十一光
聞き間違いだろうか、なんてありえないことを考えるような、お気楽な脳みそを生憎私は持ち合わせていなかった。加えて相手も聞き返す暇など私に与えてはくれず、
『知ってるぜ、お前らのこと。化け物退治なんて、居もしないものを相手してる嘘つきなんだろ? おれの母ちゃんもそう言ってた』
違う、という意味を込めて左右に首を振った。
『違わない! だって、今までそんなもの、見たことないもん、おれたち』
――見たことないもん。それはそうだろう。そんなものがそこかしこを闊歩している様を誰かが見たら、もうその人は普通には暮らせなくなってしまう。自分とは違う、化け物が我が物顔で人間のことを蹂躙していることを知ってしまったら、生活を営むどころの騒ぎではなくなってしまう。
だから、隠す。
隠蔽し、秘匿とするために、主戦力になる者以外で結界を張る。おぼろげながら、まだ、私にもやる気があった頃に説明されたことを思い出した。いま、それを目の前の子どもに教えてあげたとして、何になるだろうか。私のことを真っ向から否定してかかる目に、向かっていくことは出来なかった。私は真逆の思いを持ってして、相手に向かうほどの勇気も、一族を貶されてどうにか思うほどの誇りもまだ持ち合わせていなかったから。
ゆるく首を振った以外の反応を見せない私に飽きたのか、いくぞとの吐き捨てとともに、嘲りが遠のいた。私を外に出さなかった理由は、きっとこれなのだ。自分たちの行うものを馬鹿にする輩から離すために。
この場に残るか、それとも……。元の場所に帰れば、不自然に優しい待遇が待っている。この場に残れば、先ほどと同じようなことが何度もあるだろう。どちらに居た方が、私にとって"都合"がいいか、などということを考えてしまったことを恥ずべきだったのかもしれない。そうこうしている内に、いつの間にか自宅とも呼べる建物についていて。辛い、嫌だという気持ちの中で私が選んだものは、結局、腫れものに触るかのような不完全な空間だった。
ただいま、と呟くこともせずに、顔を沈めたまま玄関の扉を横にスライドさせる。なぜかそうすることが、恥ずかしいことに思えた。ガラリと扉を閉めると、目の前にすっと誰かが私の前に立つ。おそるおそる、顔を上げると負傷して、床に臥せっていたはずの影。
『おかえりなさい』
悪気なく言われたそれに、目の前が暗くなる。勢いを失くしていた何かが、急速に胸の内にこみ上げる。吐きそうだと思った時には、駆け出していて、目の端に留まった祖父の胸ぐらを掴んでいた。体が言うことを聞かないとは、こういうことをいうのか、と頭の片隅で冷静に意見をまとめるのをよそに、苛烈な激情がふつふつと私の脳内を侵食していく。吐き捨てずに止めておくはずだった言葉が口から意思に逆らって溢れだした。
どうして、こんなに意味のないことをしているのですか、と。祖父は私を馬鹿にするわけでも、罵るわけでもなく、ただただ悲しそうに眼の奥をにじませた。私は昔から、祖父が怒ったところを見たことが無い。一族の誰にも優しくあった祖父は、誰かがミスをしたとして、闇雲に責めるようなこともなく、静かに柔らかな言葉でその者を諭すだけだった。他人に怒っていいのは、本当に自分が今まで何も悪いことをしていない者だけだと言っているのを知っている。私は、それを間違っているとも、さりとて正しいことだとも思わなかった。
さすがの祖父でも、私の言葉には大きな声を上げるのではないか、などと考えていた私に、祖父がとった行動はある意味予想外だったと言える。私は祖父が作った表情をみていると、何故だか腹立たしくなり、だって……っ、と声を荒げた。
『……怪我をしてまで、しなければならないことでしょうか』
私には、そうは思えません。
それは、と続けようとする祖父の言葉を遮り、
『今日、外に出た時に、聞きました。嘘つきだ、と言われました。居ないモノを退治したりすることは出来ないから、私たちは狂人だと』
『…………』
『おじいさまたちが、どんなに血を流したところで、"あちら"は分かっていないのです。そういうものなのですか? 誰のために退治などと益にもならないことを、いつまでもやっているのでしょうか。こないだのようなことがあっても、こちらのやっていることなど、所詮は狂い事にしか見えないのです。嘲笑われてまでやるべきことなど、あるのでしょうか?』
私のやってきたことなど、棚にあげて。分かったような口を聞く。役目と遊びを混同して、怪我人まで出した私のことなど知った事かと毒を出す。もっとも忌むべきものはその心で、結局は私のことを狂人だと言った奴らと似たようなことをしていた、私に蓋をした。徐々に曇る祖父の変化に萎みそうな自分に気付かないふりをして。一族にとって、……祖父にとっての、禁句を平気で吐き出した。
『化生にでも、殺されてしまえば良いのです。のうのうと生きる奴らがいる裏で、こちらでは怪我人が出ているのですよ!? 狂人だと決めつけている奴らの影で、こちらでは死人だって出ていますよね!? それなのに……ッ!』
『……勾、疲れているんだな……、今日はもう、』
『――あんな奴ら、死んでしまえば良いのです!』
『勾ッ!!』
初めて、祖父の怒号を聞いた。バン、と強い衝撃の後に、視界がぶれる。何をされたのかを考えて、ああ、頬を打たれたのだと気が付いた。祖父でもこんなことをするのか。さきほど祖父のとった悲しそうな表情を意外だったと言ったが、祖父でも大声を上げることがあるのだということを確認したかったのかもしれない。
ふらりと祖父と目を合わせると、祖父は自身でも私にしたことに驚愕しているようで、こんなことをするつもりはなかったのだ、とその全てで語っていた。しでかしたことの大きさなど、私には分からない。けど、それは言ってはいけないことだったのだろうな、という程度。死んでしまえば良いと思っているのも、もちろん本心から。
『今日は、もう休みなさい』
声を震わせることなく、いつもの調子でいいきった祖父はやっぱり凄いのだろう。だけど、私は祖父の瞳の中に、ほんの少しの迷いを見た。それは私が言ったことを、心のどこかでは正しいと思ってしまった祖父の、自分への戒めと共に。それでも自分たちがやらなければ、化生を悠々と闊歩させるわけにはいかないのだ、とどちらへも引けぬ判断から。
それを見て、私は安心して――少しの誇らしさを感じる。こうして祖父を怒らせることが出来たのは、私だけだと。人間なのだと知って嬉しくなる。けれども、私と祖父との間に何らかの亀裂が入ってしまったのは明らかで。たとえ私が折れたとしても、それを修復することは今後不可能なのだろうと見てとることが出来るものだった。
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