02 「あ、脚……?」 一瞬、パシフィカはそれが何を意味しているのか理解が遅れた。 それ程にその脚は、突然、唐突に、なんの前触れなく、小道に横たわっていたからだ。 アスタールへと続く街道口から少し逸れているこの林で、パシフィカは人と出くわしたことがない。元々山が多く自然豊かなこの地域では、態々こんな所へ来なくても雑木林や湖など珍しくもないからだ。この場所を知っていて、今も足を運んでいるのはパシフィカや、彼女の姉や兄ぐらいだろう。ーーその点でも、パシフィカがここへ通う理由の一つだったが……それはさておき。 「ねぇ! ちょっと!」 パシフィカは急いで小道に突き出た脚の主へと駆け寄る。 小道の脇に生い茂る草むらを掻き分けると、予想した通り、人が倒れていた。 背丈はパシフィカと変わらない小柄な人物だ。 俯せになっているその肩を抱き締めるように引っ張り仰向けにさせる。パシフィカの膝の上に頭を乗せてやると、無造作に切られた長い前髪が顔から落ち、その容貌が明らかになった。 「お……男の子……?」 ーー少年だった。 パシフィカの声が困惑気味に揺れたのは、パシフィカの膝で安らかに目を閉じているその様子が、まるでおとぎ話に出てくるような、眠りの魔法に掛けられた乙女のように清廉潔白で可憐だったからである。陽光を受けて柔らかく発光しているかのような見事な銀髪が、これまたより一層この少年の中性さを際立てている。 年の頃ならば恐らくパシフィカとそれ程変わらないであろう。 「ね、ねえ? ちょっと、しっかりして!」 パシフィカは恐る恐る少年の頬を軽く叩く。 パシフィカが盛大にその脚に躓いてしまってもまったく起きる気配がない様は、パシフィカの脳内にゾッとする想像を呼び起こした。 思わず少年の肩に置いた手に力が入る。 「しっかりして! ねえ!?」 パシフィカが耳元で叫んだのが届いたのか、応えるように、少年の表情が歪み出した。 「……うーん……」 「ちょっと、大丈夫!?」 さらに駄目押しとばかりにパシフィカは少年の肩を揺さぶる。 パシフィカに見守られながら、少年は数回唸ったあと、ようやくゆっくりとその瞼を持ち上げた。 パシフィカは息を呑む。 ーー真紅の双眸。 まるで宝玉そのものを嵌め込んだような鮮やかな紅。流れ星のような繊細な華やかさと、見る者を深淵へと誘うような昏(くら)さとを併せ持つ複雑で怪奇な神秘の色。 ーー目を、反らせない。 何事にも言い表せられない衝撃が、頭の先から爪先までを駆け巡る。心臓が耳に移動してきたかのように、ドクンドクン、脈拍が五月蝿い。木々のざわめきや、鳥の囀り、日常の雑音それら全てが二人を取り残して去ってしまったかのよう。まるで世界にはパシフィカと、この少年しか存在していないかのような錯覚さえ覚える。 「…………き……」 少年の唇が僅かに動いた。 そんな動作さえもパシフィカの心を攫った。 「……綺麗……」 少年がポツリと言葉を漏らす。 その言葉はパシフィカの心の声を代弁していた。一瞬、心の中を見透かされたのかとドキリとしたが、そこでパシフィカはある事実に気付いた。 「……き……」 今度はパシフィカが唇を開く番である。 「ーーきゃああああああああ!?」 「いでっ」 ありったけの声量を放出し、出来る限りのスピードでパシフィカは後退りをした。 頭を支えていたパシフィカの太腿が消滅し、少年はそのまま地面に後頭部を激突してしまうがパシフィカはそれどころではない。 「あ、ああああっ」 それどころではない頭の中で、どこか冷静なもう一人のパシフィカが先程の状況を分析している。 ーー自分は、見ず知らずの少年に膝枕をし、あろうことか、まじまじと少年の顔を見つめていたのだ。…………あと少し首を下げれば、少年の唇に触れてしまいそうな距離感で。 「ちちち、ちち痴漢! 痴漢よ痴漢! 変態! 変態の中の変態!」 湯気が出そうな勢いで全身が熱を帯びるのを止められない。自分でも訳が分からない言い掛かりを喚きながらパシフィカは少年をビシリと指差す。 |