明だな」
さすが秀才というだけあって言葉ではどうにもシンマの方が劣勢だ。勿論シンマも成績は悪くないがそれ以上に頭の良いタカミに『言葉で』勝つには知識が乏しかった。
ちょっとでも得意気に話した己を全力でぶん殴ってやりたい気持ちを静めて、新しいガムを口に放り込んで教室へと足を向けた。
「――問いたい事が一つある」
「ああ?」
クラスが同じなので必然的に同じ方向を歩くが、少し距離を取って廊下を歩くシンマとタカミ。特に気まずいというわけでもなかったのだが、タカミはなぜかシンマに話し掛けていた。
自分でも内心戸惑いつつも、不審に思われない為タカミは続けた。
「先程の喧嘩……まあ一方的だったが、なぜ反撃しなかった? 普段のお前なら手や足なんてとっくに出ているだろう」
一種の平常心を保つ為、嫌味を込めつつ問えば、シンマは一瞬眉を顰めたもののすぐに元の表情に戻って曖昧に視線を逸らしながら口を開いた。
「必要が無いって、判断したからだな」
「……というと?」
いくら秀才なタカミでも、この返答ではすぐに意図を理解する事が出来なかった。
そんなタカミにシンマは歩きながら続ける。
「また喧嘩するって事は、オレに負けているから再度吹っ掛けてくるわけだろ。オレからすれば喧嘩は『あの時』で終わってんだ。それ以上仕掛けられようが何しようが、オレと相手以外の誰かに、オレが確実に勝ったという事実を証明出来たんなら、それ以上する必要が無いって事だ」
「ほう……意外だ。お前みたいな奴だったら、例え勝っていようがまた挑まれるなら受けるものだと思っていたが……案外現実的だな」
「どういう意味だ」
タカミの言葉にまたシンマの眉が顰められる。今度は視線をこちらに向けて、不愉快であるという事を、きちんと示していた。
「偏見の一つだ。忘れてくれ」
「あ、おい」
その顔を見たタカミはどこか安心していて、よく分からないその安心感を抱きながら先に教室に入り早々に己の席に腰を下ろした。
シンマはというと、変な質問をしてきたくせに、適当に返されたような、納得のいかないモヤモヤとしたもの胸に抱きながら横目でタカミを見つつ己の席に腰を下ろした。
「――気色悪い」
放課後、帰宅して自室でシンマはベッドに寝転がりそう呟いた。
どうもタカミの態度がいつもと違うという事に戸惑いを抱いていたのだ。
――どこで態度が変わった?
いつもならば、タカミの視線がウルサくて、気になって、それに腹が立って殴り合いになっていた。
勿論この気色悪いと思っている現在でもタカミの視線がウルサイのは変わりないが、前とは少し違う……弱々しく思えたのだ。
「……まさか、あン時じゃねぇだろうな」
ふと思い返していて唯一タカミが珍しく取り乱したあの日。タカミの背中をよく見ようとした日だ。
あの日を境に、タカミの視線の『種類』が変わったように思えた。
言葉で表すには何が相応しいのか……タカミ程語彙が少ないシンマがその種類を表すには知識が足りなかった。かといって、調べる程の事でもない。そう考えたシンマはこの気色悪い胸の感覚をどうやってスッキリさせるべきかという思考へと切り替えた。
一番の方法は「タカミに背中を見せてもらう事」だ。なんとなく気になったそこを己の目で確認すれば済む話だ。
「でも『あんなに』なるくらいだったら、無理矢理でも見る気は失せるンだよな」
改めて思い返すと鮮明に浮かぶあの時のタカミの顔。
近付いてほしくない、触れてほしくない、見られたくない、放っておいてほしい。そういう類の『拒絶』だったわけだ。
今まであんなにウルサイと思っていた視線の中で、初めて見たものだったし、初めて向けられたものだった。
「……ムカつくな」
起き上がり手を組んで徐に指を噛んで眉を顰める。
今までの事も踏まえてゆっくりと考えると、段々と腹が立ってきたのだ。
タカミの頭が良い分、平静を装ったりするのは恐らく自分よりは得意なはずだが、それがたった一瞬で乱れたわけだ。その事がなぜかシンマにとって一番腹立たしい事だったのだ。
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