02

 組織壊滅のために奔走する日々だった。
 本庁への報告、組織の任務、そしてその延長線上で始めたポアロでのアルバイト。国主導の大規模なイベントでは警備企画にも携わるなど仕事はいくらでも溢れ出てきて、休む暇もなかったように思う。苦ではなかったがひたすらに忙しない日々だった。
 だからこそ組織の掃討作戦を完了したときはたしかな達成感を得ると共に激しい虚脱感を覚えた。この数年はほとんどの時間を組織のために割いていたのだ、組織が失われれば文字通り人生の一部が失われた感覚に陥るのは仕方がない。
 だがこれからの僕はその空いた空間に公安としてまた新たな使命を据えて生きていくのだと、自身への誇りを新たにして未来を見つめていた。──はずだった。
 次の任務が下るまで束の間の休息を与えられ、僕には過去を振り返るだけの十分な時間ができた。
 公安はときに違法な捜査を行うこともある。犯罪組織に潜入して犯罪者として振舞うが故に、とくに僕はそれが顕著だった。正体を気取られるわけにはいかないから、と目の前で起こる犯罪行為を看過したことだって何度もある。
 その日々に終止符を打たなければならない。これからは裏社会で作った伝手も人脈もすべて断ち、警察として清く正しい方法を優先して選び取らなければ。そんな未来を想定したとき、僕の頭には絶望が広がっていった。
 国家の安全を脅かす情報をいち早く入手し、対策を打つ。そのために警察としてできうる限りの人脈を使う。──それらに問題はない、だが不十分だ。
 気づいてしまった、正義の側では守れないことの方が多いのだと。
 犯罪者として振舞っている間、決して罪を犯すことを良しとしていたわけではない。何度も「境界を越えてはならない」と己に言い聞かせてきた。多少の無理は押しても、倫理に背く正義などあってはならない。正義とは、公私を分けた上に公平に成り立たなければならない。そう言い聞かせていたつもりだった。だがいつの間にかとうに境界を踏み越えていた。
 気づいてしまった、僕が正義の下に行なっていたことのいくつかは、大義名分があるだけでたしかに悪の道であったのだと。
 拭い去りようのない事実と直面しなければならなかったとき、己の罪を見つめる時間を与えられた瞬間、かつての僕はとうに死んでいたことをそこでようやく知ったのだった。



 メールの送信画面を見る。末尾につけた記号に、自分でもどういた感情なのかわからない息が吐き出された。
 たった数日前までは0を添えていた。それが今は横に押しつぶされて角を生じている。デルタという名は自らつけた呼び名だった。
 呆然とその記号を眺めていればすぐに返信が届く。内容に対する返事の下には、かつての僕を倣うように0の数字が添えられていた。自分の居場所を忘れないよう心がける必要があった僕と違って、彼女がその名を使っているのを聞いたことはない。僕に忘れさせないためかと気づいて笑みが漏れる。
 境界を越えてはならない。一つ年上の彼女はそう言っていつでも気高さを忘れなかった。
 彼らも誇りある捜査官だ。僕を評価しながらも、僕に対する対抗心は燃やしていた。だがそれは自らを奮起させるためのものでしかなく、本気で僕に食らいついてくる勢いある捜査官はいなかった。国を守れるのなら仲間内で争う必要はないのだから然したる問題ではない。ただ、張り合いがないと感じていたのは事実だ。
 そんな中、彼女だけは諦めていなかった。だれよりも僕を見て、僕を評価して、負けてたまるかと食らいついてくる。そうやってギラついた視線を浴びせてくるくせに、倒れかけた僕に真っ先に肩を貸してくれるのも彼女だった。
 彼女は僕を繋ぎ止めようと躍起になっていた。世界規模の犯罪組織へ長期に渡って潜入するという過酷な環境を彼女は知らない。それでも僕の負荷を想像し、心を砕いたのは彼女が生まれながらに持つ繊細さからだったのだろう。
 頼れる先輩として、もしくは切磋琢磨できる同僚として見ることができればよかったのかもしれない。だが向けられる友愛の先を望んでしまった。僕は昔から頼りがいのある女性に弱い。
 まあ、だが、少しやりすぎたかな。反省と共に彼女に触れた唇をなぞる。
 想いを告げる気はなかった、だからこそ極限まで募っていた気持ちが破裂して収まらない。僕がいなければやっていけないだなんて言い方はずるいと思った。たとえ僕がいなくなった穴を埋めるのが大変だという事実を口にしただけだったとしてもだ。
 彼女が弱気になっているだけでもぐっとくるに違いないが、僕が離れることへの不安を理由に出されては敵わない。
 風見を懐柔するために僕を取り戻すと彼女が言った言葉、あれは彼女にとってもあながち嘘ではないのだろう。彼女は僕を警備企画課に連れ戻す余地があると考えている。それが嬉しくて、寂しかった。僕はもうあそこへ戻るつもりはない。デルタになったあの日、あの岬で、僕は己が抱え続けたゼロのすべてを彼女に託す覚悟を決めたのだから。



 ヨーロピアン調の内装をした店内、スタッフに案内されて奥の部屋に通されると扉の先にはすでに役者が揃っていた。
 店の雰囲気に合わせてか、華美すぎない程度の礼服に身を包んだ参加者が五人立っている。遅れて訪れた招待客である僕に彼らは視線を集中させた。
「おや……予定より早く到着したつもりでしたが……。僕を仲間はずれにして、皆さんで一体どんな楽しい話をしていたんですか?」
 獲物を見るような視線を受け流して疑心をちらつかせれば、僕を呼び出した女が一歩前に進み出て懸命に訴える。
「とんでもありません! 貴方を陥れるつもりなど少しも……主賓は貴方です、迎え入れるべきと思って予め時間をずらして案内しただけですわ」
「……僕が主賓?」
「ええ。さあ皆さんおかけになって、食事を始めましょう」
 女の声かけで参加者が各々の席へと座る。僕のために上座が空けられた。歩いて行く一挙手一投足さえ観察されているのがわかって神経を逆撫でされる。
 バーボンに仕事を依頼するための連絡手段を裏社会にはいくつか用意してある。先日それを使ってある人物から接触があった。ミス・ロレンシアと呼ばれている、組織の幹部時代に顔を合わせたことのある犯罪者だ。
 男性らしい逞しさを誇る肉体に、女性らしい包容力と感受性を持ち合わせた彼女は、世界中の航路をほぼ独占している実力者である。常に世界を移動しているため組織掃討作戦の折には逮捕することはできなかった人物だった。
 彼女は単に密入国で儲けているのではない。航海中の高い品質管理が高い評判を得ていた。この品質管理こそが他者が彼女に取って代わることができないと言われる所以だ。
 そのミス・ロレンシアから会って話がしたいと言われて、とある船の中で接触した。そこで友人を紹介したいという提案を受けた。なんでもその友人は、複数人を集めて行う会食にぜひ僕を招待したいと言っているらしい。
 会食にやってくる人間の身元は保証すること、組織絡みの件で接触を求めていること、僕にも大変旨みのある話であること。誠実な仕事で評判のある自分の名誉にかける、とまで言われてもなお勘繰るのは侮辱となるため、僕は彼女から招待状を受け取った。
 会食のために集った人々にはたしかにこちらを陥れようとする気配はない。だがこうも好奇の目に晒されるとなると不快なのも事実だ。
 目を細めて女を見れば「お許しくださいね、みんな今日を楽しみにしていたんです」と悪気のない様子で返される。
 食事が運ばれ、グラスにワインが注がれる。この店に劇物などが仕入れられた形跡や、彼らの中にそういったものを持ち込んだ人間がいないことは事前の調べでわかっている。手をつけても問題はないだろうが、と数秒ワインを睨んだ。ゆらりと揺れる白ワインは、心ゆくまで美しく盛り付けられた食事と会話を楽しめと語りかけている。
「では……まずは自己紹介と、わたくしから皆さんの紹介を始めましょう。わたくしはベアトリス、この会食を主催しました。そして皆様ご存知のことでしょう……彼がかのバーボンでいらっしゃいます」
 立ち上がった主催者が糸を紡ぐように話し始める。丁寧な言葉遣いだが、言葉ほど僕を崇拝している様子はない。それでいて、つい聞き惚れてしまうような耳障りのいい声は人の気を安らがせ、こちらの警戒を解く危険なもののように思えた。
 主催者は次々と会食の顔ぶれに触れる。
「バーボン、向かって右の男性はイゴール・ボセ。大陸にあるクラブやバーの五割方は彼の所有です。先日大きな約定を結びまして、一ヵ月後には二割増しになる見通しなので実質ヨーロッパの夜を支配していると言って差し支えないでしょう」
「ドーモ」
「そのお隣はアーニャ、奥がソフィア。彼女たちは設計士よ。地図にないほど古い建造物の抜け道も把握できて、進入も脱出も困難な警備体制の穴を突くのも得意。要望があればテロのトータルプランニングだってしてくれますわ。構造物にとても強いの」
「よろしく」
「会えて光栄よ」
「わたくしの隣にいるのがイシュタ商会のリーダー、ハカム・シェハーブ。仕入れと交渉には強い自負がありますわ。きっと、貴方がいた組織にも引けを取りません」
「今後はぜひご贔屓に」
 情報屋のバーボンに自己紹介をするなど無意味極まりないが、礼儀を尽くしているつもりなのか主催者は集まった人間の紹介を止めない。もしかすると会食に集った者同士も顔合わせが済んでいないのかもしれないが、彼女はどう見ても僕に彼らを紹介していた。
「そして今日は都合が悪くて席を空けていますけれど、この素晴らしい機会はわたくしの友人であるミス・ロレンシアが与えてくれました。バーボンとは組織のビジネスで縁があったようです。皆さんにも今度ご紹介しますわ」
 ワインが行き渡ったことを確認すると、主催者はグラスを手に乾杯の口上へ移る。
「秩序なき世界を統制した組織が半年前に消えたのは皆さんのビジネスにも多大な被害を与えたことと思います。わたくしが声をかけたのは、その煽りを受けてもしたたかに経営を立て直した実力者です。かの組織が消えたのは……寂しいことであり、喜ばしいことでもあります。本日の組合$ャ立によってより大きなビジネスや快適な日々、そして理想が実を結ぶはじまりになることを願いましょう。わたくしたちの新たなる光、バーボンとの出会いを祝って」
 各々がグラスを掲げてワインを呷る。想像すらしなかった主催の言葉に内心動揺した。
 ワインを喉へ流し込んでいれば、食器の音が鳴り響き始めた。数秒の静寂が訪れる。設計士はこそこそと声を潜めて何かを話し、商会長は料理を批評しているがそれのみである。
 口へ運んだ食事を咀嚼し、嚥下して、ワインでしっかりと喉を潤したあとにようやく僕は口を開く。
「本題へ入る前に……ファミリーネームを伺っても? 自己紹介は名前だけでしたが……」
 主催者へ声をかけると、彼女はにこやかに微笑んだ。
「ございません。わたくしの名はベアトリス、それだけです。王侯貴族の血を汲んでおりましてファーストネーム以外は持ちませんので……。二つ名もとくには」
「そうですか。ではベアトリスと……早速ですが招待された理由を聞かせてください」
 組合という組織について、また新体制の組織に僕も関係があるかのような言い方が気になっていた。この会食に招待された理由も「当日私の友達から聞いて」としか言わなかったミス・ロレンシアの頑なな姿勢によって聞き出せていない。
 会食に参加する犯罪者についての基本的な情報を多少調べた程度で、僕はこの会食の目的を何も知らされていないのだ。
 ベアトリスは僕の言葉を待っていたと言わんばかりにその上品な唇を持ち上げた。
「さきほど申し上げましたとおり、わたくしたちは組合と呼ぶ組織を結成しました。そして貴方にもその一員……とくに組合の顔になっていただきたいのです」
「組織の幹部を頭領に据えて新興勢力に箔をつけたい、と?」
「ええ。代わりにメンバーの持つ権力やビジネスを貴方の活動に役立てていただく……貴方が身を置いた組織に代わる新体制を、もっと時代に合った形で再編したいのです。運営はわたくしたちで担いますのでご心配なく」
 ふたを開ければ容易に予想できる内容だ、そんなつまらない感想を抱く。ベアトリスの計画を聞いてバーボンらしく¥ホみを浮かべた瞬間すべての視線が注がれた。
「──なるほど、聞こえのいいことを言っておいて僕を傀儡にでもするつもりですか。組合の運営は貴方がたのものだが、顔さえ貸せば要事の手足にはなる、と。組織という外殻を失い、情報の吸い上げが難しくなっているところに救いの手を差し出せば僕が話に乗るとでも考えましたか? 甘く見られたものだ……」
「まさかそんなこと! 貴方の意向がおありならもちろん何よりもそれを優先いたします。貴方の立場によってわたくしたちのビジネスがさらなるブランドを得るのですから当然ですわ。雑事はお任せいただきたいと、さきほどの言葉はそういう意味です。誓って貴方を軽んじているつもりではございません」
 ベアトリスは力強く否定する。視線だけでテーブルを見渡せば、全員が食事を止めて会話の行方を見守っていた。
「……まずは、組合の成り立ちから説明いたしますわ。わたくしたちのビジネスは単独では成り立たないことの方が多いのです。そういうときは通常プロを雇い入れるものですが、それでは少々手間がかかりすぎる。そこでほぼ無条件に互いのサービスを利用できるシステムがあれば便利だろうという発想に至ったのです」
「ホォー…たとえば、どんな?」
「たとえばアーニャとソフィアは、急なスケジュールでも計画を成功させる能力を高く買われています。そういった計画の遂行には、当然迅速な仕入れが不可欠となりますのでハカムのような物流を握る商人と優先契約できるのは好条件なのです。二人は仕事量が速く多くの仕事をこなすため、ハカムも安定した顧客を得られます。他には……イゴールは大陸での支配力がありますが、彼ほど商品の量を安定して仕入れるためには陸路より海路が安心ですからミス・ロレンシアの顧客になりたい。……そうやって互いに助け合うのが目的です。貴方の場合は、その立場や名声を貸すだけで組合すべての恩恵を受けることができますわ」
 決して僕をいいように利用するわけではないとベアトリスは念を押した。
 裏社会は常に混沌としている。食うか食われるかの世界で互いを害さないという均衡が保たれるのは、共存することで利益が見込める場合のみだ。一時的には仲間であっても次の晩には敵になる、そんなことも日常茶飯事なのが裏社会というものだ。
 だからこそ助け合おう、いつ裏切りが起こってもおかしくないという疑念がより大きなビジネスの可能性を潰しているのだから。彼らはそう言いたいのかもしれない。
 だが、だからこそ僕は彼らが組織になることなどできないと思っている。
「腑に落ちませんね、貴方がたはすでに自立したビジネスモデルを確立しているように思えますが……」
 不敵に笑えば主催者は口を噤んで僕の言葉を待った。
「あの組織を再編したいと言いましたか……では一つだけアドバイスをしましょう。僕の組織はとある一つの目的のために存在した……あれほどの規模を統制できたのは、ボスが構成員すべての意思統一を完璧に行なってきたからです。各々が組織を率いている貴方がたにはそれがない……。つまり、この組合とやらにはビジネス上の利点があろうといずれ空中分解する未来が見えている」
 希望の芽を摘もうとする僕を、ある者は苦々しい顔をして見ていた。ある者はそういうものかと無感動に、ある者は楽しげに見ている。
 普段から己の好きなように他者を消耗して生きている彼らに、体裁は何であれだれかに恭順するのは無理な話だ。ひと癖もふた癖もある犯罪者が、一度頂上から眺めた景色を手放せるわけがない。
 いつか、この中のだれかが他者を陥れるため策を弄する未来が訪れる。
「長く息づいてきた僕の組織でさえ、裏切り者の手によって分解した」
 ダメ押しをすればどこかから溜息が聞こえてきた。やはりこの程度かと内心鼻で笑う。
 率直な意見を言えば、僕はこの新興勢力に手を貸したって構わない。いずれにせよ裏社会での伝手は必要だ、各界の頂点を自負する彼らの実力は確かだろう。
 だが、安易に犯罪組織の一部へ溶け込むわけにはいかない。ゼロを辞め、僕が在籍した記録は降谷零という人間の存在ごと消えたが、それはあくまでデータの話であり人の記憶までは消去できない。情報管理は厳格に行うべきだ。それに、僕には彼女との繋がりも残っているから迂闊な行動は避けたい。
 彼らが脅威にならない確証が手に入れられれば、あるいは。そんなことを考えていればしんとした室内を割るような張りのある声が響いた。
「なあ、金は目的にならないって言い方は気になる」
 僕の右手側に座るイゴールが挑発的な表情を作っている。
「俺は金が好きだ。政治も宗教も戦争さえ物事は何でも金ありきで動いていると思ってる、だから金儲けも好きでやってる。俺は今のところ大体満足した暮らしを送れているが……今よりもっと金儲けができるってのはすごく魅力的だね。しかも安全に、確実にときた! ……だから話に乗った、シンプルだろ? お姫様……君はちょっとお上品すぎるんじゃないか。話しすぎるからバーボンも色々と勘繰るんだ、彼がもっとも得意とするもので勝負してどうする……ビジネスライクを掲げる組合が彼にかける正しい言葉は『もっと景気よく稼ごうぜ』だろう」
「だって……」
「金が目的、明確で分かりやすいですね。ただ金だけで人をまとめるのは不可能に近い。世の中には金よりも名声、権力、信念などを大事にする者もいますよ」
「おっと、金に飛びついただけだと思われてるのか? まあ俺はそうだが……そうじゃない人間がいることもちゃんとわかってる。君を引き入れるためにどうするかは二晩くらいかけて考えたさ、いや実際は一晩だったかもしれないが……。とにかくそこは君の出番だ」
 ふざけたような物言いが少々癇に障る。イゴールに冷たい視線を投げるが、彼は動じずに僕を見据えていた。
「……聞きましょう」
「君は情報屋だ。だが噂によると武闘派じゃない……ひどく賢いんだってな、相手が欲しいものを見抜き、会話だけで目当ての情報を手に入れることができる。だから俺たちの組織の上に立ち、金のせいで意見が分かれることもあるだろう俺たちをまとめるだけの力がある。かの組織の幹部だ、金も権力も持ってるから人を従わせるための引き出しは広いんだろうが……君の力は言葉≠セ。なあみんな」
「彼と同意見です。貴方がいれば裏切る者などいませんとも……」
「何もブランドだけが欲しいってわけじゃないのさ。俺たちは、そこのお姫様も言ったようにあの組織が壊滅して景気が悪くなっても生き残った、それだけ金儲けの才能がある。君が相応しいから君を呼んで、こうして頼んでるわけだ」
 彼が口を開くとたちまち場の空気が明るくなった。不遜さは気になるものの、あれほど落ち込んだ空気を盛り上げる手腕は夜の街を仕切るだけあるということなのだろう。
 黙っていた割に僕の言い分を良く理解し、納得させるだけの提案もできる、なかなかに頭のいい男だ。主催であるベアトリスが主立って話すため、彼らは全員彼女に上手く言い包められて集まった口かと思っていたが、この男の口添えもあったかもしれない。
 ただ楽天家なのか詰めが甘いのか、肝心の部分を僕に丸投げしているのを隠しもしない言動は交渉する上で問題があるだろうと呆れた。カリスマはあるが喋らせてはいけない、イゴールはそういうタイプだ。
「つまり僕任せだというわけですね。気が遠くなるような話だ……」
「そこはまあ、頑張ってくれ。みんな君を悪いようにはしないさ」
 僕は不快を隠さずに言う。その傍らでどうしようかとも考えていた。
 食事という気がゆるむ状況の今でさえ、彼らが僕を陥れる気配はやはり感じられない。彼らはおそらく、何も問題が起こらない限りは本気でビジネスのためにどんなことでも協力しあうつもりでいる。
 裏切り者によって組織は分解した。僕の言葉に、場のだれ一人として違和感を覚えた素振りがなかった。彼らが僕に目をつけたのは、何もかもを黒で覆い尽くす組織に所属した幹部のうち、逮捕を逃れたのが僕以外にいないからだ。
 僕のみが警察の手を逃れ続けている現状を知っていてなお、組織壊滅の一端にある裏切り者の可能性を微塵も考えない時点で、ジンたち幹部とは比べ物にならない小者だ。勘が鈍く、かつては組織の幹部にNOCが名を連ねていた噂さえ収集できなかったのであればなおさらだ。
 数日で彼らについて調べられたことは限られている。だが最近は勢力拡大に力を入れているようだし、探れば十分すぎる情報が出てくるはずだ。取捨選択をするのはその後でも問題ない。ひとまずは彼らの望むとおり組合の顔となり手足を確保しても構わないのかもしれない。
 他に質問はあるかと問われて否定すれば、イゴールはベアトリスに話の主導権を返した。
 彼女はいささか口を尖らせて「まあ、そこまでお話になるなら最後まで仕切ったらどうかしら」と不満を零している。どうやら、主催者を差し置いて話を進められたのが大層不満らしい。
 口元をナプキンで拭ってシルバーを置くベアトリスは、本人が言うとおりどこかの王族のような品の良さを醸し出している。
「それでは……少々わたくしの想像していた展開とは違うのですけれど……わたくしたちのトップに立ってくださる、ということでよろしいですね?」
「……いいでしょう。貴方がたが己のビジネスを重んじてここへ集まったのはこの場に互いの競争相手がいないことからもよく理解できました。僕にとってもこの提案はフェアです、受けない手はない……」
「よかった! では早速──」
「ですが一つだけ、肝に銘じていただけますか」
 花が咲くようにして喜んだベアトリスと、歓喜と安堵を混ぜたような溜息を零した周囲を制するように声を張る。これから組合の具体的な構造を話すつもりだったのだろう彼女は不思議そうに目を丸くさせた。
「僕に従うと決めたのは貴方がただ。僕の意思には、たとえどんなことがあろうと従ってもらう。それが組織というものだということをわかっておいてくださいね……」

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