十六光

 

「……っおい、しっかりしろ! ボケっとするのは勝手だが、俺の目の前で死なれるのはゴメンだぜ!!」


 ぐっと腕を引かれて、私ははっとした。吹き荒れる風にあたりをぐるりと見回すと、数体の化生の姿。どうして神田さんが居るのだとか、男はどうなったのかとか思うことがありすぎて動けずにいると、神田さんが舌打ちをする。


「死にたいのか馬鹿が!」

「……っ、申し訳あり」

「謝る暇があるならならさっさと動け!!」

 
―――*―*―*―――




 勾が慌てることなく、ゆっくりと刀を抜きさろうとする中で弧を描いていた男の表情が彼女の動作に合わせて怯えたものへと変わっていった。恐怖でガタガタと震える膝、もれるうめき声、どれをとっても完璧だ。完璧に、弱者のもの。


「……放して下さいませんか――神田、さん」


 あくまでも目線は男の方へやったままで、勾は言う。勾の腰にさしてある刀は、彼女の思ったようにはならなかった。男の首へとあてがう前に、神田がその手首を抑え込んでしまったからだ。彼女はもどかしく思い、ぐっと腕全体に力を込めるがピクリとも動かない。


「馬鹿が、目の前に居るのはお前の言う化け物じゃない」

「分かっています、そんなことくらいは。私にもそのくらいは見えているのですが、まずは神田さん、二度目にはなりますが手を放しては下さいませんか?」

「今手を放したらお前はどうする? 頭を冷やせよ」

「手を放していただいた後に、いくらでもお教えいたします」


 おそらくは神田さんが思っている通りになるのではないでしょうか? 微苦笑すら浮かべず、無表情で淡々と言い放つ。
 嘲りに近い何かが神田の顔に浮かぶ。馬鹿なのは自分だったことくらい、勾にも分かっていた。でもそれを止めるには、理性ではなく知識が圧倒的に足りていなかった。


「なおさら放すわけにはいかなくなったな」

「それは困りました。神田さんはいつから――」

「助けて下さいッ、早くそいつを……!!」


 勾の言葉を遮って、男が尻もちをついて彼女たちから距離をとる。じりじりとじれったい時間は過ぎる。勾は神田のことを横目で見やるが、相変わらずの眉間のしわ以外は思うところが分からない。

 ――ああ。

 微かだが神田からも苛立ちと殺気を感じる。

 ――ああ、ああ。


「謀って、いたのですね」


 呟いた途端に、男は目の奥で嬉しそうに笑った。ぐらり、景色が傾いて。乱暴に揺すられる体に、はっとする。肩を掴んでいるのは神田だと認識した時から、急に大声で彼がずっと何かを怒鳴っているのが聞こえてきた。神田の声に驚き、どうしてそんなに焦っているのかと思えば、勾の横を何かがかすめていく。それは勾にとっても、良く見覚えのある討伐対象が放つ弾丸。
 あわてて上を向けば、片手では足りないほどの悪性兵器たち。事態がのみ込めるあでには、そう時間を要さない。念のために神田に何があったのかと問うと、あの男があれを呼び出したのだという答えが返ってきた。茫然としていたのは一瞬だと感じていたが、そう言いきるには多少長い時間がたっている。


「ああ……そうなのですか……」

「ボケっとするな、死にたいのか!?」

「いいえ」


 まだ、死にたくない。続けようとして、勾は言葉を止める。自分のやっていたことが無駄だった。それならば何のためにあんなことをしていたのか。そうして刹那ほどの迷いの後で「死んでしまうのもいいかもしれませんね」と彼女は神田に初めて微笑以外に、自嘲気味に笑った。
 神田は鬱陶し気な空気を増すと、舌を打つ。


「死にたがるのは勝手だが、死ぬのならこの場以外にしろ。お前を助けてやるつもりも、義理もない。だが、目の前をうろちょろされると目障りだ」


 それに、と。


「この状況で死なれると、寝覚めも悪くなる!」


 身も蓋もない言い方だが、彼女は確かにそうだと考えた。勾と神田の立場が逆だった場合、彼女も厄介事を増やしてくれるなと一蹴するだろう。神田は吐き捨てるだけ吐き捨てて、神田はアクマへと駆け出し、六幻を振るう。勾は体を捻って、『化生』を見上げると、小さく鈴の音が鳴った。
 神田の強さが如何ほどのものなのか、勾が見極める機会は無かった。彼女の知るところではない。もしかしたら、神田が負けてしまうことがあるかもしれない。四方からの攻撃に耐えながら、一人で戦うのは厳しいのではないか。ちりん、ちりんと鈴が揺れる。しかして、勾は神田が戦っているモノに対抗出来る武器を持っている。


「神田さんは、ここでは死ぬことが出来ないみたいです」


 神田の戦いが終わるくらいまでは、生きることを延長してもいいだろうか。勾は刀から放していた手を、再び柄に掛ける。そして勢いよく地を蹴りあげた。


 


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