記憶喪失
ガラガラガラ。扉を開け、コミュ障であることをさっき自覚した俺は、最初に発する言葉を逡巡する。
「お、おじゃまします…」
「何言ってるネ。ただいまアル」
ああ、やっぱりそっちが正解だったのか。ただいま、何て言葉を記憶をなくす前は言い慣れていたのか?そんな自分は全く想像できない。
玄関を抜け、居間に入る。俺の知らない、なんか、こう、生活感みたいなものが溢れる部屋がそこにはあった。…きもちわるい。
「で、いったいどこから忘れてるんですか?」
そろりとソファに腰をかけると、その向かいに座ったメガネが尋ねてきた。オレンジ髪が隣に座ってきたことに内心ビクつきながらも、微かに残された自尊心みたいなもので顔には出さない。ことがきっと成功したと思っている。
「えーと、どこから…」
厳密に言うと、年齢が一桁代の記憶はないし正解な年齢はさっぱり分からないが十代後半らへんの記憶もすっぱり抜けてるしそこからわけ分かんかんない生物で溢れるような街になるまでの時代もさっぱりわかんないんだけどまあでもそれを聞いてないことくらいは俺でも分かる。
「あー、なんかババアに出会って、色々あって、二階に住めって言われて、寝ようとしたけど布団から出て、色々あって色々あったとこまでは覚えてる…?」
「全然事故前後じゃねえ!」
「あのヤブ医者!次会った時覚えてろヨ!!」
えーと、落ち着けお前ら?
「ていうか、お登勢さんと出会ったのは何年くらい前なんですか?」
「いや、わかんねえっていうか、知らねえっていうか」
「あ、そりゃそうですよね…」
待て待て待て待て、そんなんで落ち込むなよ。対応に困るから。
「あ!じゃあヅラのことは覚えてるアルか!?」
「え、ヅラって…、あのうざいロン毛の、うざいヅラ?」
そうか、生きてたのか。と、なると、俺の知っている人間で生存確認できている相手。ババアとヅラ。…微妙なメンツだな。
「やっぱり!桂さんのことは覚えてるんですね!」
「とりあえずヅラのところに行くネ!何か思い出すかも!」
おう。あっさり再会か。再会って言うほど時間は経ってないのかもしれないけど。俺の主観的な記憶で最後に会ったのは…それこそ十代前半くらいじゃないか?でも多分、ぼんやりとしか覚えていないが何年か一緒にいたような気がする。
***
「…またか」
よく分からないが恐らくいかがわしいタイプのバイト中のヅラが、これまでの経緯を聞いた反応は意外なものだった。
「また?またってどういうことネ」
「前にも記憶喪失になったことがあるんですか…?」
真剣な表情で詰め寄るガキどもを尻目に俺は、何だ知られていたのか、いつだろう、と呑気に考えていた。
「前にも、と言うか頻繁に、だ。最初はふざけているのかと疑ったが、銀時の言動からしてどうやら嘘ではないらしいと分かった」
頻繁に…?まあ、頻繁に、か。ただ気になるのは、俺が記憶喪失になったことをこいつに知られた経緯をさっぱり覚えていないということだ。どうやらやはり俺がなくした記憶の中で再会していたらしい。
「頻繁にって…どれくらいの頻度だったんですか?」
「そうだな。数日程度の軽いものは半年に一、二回ほど。尤も、軽度な記憶喪失じゃこいつに自覚はなかったが」
成る程。初耳だ。え、えー…。自分の脳の処理能力が本気で心配になった。
「数年単位で記憶が抜け落ちる重いものは俺が知っているだけで、三回…か」
三回…?あー、これで今四回目か。よく知ってんなこいつ。
「それで…それでっ、ちゃんとその時記憶は戻ったアルか!?」
「…銀時、俺と最後に会ったのはいつだ?」
え、俺?すっかり他人事のように会話を聞いていたため突然矛先を向けられまごつく。
「はっきり覚えている限りでは…十歳、らへん?」
「えっ?」
「そんな…だって、」
ああ、やっぱりその後にも会ってるのか。覚えてないけど。
「銀時。お前は、産まれてから俺たちと出会う頃の記憶。そして、およそ十歳から十年間分の記憶を失っているのではないか?」
え、ちょっと待て。最初は良いとして。ヅラ達と出会ったのが十歳らへんで、そこから飛んで煉獄関にいたのが二十代らへんって考えると…わ、マジだ。どうやらそうらしいな。煉獄関から抜け出してババアと出会うまでも飛んでるんだけど…まあ、そこは数年くらいだろう。で、檻から逃げ出して、飛んで、今に至る、と。
頭の中で計算する。もしかして俺の中にある記憶、三年ちょっとしかないんじゃねえの…?
それに気づいて、本気で自分の脳が心配になった。
「なあ、俺って何歳なの?」
「正確にはわからないが、二十代後半程度だろう」
二十代後半で、三年分。十分の一くらい?うわー、笑えねえ。
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